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二人だけの送別会

 男が二人入ってきた。知らない顔ではない。ほかに客はいない。そろそろ店じまいの時間だが、二人のために鏑木はもう少し店をあけておくことにする。
 一人は還暦を過ぎたと思われる初老。もう一人は40代半ばの中年だ。二人は、以前、このS市にあったM電機の社員だ。M電機がこの市にあったころは、ここ海神の常連だった。M電機がA市に移転してから来なくなったいた。二人はずいぶん久しぶりに海神に来店した。
「マスター久しぶりだな」
 初老の方が鏑木にあいさつした。
「お久しぶりです。中本さん」
「二人だけの送別会なんだ。悪いな閉店間際に来て」
「いいですよ。木村さん」
 鏑木は、残り少なくなったボトルを2本だした。中本と木村の名前が書いてあるスコッチのボトルだ。
「おどろいたな。ワシたちの名前を覚えていて、ボトルまで残してくれてたのか」
「お二人は常連ですから。なんにします」
「水割り。係長は」
 木村がいった。二人はカウンターに座った。
「ワシも水割り。ワシはもう係長じゃないよ」
「長い間ご苦労さまでした。係―、じゃない、中本さん」
「ありがとう」
「定年ですか」
 柿の種の小皿を出しながら鏑木が聞いた。
「そうなんだ」
「中本さんは、おれの仕事の師匠なんだ。マスター」
「お二人が初めてここに来られてからずいぶん経ちますね」
「そうだな。おれが高卒で生産管理部に配属され、部の歓迎会のあと2次会でここに連れてきてもらったんだ」
「あのころワシは外注課の主任だった。30年前だな」
「外注管理のイロハを中本さんに教えてもらったんだ」
「よくいっしょにいらっしゃった方々はお元気ですか」
「みんなリストラされていなくなった。残っているのはこの木村くんだけだよ」
 中本が鏑木に答えた。
「中本さんが定年で、外注課で、おれが一番の古手になりました」
「今度の人事で君は外注課長だろう」
「課長は購買課から移動してきた若いヤツだそうです」
「そうか」
「購買と外注管理は違いますから、そいつは苦労するでしょう」
「ワシは長い間あそこにいただけだ。40年生産管理にいて係長止まりだ」
「中本さんほど外注という仕事が判っている人はいませんよ」
「そんな難しいことはない」
「外注の仕事で一番大切なことは何ですが」
 鏑木が中本に聞いた。
「外注先を下請けと思わんことだ。外注先は仕事にパートナーであって、同列なんだ。仕事を出す方が上で外注先は下と思って仕事をしてはダメだ」
 二人のボトルが空になった。  
「お、もうおしまいだな」
 鏑木が中本の顔見た。顔が赤い。酔っている。
「ワシも酒が弱くなった。そろそろひきあげるよ」
「もう1本キープしませんか」
「いや。よそう。ここはもう、新規のキープをしてくれないんだろ。マスター」
「はい。そうお願いしてます」
「ワシのぶんはいい。中本くんに1本入れてやってくれなか。ワシがおごるよ」
「いけません。それじゃなんのための送別会だか」
「いやいいんだ。今夜の払いはおごってもらうよ。新しい1本はきみへの置き土産だ。いいだろうマスター」
「中本さんがそういうのなら」
「ワシは海神も卒業だ。木村くん、ワシがやったように、きみは後輩をここへ連れてきて、仕事を教えてやってくれ。それじゃ、今夜はありがとう。元気でな」
 中本が出て行った。木村が一人残った。
「マスター、新しいボトルを開けてくれよ」
 ロックを立て続きに飲んだ。かなり酔っている。新しいボトルが半分近くなった。泥酔した木村がポツといった。
「そのボトルの残りマスターが飲んでくれ」
「だいじょうぶですか」
「おれも海神卒業だ。おれ、今度リストラされるんだ。おれに後輩はできない」
 木村はカウンターに突っ伏した。
 ボトルが2本減った。鏑木はキープしてあるボトルが全部なくなれば海神を閉めるつもりだ。海神閉店まで2本分近くなった。
 
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