風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

蕎麦屋さん

2006年12月28日 | 雑感
連日、江原啓之さんの番組であれなんですが、昨夜の「オーラの泉」を観ました。
とりあえず、大切だと思った言葉を。

「生きるということは、魂が自ら選んでスポーツジムに行くようなもの。心の筋力トレーニング。
 自ら進んでジムに行っているのに、痛いだの、苦しいだのという人が多い」 by 江原

「人のために何かをできるということは、自分の能力を発揮するチャンスをくれているということ。
 それに感謝するという視点を持てるといい」 by 江原

「昔は生きるために必要な学びの場所がそこらじゅうにあった。木の柱、畳、祖父母、親戚、隣近所。
 今は、コンクリートとプラスティックに囲まれ、逃げる場所がない」 by 美輪

その他、いいことをたくさん言っていたような気がしますが、思い出せません。
少しお酒が入ってしまいました。

今日、出がけに雹みたいな雪がばらばらと降ってきました。
関東でも、日本海沿岸でも、数日前まで大荒れだったみたいです。
竜神様が動いているのだと思いますが、あれな話なんでまぁいいです。

ぼくの店のあるビルの地下に蕎麦屋さんが入っています。
この辺りでは珍しく東北のお蕎麦を食べさせてくれます。
ぼくも何回か食べに行きましたが、おいしい蕎麦屋さんです。
ところが1Fに大手のうどん・蕎麦屋のチェーン店が入りました。
そこで地下の蕎麦屋さんは、大きな看板をビルの入り口に設置しました。
電源はテナント共有のビルから取っています。
それが問題になりました。

かつてテナントがめいめい勝手に看板を出しました。
通行の邪魔になるということで、すべての看板は撤去することになりました。
で、蕎麦屋さんだけが看板を出すということは認められないということらしいのです。
筋としては、その通りです。

で、今日、その蕎麦屋さんの奥さんが看板を出してもいいという承諾書の判子を貰いに当店にも来ました。
ぼくは判子を押しました。
判子を押さないようにという大家さんからも、他のテナントの人からも話がありました。
押さない人は押さないでいいだろうし、押す人は押す人でいいだろうという話をぼくはしました。

筋道から言えば、お蕎麦屋さんに分はないです。
誰にも相談せず、高飛車で、勝手にことを進めていました。
でも、この期に及んで、お蕎麦屋さんにとっては死活問題なのです。
当然ながら、お客さんの数が激減しています。

あるテナントのオーナーがぼくのところに来ました。
さっき蕎麦屋さんから頼まれて、手土産を貰って判子を押したけど、大家さんから言われたので、
今から手土産を返しに行くというのです。
それならそれでいいけど、そんなことしてどうなるの、回りの意見ではなく自分なりに考えて行動すればいいとぼくは答えました。
「わかった」と彼女は言って店を出かけました。
ぼくは呼び止めてどうするのかを聞きましたら、手土産は貰っておくとの答えでした。

ぼくはそれを聞いてうれしいというよりも、なんだか寂しい時代に生きているなぁという気持ちになりました。