トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

大阪市営天保山渡船に乗りました!

2016年11月11日 | 日記
江戸時代に”天下の台所”と呼ばれ、たくさんの物資の集散地になっていた大阪には、その輸送のための水路が縦横に広がっていました。そして、多くの庶民の往来のため、渡船場が各所に置かれていました。

渡船の”桜”です。天保山渡船場で輸送にあたっています。明治24(1891)年、大阪府が、「渡船営業規則」を制定し民間の渡船業者の管理にかかわるようになり、明治40(1907)年には、安治川、尻無川、淀川にある29の渡船場が大阪市営となりました。民間業者の運行から、少しづつ行政がかかわる運行に変わって行ったのです。そして、大正9(1920)年には渡船料が無料(旧道路法の施行による)になり、昭和7(1932)年には、ほとんどの渡船が請負制から大阪市の直営方式に替わりました。

現在では大阪市営渡船の渡船場が8カ所あり、15隻の渡船が運航されています。船町渡船場の待合室に掲示されていた資料には「
平成25(2013)年には185万人が利用した」と書かれていました。この日は、その一つ、天保山渡船に乗船するため、JR大阪駅から、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)の最寄り駅(ユニバーサルシティ駅)に向かう乗客でにぎわう、JR桜島線の終点桜島駅にやってきました。桜島線を走る車両の一つ、103系の車両です。

ホームの先に車止めが見えました。桜島駅は突き止まりの駅です。JR桜島線は、明治31(1898)年に、西成鉄道として大阪駅・安治川口駅間が開業しました。明治38(1905)年には安治川口駅から天保山駅までが延伸開業。明治39(1906)年には国有化。明治42(1909)年には、日本国有鉄道西成線となりました。そして、昭和36(1961)年、大阪環状線が開業したとき、西九条駅・桜島駅間が分離されて、桜島線となりました。平成13(2001)年にUSJが開業したときから「JRゆめ咲線」という愛称で呼ばれるようになりました。全長、4.1km。安治川口駅、ユニバーサルシティ駅、桜島駅が設置されています。

改札口から外へ出て、桜島駅の駅舎内を撮影しました。この駅は業務委託駅になっており、この日は男性の駅員の方が勤務されていました。

桜島駅の外観です。流線型の屋根を持つモダンな駅舎です。駅舎を出て、徒歩で天保山渡船の渡船場をめざします。

駅舎を出ると、目の前に阪神高速5号湾岸線の高架がありました。前の道路を道なりに右折して、高架に沿って進みます。右側に桜島駅のホームを見てから10分ほどで「桜島2丁目南」の交差点に着きます。左折して進みます。

5分ぐらいで、此花桜島郵便局に着きます。その手前を左折して進みます。

20分ぐらいで、突き当たりの壁にぶつかりました。壁に「天保山渡船場」の案内看板がありました。この壁の向こう側に天保山渡船場があるようです。天保山渡船は、此花区桜島三丁目(こちら側)と向こう側の天保山(港区築港三丁目)を結んでいます。壁の上から、対岸にある天保山の大観覧車がのぞいています。右側のスロープを上っていきます。

壁の向こう側です。待合室に向かって下ります。

待合室の中には、体格のいい外国人の方が待っておられました。対岸からの渡船が到着したとき、外国人のグループがこの方に向かって ”Good Morning”とあいさつしておられました。お聞きすると、「USJの外国人スタッフも利用している」とのことでした。この方々もそうなのでしょう。

待合室前のスロープから見た渡船場です。桟橋が揺れています。見えにくいのですが、湾岸線の橋脚の下に対岸の渡船場がありました。対岸までは約400m。8カ所ある渡船場で最長の渡船です。”海桜”と、冒頭で紹介した”桜”の2隻の渡船が就航しているそうです。

これが、対岸の渡船場です。写真の左に向いて停泊しています。こちらにやってくる便の乗船が始まっているようです。

こちら側の渡船の乗船口です。渡船が着くまでは、このように乗り口が閉鎖されています。遠くに天保山の大観覧車が見えています。

待合室に掲示されていた時刻表です。日中は30分ごとに運行されています。ずいぶん古い統計ですが、平成13(2001)年の1日の平均利用者数は870人だったそうです。

対岸に停泊していた渡船が動き始めました。対岸の渡船場で向かって左(上流)側に向かって停泊していた渡船は、そのまま左(上流)に向かいました。そして大きく左にカーブして、現在は、右(下流)側に向かって走っています。この後、大きく右にカーブして、(左)上流側に向かって進み始めたと思ったら、こちら側の桟橋に到着していました。時間的には3分ぐらいだったような気がします。もちろん、正確ではありませんが・・。この日は”桜”が就航していました。

上流側に向かって停船しました。対岸からSの字に運行して来ました。乗務員の方が動き始めました。

下船される方が済んだら、待っていた人たち10人が乗船し、その内の8人が自転車とともに乗船されました。道路の役割を果たしている渡船だということを再確認することができました。

渡船”桜”の船内です。椅子もベンチもありません。立ったままで到着を待ちます。みんなが対岸の天保山の方を向いています。正面の運転席の裏側に「旅客定員80人」と書かれたプレートが貼ってあります。出入口を閉めて出発です。こちら側に来た時と同じように、S字に進んでいきます。まず、上流に向かって進み、次に、大きく右にカーブして下流側に向かって進みます。そして、今度は大きく左にカーブして、対岸の桟橋に、上流側に向かって停まりました。

この写真は、乗船していた乗客が下船した後、次の運行に備えて停船している”桜”です。乗務員の方も控え室に帰り、動きが止まった桟橋と取りつけ通路の様子です。

桟橋を抜けて表に出ました。待合室と駅事務所を兼ねた建物です。

天保山渡船場の遠景です。”桜”は、この後、15分ぐらいすると、また、対岸を往復する短い旅が始まります。

天保山側の通路脇に描かれていた「天保山渡船」の案内です。

大阪市に8ヶ所残る渡船場である天保山渡船場。桜島駅から天保山側の渡船場まで渡りました。自転車で乗る人が大半で、「市民の生活の足」ということばがぴったりする「渡し船」でした。かつて乗った、愛媛県松山市の三津の渡し(2015年4月14日の日記)や岡山県倉敷市の水江の渡し(2015年4月24日の日記)を思い出させてくれました。そういえば、水江の渡しはすでに廃止され、今は乗ることができなくなっています。