真冬に逆戻りした感じですね。
今時の本来の気候に戻ったとも言えますけど。
自分の娘の話で恐縮ですが、夜中に何度かお乳を欲しがって夜泣きします。
ぐうたらなぼくでもやはり目が覚めます。
妻が立ってミルクを用意している間、横でヒーヒー泣いている娘の顔を覗き込むと、にこっと笑います。
布団に寝ていても、歩行器に座っていても、おんぶされていても、顔が合えばにこっと笑います。
顔が合えば、にこって笑ってくれる人というのは、生まれてこの方、娘だけです。
そんな娘でも、もの心ついたら、例に漏れず父親がうざったくなるのだろうことは覚悟はしています。
でも、娘がいくつになろうとも、赤ん坊の時に、顔さえ合えばにこっと笑っていた娘の笑顔を忘れることはないのだろうと思います。
そういう瞬間があったことを、ぼくは忘れることはないのだろうと思います。
娘が成人する頃は、ぼくは爺さんです。
その頃、娘は過去のことよりも、自分の夢や希望や未来のことで頭と胸が一杯でしょう。
そんな娘をぼくは杖ついて寂しげに後ろから見ているのでしょうか。
ぼくはかなりわがままですから、おそらくしたいことをしているはずで、寂しげに見るということはないとは思うのですが。
赤ん坊を見ていると、人一人が生まれ、無事に育つということが本当に奇跡的なことであることに気が付きます。
生まれたての赤ん坊は、グニャグニャしてて、無防備で、抱く手を滑らせても、なにかに感染しても、すぐ死んでしまいそうです。
はいはいしだしたら、あちこちに頭をぶつけるわ、舐めまわすわで目が離せません。
歩き出したら、なおさら何もかもが危険物になります。
階段から落ちる、転んで後頭部を打つ、車道に飛び出す、もう心配したらキリがありません。
そんな死と隣り合わせの危険だらけの瞬間をことごとく切り抜けて、人は大人になっていきます。
ぼくなどもすっかり気づかなかったのですが、回りの人たちがどんな思いで自分の成長を見守っていてくれたのか、
改めて感謝しなければいけません。
自分のことのみで頭を一杯にし、異性を追いかけ、感謝どころか自分の環境に不平不満だらけで、そんな風に若い時を生きてきました。
自分がそんなふうだったから、娘がそうなっても偉そうに説教はできないでしょう。
そうやって、親と子の関係は循環するのでしょう。
親バカという言葉があります。
子を持ったら初めて人は心の底からバカになれるのでしょう。
ただ笑ってくれるだけで、心の底から嬉しくなる。
それがバカなら、バカ万々歳です。
できるなら、もう一歩進んで、バカを極めるといいかもしれません。
太陽が照って、嬉しくなる。
木々の葉の揺れるのを見て、嬉しくなる。
街角の何気ない家族連れを見て、嬉しくなる。
なんでもかんでも、嬉しくなる。
そうなると、無害、無敵のバカになれます。
まぁ、こうやってたわいもないことを夢想してニヤニヤするのを、それこそ親バカというのでしょう。
今時の本来の気候に戻ったとも言えますけど。
自分の娘の話で恐縮ですが、夜中に何度かお乳を欲しがって夜泣きします。
ぐうたらなぼくでもやはり目が覚めます。
妻が立ってミルクを用意している間、横でヒーヒー泣いている娘の顔を覗き込むと、にこっと笑います。
布団に寝ていても、歩行器に座っていても、おんぶされていても、顔が合えばにこっと笑います。
顔が合えば、にこって笑ってくれる人というのは、生まれてこの方、娘だけです。
そんな娘でも、もの心ついたら、例に漏れず父親がうざったくなるのだろうことは覚悟はしています。
でも、娘がいくつになろうとも、赤ん坊の時に、顔さえ合えばにこっと笑っていた娘の笑顔を忘れることはないのだろうと思います。
そういう瞬間があったことを、ぼくは忘れることはないのだろうと思います。
娘が成人する頃は、ぼくは爺さんです。
その頃、娘は過去のことよりも、自分の夢や希望や未来のことで頭と胸が一杯でしょう。
そんな娘をぼくは杖ついて寂しげに後ろから見ているのでしょうか。
ぼくはかなりわがままですから、おそらくしたいことをしているはずで、寂しげに見るということはないとは思うのですが。
赤ん坊を見ていると、人一人が生まれ、無事に育つということが本当に奇跡的なことであることに気が付きます。
生まれたての赤ん坊は、グニャグニャしてて、無防備で、抱く手を滑らせても、なにかに感染しても、すぐ死んでしまいそうです。
はいはいしだしたら、あちこちに頭をぶつけるわ、舐めまわすわで目が離せません。
歩き出したら、なおさら何もかもが危険物になります。
階段から落ちる、転んで後頭部を打つ、車道に飛び出す、もう心配したらキリがありません。
そんな死と隣り合わせの危険だらけの瞬間をことごとく切り抜けて、人は大人になっていきます。
ぼくなどもすっかり気づかなかったのですが、回りの人たちがどんな思いで自分の成長を見守っていてくれたのか、
改めて感謝しなければいけません。
自分のことのみで頭を一杯にし、異性を追いかけ、感謝どころか自分の環境に不平不満だらけで、そんな風に若い時を生きてきました。
自分がそんなふうだったから、娘がそうなっても偉そうに説教はできないでしょう。
そうやって、親と子の関係は循環するのでしょう。
親バカという言葉があります。
子を持ったら初めて人は心の底からバカになれるのでしょう。
ただ笑ってくれるだけで、心の底から嬉しくなる。
それがバカなら、バカ万々歳です。
できるなら、もう一歩進んで、バカを極めるといいかもしれません。
太陽が照って、嬉しくなる。
木々の葉の揺れるのを見て、嬉しくなる。
街角の何気ない家族連れを見て、嬉しくなる。
なんでもかんでも、嬉しくなる。
そうなると、無害、無敵のバカになれます。
まぁ、こうやってたわいもないことを夢想してニヤニヤするのを、それこそ親バカというのでしょう。
とにかくお体、大切に!!
・・・言う意味からして少し遅くはなりましたが、父としての愛情に目覚められたあなたに乾杯!です。
お嬢ちゃんの笑顔を見たらその時の気持ちを、今は亡きおかぁさまの気持ちに置き換えてみてください。
きっと今も住む世界は違ってもあなたの事を祈っておいでだと思いますよ。
ありがとうございます。
近いうちに煙草も止めて、元気で生きます。
>かなりやさん
いつもあたたかいお言葉、感謝です。
そうですね、近いうちに墓参りに行きたいです。