風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

理念

2011年07月11日 | 雑感
今朝は6時前に愚図る娘の声に起こされて、畑に行きました。
快晴で、風は暖かいながらも爽やかです。
畑につきますと、流石にこの季節、雑草が恐ろしい速度ではびこっています。
支柱からずり落ちたり、ひん曲がったりしているトマトやナスの苗を手入れしながら、片っ端から雑草を抜いていきます。
のどが渇けば赤く熟したトマトをもいで食べます。
甘すぎず酸っぱすぎず、いい感じです。
そうこうしているうちにあっという間に2~3時間経っています。
今日の収穫はダイコン数本、ナス10本くらい、トマト2~30個、といったところです。
リーフレタスと大葉も盛んに茂っていましたが、収穫はしませんでした。

トウモロコシが虫に食われて収穫できそうもありません。
キュウリもベト病というのにやられて、先日引き抜いて廃棄処分にしました。
周囲の他の人の畑でもトウモロコシとキュウリは同じような状況です。
枝豆と落花生が花を付け始めました。
カボチャの実は10cmほどに膨らんできました。
トウガラシも実をたくさん付け始めています。
持って帰ったトマトはドライトマトにしようと、半分に切りザルに並べました。

それにしても、キュウリにしてもナスにしても、スーパーで売っているような形が揃ったきれいなのはなかなかできません。
しかも安いです。
畑道畏るべしです。

さて、今週末は祇園祭です。
太鼓の練習の音があちらこちらから聞こえてきます。
町内ごとに太鼓の山車を出すわけですが、聞くところによりますと、町内それぞれの雰囲気がかなり違うのだそうです。
排他的で、ヨソ者を受け付けない(無視する)ところ。
どの地域からも喜んで受け入れる開放的なところ。
それぞれの町内の指導者によって、雰囲気が違うのでしょう。
いつまでも年寄り連中が幅をきかせているところもあれば、主婦が中心になって頑張っているところもあるそうです。

リーダーの役割というのはいつの時代でも問われるわけですが、時代・状況によっても望まれるリーダーの姿もまた変わります。
平時のリーダーと緊急時のリーダーに望まれる役割は自ずと違ってきます。
どんな状況でも緩急自在にリーダーの役割を果たすというのは口に言うほど易しいことではないでしょう。
ぼくはどういうわけか徳川家康という人物に興味を持ったことはないのですが、戦乱を終わらせるために参勤交代という
過酷な消耗制度を諸大名に強要することによって、諸大名に天下取りの野望を持たせないようにしたというのは、
幼い頃から権力の座を巡っての動乱を見続けてきた家康のリアリスティックな解決方法だったのでしょう。

理念を実現するには、理念をひたすら追うリーダーではだめなような気がします。
理念を実現するためには、極めてリアリスティックなバランス感覚が必要でしょう。
理念を現実世界に実現するためには、複雑で多様な人材を的確に活用し、複雑怪奇な現実の壁を打ち破っていく必要があります。
理念を追うためには、目の前の現実に的確に対処していく能力がどうしても必要になります。
金が必要なら金を用意する。
人材が必要なら必要な人材を揃える。
何らかの勢力との交渉が必要なら、硬軟交えた折衝を完遂する。
そういう能力を備えてこそ、目標たる理念を実現できるのでしょう。

まぁ、あれです。
理念と呼ぶようなものが欠落しているようなぼくが言うようなことでもありませんが。