昨日突然前に勤めていた会社の社長が訪ねてきてくれました。
ぼくのような人間にも一切手抜きなしにすべてをさらけだしてくれる社長です。
フランスから文化勲章を貰い、年商は数十億を超えています。
それでも、このじれったくもぐうたらな男に、心の底からアドヴァイスをくれます。
ただ有り難いだけではすまないものがぼくの胸の内に宿ります。
社長のテーマは本物の「美」を通じた感動と喜びの創造です。
そうして、周囲の誰もが疑っている環境の中で、社長は次々と壮大なプロジェクトを実行・実現していきました。
それを可能にするのが、社長の高邁な「志」です。
そういう「志」を欠いているぼくは、社長を尊敬することはあれ、真似しようと思ったことがありません。
自分に自然発生的に燃え上がるパッションこそ「志」なんであり、人の方向性を真似した「志」もどきほど嫌らしいものはありません。
そういう意味で、パッションというものに無縁なぼくのことを社長は心配してくれます。
係わる人とぬくぬくと楽しく過ごせばいいというぼくを心配してくれます。
そうのようなスタンスで今の時代を切り開いていけるほど、今の時代というのが甘くはないのを社長は知っているからです。
そして、社長のその話はその通りです。
深々と納得するばかりです。
でも、どうすればよいうのかという解決策は見つかりません。
「志」というのは、頭であれこれ考えて編み出すようなものではありません。
ずばりと心に根付くものです。
そういうものをぼくは欠けています。
なんか情けないです。
滝行をしたり、禅の修行もしています。
でも、どこか常に醒めたところがあります。
醒めたら、せっかくの修行も醒めたものになるのは当然です。
無我夢中になるということがありません。
経営者としては、致命的な欠点なのかも知れません。
なるようになればいいというのは、経営という責任を放棄したものに等しいのかもしれません。
で、そういう迷いのさなかに社長は訪ねて来てくれました。
そして、このままで終わっていいはずがないと、檄をくれました。
いつでも終わってもいいというのは嘘ではないのですが、それが負け惜しみの単なるポーズになってしまったら、最悪です。
もう一度、歩んできた道、これから歩むべき道の再点検が必要です。
自分の心が自分に嘘を言うようになったらお終いです。
本当のことだけを心が言うようにするには、妥協のない修練が必要です。
あえて、振り出しに戻ろうと思います。