トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

阪神電鉄武庫川線(1.7km)に乗って、阪神鳴尾球場を訪ねる

2016年01月04日 | 日記
このところ、短距離路線を楽しんでいます。
”鉄橋上の駅”、阪神電鉄武庫川駅を訪ねた日(2015年12月18日の日記)、短距離路線の一つ、阪神電鉄武庫川線に乗ってきました。阪神電鉄武庫川駅から武庫川団地前駅を結ぶ、全長1.7kmの路線。武庫川駅から武庫川に沿って走っています。

阪神電鉄武庫川駅です。武庫川線の起点です。阪神本線の改札口は武庫川の東西の両岸に設置されていますが、駅舎としては、武庫川の西岸にあるこの建物がそれにふさわしいものです。この駅舎は昭和59(1984)年4月に開設されました。武庫川線の洲先駅・武庫川団地間が延伸された時だったそうです。クラシックな印象ですが、割に新しいのですね。

駅舎内にあった運賃表です。武庫川団地前駅まで140円。途中に東鳴尾駅、洲先(すざき)駅が設けられています。

こじんまりとした改札口です。そこに、駅員の方が一人おられました。武庫川線乗り場に向かって、右方面に進みます。

武庫川線のホームの前にあった中間改札です。ここも、昭和59(1984)年に設置されました。驚いたのは改札口の多さです。ここから階段を上って阪神本線に乗り継ぐ乗客が多いからでしょう、出口よりも多く設けられていました。もう一度乗車券を入れて武庫川線のホームに入ります。

これは外から見た武庫川線のホームです。武庫川線は、川西航空機(現・新明和工業)の従業員や資材の輸送のために太平洋戦争中の昭和18(1943)年、武庫川駅と洲先駅(現在の武庫川団地前駅)間で開業。翌、昭和19(1944)年、武庫川駅から北に延伸し、武庫大橋駅を経て、東海道本線の西ノ宮(現西宮)駅までの貨物線が開業しました。阪神電鉄の軌間は1435ミリ、国鉄は1067ミリのため、片方のレールから1067ミリと1435ミリのところにもう一方のレールがある、いわゆる”三線軌条”になっていました。

ホームに、折り返し武庫川団地前駅行きになる列車が到着しました。7990号車と7890号車の2両固定編成の武庫川線専用車両です。

これは、到着した7990号車と7890号車の北側の線路上に留置されていた、7964号車と7864号車です。こちらの編成は、夕方からの運行に備えて待機しているのです。このほか、7861号車と7961号車のワンマン仕様に改造されている車両も武庫川線で運用されています。

武庫川線のホームに戻りました。かつて、”赤胴車”として優等列車に使われていた電車ですが、現在は普通電車に使われています。

ホームに戻りました。下車した乗客の向こうを、阪神本線の電車が通過しています。

20人ぐらいの乗客を乗せて出発しました。ワンマン運転です。右側に線路が敷設できるような空き地があります。武庫川駅から東鳴尾駅間は複線も可能な用地が確保されているようです。

これは、武庫川駅に最も近い小松踏切で撮影した7990号車と7890号車です。この先で阪神高速神戸線の下をくぐります。

阪神高速神戸線の武庫川出口(IC)です。

武庫川ICの向こう(西)側にあった武庫川女子大学です。

武庫川駅から0.7km、1分ほどで東鳴尾駅に着きました。駅の手前の鳴尾南踏切から見た東鳴尾駅です。昭和59(1984)年に武庫川団地前駅まで延伸したとき、1面2線の島式ホームに改造されました。武庫川線は日中は2両編成の電車が往復運転をしていますが、朝夕の通勤通学時間帯には、武庫川駅に待機していた7964号車と7864号車も運行に加わります。その場合の行き違い駅として使われています。昭和18(1943)年の開業時には列車交換ができる駅として開業されましたが、昭和35(1960)年に1面1線の単式ホームに改造されていました。

鳴尾南踏切からホームへはバリアフリーの通路がつくられています。出入り口は武庫川駅方面寄りのこの入口だけです。ちなみに、1日平均の乗車客は1,892人だそうです。

ホームにあった自動改札機です。無人駅ですので、乗車券のない方は、「武庫川団地駅で精算するように」という案内がありました。

次の洲先駅までは、400mしかありません。

外から撮影した東鳴尾駅のホームです。

出発してすぐ見つけた勾配標です。

洲先駅への入口です。右側が駅のホームへの通路、左側が川添南踏切です。武庫川駅寄りのホームへは、階段で上がるようになっています。しかし、反対側のホームの端、武庫川団地前駅方面のホームへの入口はバリアフリー構造になっていました。駅前の風景としておなじみの商店が見あたらず、住宅だけの駅前風景です。

洲先駅のホームです。1面1線のホームになっています。さて、昭和18(1943)年に開業したときの洲先駅は、現在よりも0.6km南に置かれていました。現在の武庫川団地前駅のある場所で、川西航空機の工場に隣接していました。つまり、開業時の武庫川線の終着駅だったことになります。

その後、武庫川線は、昭和21(1946)年に旅客営業を休止しました。そして、洲先駅は、昭和23(1948)年に現在の地で終着駅として開業し、武庫川線は旅客営業を再開することになりました。

これは、ホームにあった地図です。武庫川の中央に尼崎市と西宮市の境界線があります。尼崎市に最も近い西宮市の駅ということになりそうです。昭和59(1984)年、ここから武庫川団地前駅までの0.6kmが延伸されてから、洲先駅は通過駅になっています。現在では無人駅になっています。

洲先駅から0.6km、終点武庫川団地前駅に到着します。武庫川駅から5分ぐらいで到着しました。2面2線の相対式ホームになっていますが、左側のホームだけが使用されおり、右側のホームへは行くことができない構造になっていました。

たった1.7kmの路線でも車止めを見ると、遠くまでやってきたと感じます。行き止まりの終着駅です。

これは駅にあった時刻表ですが、10時から16時までの日中は、1時間3往復の運行になっています。往復に必要な時間は約10分ですので、1編成の車両での往復運転が十分可能です。

武庫川団地前駅は終着駅ですが、駅員さんはおられません。無人駅です。昭和18(1943)年、武庫川線が開業したとき、この駅のあたりにかつての終点である洲先駅がありました。しかし、昭和20(1945)年6月の阪神大空襲により川西航空機の工場ともども破壊されました。洲先駅は先ほども書きましたが、昭和23(1948)年に、0.6km北の現在の地に移転して終着駅となり旅客営業を再開しました。

待合室です。ガラスの模様が明るい雰囲気で、気に入りました。

武庫川駅によく似た改札口です。武庫川団地前駅は、その名のとおり、昭和54(1979)年に入居が始まった武庫川団地の入居者の利便のために、昭和59(1984)年に開業しました。武庫川団地前駅は、2万人が居住する武庫川団地の北東の端に設置されており、通勤・通学を中心に1日7,834人が利用しているそうです。無人駅が多いため、この駅には自動精算機も備えてありました。もちろん、自動改札機や自動券売機も備えています。

武庫川団地前駅の駅舎です。到着した7990号車が停車しています。

お隣にはマックスバリューの店舗がありました。

駅前には広大な敷地を誇る武庫川団地が広がっています。戦前には、ここに川西航空機の工場がありました。”レインボータウン”の愛称のとおりカラフルな集合住宅が並んでいます。そこから足を延ばしてみようと思いました。マックスバリューの前を団地に沿って歩きます。団地が途切れた向かいに、鳴尾浜臨海公園があります。その中をさらに進みます。

臨海公園を抜けたところにある、通りの向かい側にネットに覆われたスタジアムがあります。武庫川線とともに、密かにめざしていた阪神鳴尾浜球場です。シーズンオフ、しかも年末のこの時期ですので、使用されてはいませんでしたが、阪神タイガースのファームの公式戦が行われている球場です。また、その裏の敷地内にある虎風荘、「阪神タイガース寮」も見えました。

阪神鳴尾浜球場の正面。「タイガーデン」です。

こちらが虎風荘です。「報道関係者・球団関係者以外立入禁止」になっていました。人がいないのではないかと思えるほど静かでした。

阪神電鉄武庫川線は全長1.7kmの短小路線です。川西航空機工場への輸送のためにつくられ、阪神空襲で大きな被害を受けた路線でした。戦後、川西航空機工場の跡地にできた武庫川団地の住民の輸送のために復活した路線です。歴史の大きな波に揺れ続けた路線でした。たった1.7kmしかなくても、今もしたたかに走り続けています。