なんか荒れた空模様です。
数日前には近くで雪も降ったそうです。
桜もいつ咲こうか、息を潜めている感じです。
ブログを書き始めて、気が付いたら一年を越していました。
何の成長も感じません(笑)
いろいろあったようでもなかったようでもあり、こうして月日が経っていくのでしょう。
何かを経験し、学び、消化しても、更に何かを経験し、学び、消化していきます。
そこに終わりはありません。
これでいいという成長の段階というのは、決して来ないものなのでしょう。
成長の上昇ラインというのは、決して直線を描きません。
よく言われることですが、螺旋状を描きます。
進展があり、停滞があり、後退(と見える)の状態がぐるぐると円を描いて、緩やかに上昇します。
このような上昇ラインは、歩むのに疲れを感じるようになると、しんどくなります。
時として、同じことを何度も繰り返しているような錯覚が生まれるからです。
そこで無理して直線を描いた上昇を図ると、墜落したり、エネルギーがぷつりと途絶えたりします。
なかなか忍耐が要ります。
仏教では、迷いの道を歩まぬために、六波羅蜜といって、六つの徳目を掲げました。
布施(与える)
持戒(自ら戒めを守る)
忍辱(耐え忍ぶ)
精進(一生懸命打ち込む)
禅定(心を落ち着かせる)
智慧(以上の五つの修養を積むと生まれる智慧)
翻ってみると、ぼくの場合はどれも習得以前の問題です。
徳目を守る気概さえ怪しいものです。
ということで、理の当然、何の成長も感じないような時を漫然と過ごすような羽目になるわけです。
因果応報、自分がした以上のことも、しなかったことも手に入れることはありません。
怠ければその結果がでますし、方向性を間違えてもその結果がでますし、頑張ればまたその結果が出るでしょう。
それだけのことなんですが、それだけの摂理さえも決心して守れないところが、凡俗です。
自らの凡俗を、凡俗と知りつつ精進するというところに人の尊さがあるんでしょうが、なかなか謙虚じゃありません。
厄介なことです。
気持ちが弛緩するとろくなことがありません。
ゆったりと羽を伸ばすのとは違って、いろいろなものが崩れていきます。
気が病んだ状態、病気になります。
いい意味での緊張感は、ぐうたら男には必要です。
なんだかものすごい低いレベルの話で、恐縮でした。
そんなわけで、今日は久しぶりに映画館にでも行ってこようと思っています。
映画館の暗がりというのは、ぼくには非常に心地よい空間です。
こういうときには、無理しても前に進めないので、心地よさを求めます。
心を健全に保つというのは、時と場合によってはなかなか工夫がいることです。
数日前には近くで雪も降ったそうです。
桜もいつ咲こうか、息を潜めている感じです。
ブログを書き始めて、気が付いたら一年を越していました。
何の成長も感じません(笑)
いろいろあったようでもなかったようでもあり、こうして月日が経っていくのでしょう。
何かを経験し、学び、消化しても、更に何かを経験し、学び、消化していきます。
そこに終わりはありません。
これでいいという成長の段階というのは、決して来ないものなのでしょう。
成長の上昇ラインというのは、決して直線を描きません。
よく言われることですが、螺旋状を描きます。
進展があり、停滞があり、後退(と見える)の状態がぐるぐると円を描いて、緩やかに上昇します。
このような上昇ラインは、歩むのに疲れを感じるようになると、しんどくなります。
時として、同じことを何度も繰り返しているような錯覚が生まれるからです。
そこで無理して直線を描いた上昇を図ると、墜落したり、エネルギーがぷつりと途絶えたりします。
なかなか忍耐が要ります。
仏教では、迷いの道を歩まぬために、六波羅蜜といって、六つの徳目を掲げました。
布施(与える)
持戒(自ら戒めを守る)
忍辱(耐え忍ぶ)
精進(一生懸命打ち込む)
禅定(心を落ち着かせる)
智慧(以上の五つの修養を積むと生まれる智慧)
翻ってみると、ぼくの場合はどれも習得以前の問題です。
徳目を守る気概さえ怪しいものです。
ということで、理の当然、何の成長も感じないような時を漫然と過ごすような羽目になるわけです。
因果応報、自分がした以上のことも、しなかったことも手に入れることはありません。
怠ければその結果がでますし、方向性を間違えてもその結果がでますし、頑張ればまたその結果が出るでしょう。
それだけのことなんですが、それだけの摂理さえも決心して守れないところが、凡俗です。
自らの凡俗を、凡俗と知りつつ精進するというところに人の尊さがあるんでしょうが、なかなか謙虚じゃありません。
厄介なことです。
気持ちが弛緩するとろくなことがありません。
ゆったりと羽を伸ばすのとは違って、いろいろなものが崩れていきます。
気が病んだ状態、病気になります。
いい意味での緊張感は、ぐうたら男には必要です。
なんだかものすごい低いレベルの話で、恐縮でした。
そんなわけで、今日は久しぶりに映画館にでも行ってこようと思っています。
映画館の暗がりというのは、ぼくには非常に心地よい空間です。
こういうときには、無理しても前に進めないので、心地よさを求めます。
心を健全に保つというのは、時と場合によってはなかなか工夫がいることです。
映画のなかで懸命に生きる人たちを見るってのは、
なんか最高の贅沢かもしれないね。