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23年前はありがとうございました

 あれから23年か。もうふた昔以上もの時間が流れていった。1995年1月17日午前5時46分。私の住いおる神戸は巨大な災厄に襲われた。1995年1月17日午前5時45分は平和な冬の早朝であった。14、15、16と三連休があけて、今日から仕事だという朝である。早起きの私は起きていた。布団の中で目を覚まし、さて、布団から出ようかと思っていた時、突然、ドーンと下から突き上げられた。ふわっと身体が浮いたような気がした。次の瞬間、上下に激しくゆすぶられた。
 大きな不幸である。私も阪神大震災で、知っている限りでは5人の知人を亡くしている。この大震災は大きな災厄不幸であることは間違いないが、こういう巨大な不幸の中で人の優しさ善意に触れたのも事実である。
 地震直後、私は家族を連れて近くの小学校に避難した。小学校の体育館には多くの避難民がいた。私たちの家族もなんとかスペースを確保して腰を落ち着けた。隣はフィリピン人のご一家だった。このフィリピン人のご一家がたいへんに良くしてくれた。あとから来た私たちに場所をあけてくれた。子供に食べ物を分けてくれた。
 翌日、私は大阪に向かった。もちろん電車は動いていない。尼崎まで歩いた。そこからは阪神電車が動いていた。大阪まで出て食べ物やその他必要なモノを仕入れて神戸の避難所まで帰ってきた。私が留守中のことを聞くと、フィリピン人ご一家が、小さかった子供の遊び相手になってくれ、大変に助かったとのこと。
 翌日、神戸市北区に住む弟が来た。北区は地震の被害はなかった。老母と子供を弟に託し、私たち夫婦は大阪に出た。私が入手し切れなかったモノの調達と洗濯と、それから入浴もしたい。大阪市内の宿はどこもいっぱい。泉佐野に空いた宿があった。その夜はそこに泊まり洗濯し、久しぶりに入浴もした。翌日、泉佐野から大阪までは電車で、大阪から尼崎までは電車が動いていた。そこから先は電車は不通。国道2号線を夫婦二人でとぼとぼ歩いて神戸に向かっていた。後ろから来た車に声をかけられた。「あんたたちどこまで行くんだ」「神戸です」というと「俺も神戸だ。乗ってけ」
 神戸まで乗せてもらった。お礼をいうと。手を振ってさっさと行ってしまった。ありがたかった。おかげで大変に助かった。
 23年前のあの地震。確かに大きな不幸ではあったが、人の優しさ善意が身をもって知った体験でもあった。あのフィリピン人ご一家と、国道2号線の車のおじさん。あらためてお礼をいいます。23年前はどうもありがとうございました。
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黙祷

1月17日午前5時46分。

黙祷。
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