トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

加西市北条町の町並みを歩く(2)

2018年10月30日 | 日記
加西市北条町は、酒見寺や住吉神社の門前町、町を通る街道の宿場町として繁栄しました。かつての繁栄をしのばせる家並みが、訪ねる人を迎えています。前回は、その中で、南町(みなみちょう)、御旅町(おたびちょう)、御幸町(ごこうまち)沿いの家並みと寺町の雰囲気を残す地域を歩いてきました。今回は、もう一つ、往事の家並みが残る西京街道沿いの家並みを訪ねて来ました。

前回訪ねた西岸寺の前の通りからスタートしました。

すぐ先に「栄町」の看板がありました。法華宗寺院、妙典寺への参道へは、ここを右折して進みます。

今回はまっすぐ進みます。前方の三差路の向こうに、衣笠モーターサイクルのお店が見えました。左右の通りを左折してさらに進みます。

右側にあった平田菓子店を過ぎると、すぐに交差点がありました。「福吉町(ふくよしちょう)」の看板があります。ここで右折して進みます。

左側に毛利書店のビルがありました。その先で、通りは緩い左カーブになります。

北条町栗田地区になりました。すぐ前の交差点の手前左側に、大日堂がありました。

交差点の先から撮影した大日堂です。荒廃していたお堂を、寛文元(1661)年に、現世安穏、子孫繁栄を祈り再興しました。江戸時代になって農業生産の発展とともに牛馬の使用が盛んになり、その安全のために、大日如来(真言宗の根本仏)が祀られたそうです。現在の大日堂は、宝暦13(1763)年に再建されたものだそうです。交差点を渡ります。

北条駅でいただいたパンフレットです。この先で「旧家の家並み」に入ります。

大日堂から約250メートル先、通りの右側にあった高井家住宅です。通りの先から振り返って撮影しました。嘉永4(1851)年の建築で、国の登録有形文化財に登録されています。厨子2階建ての切妻造り、平入りの建物です。

このお宅の正面にあった「出棺出口」です。出棺の際に棺を出す出口です。家への帰り口をわからないようにする風習の一つで、迷わず成仏してほしいという願いが込められているのだそうです。初めて、こういう出口があることを知りました。

左側にあった水田家住宅です。大正11(1922)年の建築で、こちらも、国の登録有形文化財に登録されています。

ここで、もう一つパンフレットをいただきました。「横尾歴史街道つどいの会」がつくられた「横尾歴史街道ガイドブック」です。パンフレットの「旧家の家並み」は、地元では「横尾歴史街道」と呼ばれているようです。

通りに面して設置されていた「手作りベンチ」です。上に「まあ すわんなはれ」と書かれています。「北条まちづくり協議会」では、地元の間伐材を再利用してつくった「手作りベンチ」を町並みに設置しています。このベンチも、その一つなのでしょう?

その先の通りの様子です。「旧家の家並み」と名づけられているように、かつての街道の雰囲気がよく伝わって来ました。丹波方面や、京・大阪方面に向かう人たちが歩いた道です。「横尾歴史街道ガイドブック」は、街道歩きに大変参考になりました。

「えべっさん」です。通りの左側、一段高いところにありました。街道筋の人たちがお詣りされていた商売の神様です。

横尾歴史街道つどいの会のパンフレットを見ていて、通りの商家で気になったことがあります。その一つが、軒下の「犬走り」の部分を柵で囲い込んでいる空間があったことです。敷地の境界に立てた柵を「犬垣(いぬがき)」と呼んでいるそうです。

もう一つが「筋瓦(すじかわら)」です。平瓦の上にかぶせる丸瓦で、筋のように長くしたもののことをいうそうです。屋根の平瓦の強度を強めるために設けられているそうです。

「横尾歴史街道」は、北条町の家並みの中で、最も雰囲気のある通りでした。その先で街道が分岐しています。

三差路の中央、突きあたりに地蔵堂がありました。道中の安全を祈る人も多かったはずです。

地蔵堂の右側に、道標がありました。左側が天保7(1836)年の銘がある最も新しい道標で、「右 やしろ 大坂 京  左 明らくじ たん(以下埋没)」とありました。埋没している「たん」は「丹波のたん」ではないかと思います。右側が享保13(1728)年の銘のある最も古い道標で、「無縁塔 右 やしろ 左 明らくじ道」と刻まれていました。真ん中の道標は残念ながら読むことができませんでした。

地蔵堂の右側の通りは社(やしろ)から篠山を経て京・大坂方面に向かう西京街道でした。

地蔵堂の前から左へ向かう街道は、明楽寺(加西市の北部にある)から福知山を経て宮津に向かう丹波街道でした。

この日は、北条の町に残る懐かしい町並み、「旧家の家並み」を歩いてきました。酒見寺や住吉神社の門前町として、多くの街道が交わる宿場町として、地域経済の中心地として栄えた在郷町として繁栄した北条の町の面影をたどる旅になりました。