大学の時に付き合っていた女性が山岳部でした。
穂高を縦走したとか、白馬岳に行ったとか、そういう話を聞かされました。
とても楽しそうに話しました。
なにか自分の体験していないフィールドで、満喫している様子を見てとても悔しく思いました。
ぼくも若かったのです。
それからです、毎週狂ったように山に登り始めたのは(笑)
週末になるとあちこちの山に登りました。
登ってみると、それはそれはその魅力の虜になりました。
どの山も個性的で、それぞれの雰囲気と世界を持っていました。
そのうちに彼女が登ったことのない山まで登るようになりました。
その山がいかに素晴らしいかを得意げに彼女に説いたものです。
そういうこともあって、彼女とぼくとの間に次第にすきま風が吹き始めました(笑)
でも、山登りはそのまま続けました。
なんていうか、なくてはならないものになっていきました。
正直なところ、20年ほど前に九州に来たときは、登りたいと思うような山がなくてがっかりしました。
九州の山を舐めきったわけですね(笑)
それから10年ほど過ぎて、再び山登りがしたくなり、身近の山に登ってみました。
体力的にはそれで目一杯になっていました。
そしてそれはそれなりに素晴らしい経験でした。
まぁ、そんなものです。
もう現況では、剱岳にも、穂高にも登る自信はありません。
その時期時期に、人は登るべき山というのがあるような気がします。
高い山に登ろうとする時期、美しい山に登ろうとする時期、心穏やかになる山に登ろうとする時期。
どんな山に登ろうとも、かけがえのない経験を得られます。
楽しさばかりが尊い経験ではありません。
苦しさや、はかなさや、悲しみさえも、すべてが尊い経験です。
すべてが尊い経験だと思うためには、まっさらな謙虚さが必要なのかもしれません。
近いうちに雪が降り始めるでしょう。
粉雪のようなまっさらな心境になれたら、さぞかしこの世は有り難いでしょう。