風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

焦点

2011年12月19日 | 雑感

日曜日に当店のクリスマス・パーティーが終わり、やっと一息です。
一息つき終わったら、間もなく年末です。
こんなペースで時間が進んだら、考えるヒマも何もあったものではありません。
まぁ、あれこれつまらぬことを考えない方がいいのかも知れませんが。

政府がわけの分からぬ原発事故収束宣言を出してみたり、韓国大統領が解決済みの慰安婦問題を大上段に振りかざしてみたり、
中東で暴動が激化してきてみたり、ロシアの海洋石油施設が沈没してみたり、何が何だか分かりません。
どこにも時空を貫く筋道というのが立っておりません。
誰かが何かをコントロールするという機能が世界中から失われているような気がします。
そういう混乱の中で今日も明日もハゲタカファンドは世界中の豊かさと安定を食い荒らしていくわけです。

ここ数週間、心の中に得体の知れない不安が宿っています。
ぼく自身としては不安でいる状態というのはとても嫌いなのですが、払拭しきれないでいます。
何が原因なのか、何に対する不安なのかも分かりません。
分からないからこそ不安なのかもしれません。

おそらくはその不安の発信源は自分自身の中にある「揺れ」です。
何故に揺れているのか。
自分の安楽のためだけの生き方から、誰かのために生きるということを本当に出来るのか、したいのか。
誰かというのは誰なのか。
そしてそれは誰かに望まれていることなのか。
そういうことを考え出したら、答えは渦巻きになって、カオスに呑み込まれます。

シンプルに生きたいからこそ、ぼくは「禅」に参じます。
禅の道に本当の意味で到達していないが故に、かえって日常が複雑になっているかもしれません。
シンプルというのは情念の「太さ」が必要です。
繊細な心ではシンプルな道は歩けません。
周囲に流れる風景に常に心が惑わされてしまうからです。

禅の道は、ある意味捨て切る道です。
自分の心の動きさえ、捨て切ったところに開ける境地に遊ぶ世界です。
在家であるぼくにとっては、理念における「捨て切り」は大変に魅力的なものです。
しかし、現象世界では、人は人であり、損得は損得であり続けます。
その現象世界を相手にするのが、商売です。
なかなかしんどい心理的手続きを要します。

この一月ほどで4キロ痩せました。
別に痩せようと思って痩せたわけではありません。
なんだかエネルギーが膨大に漏れていっているような気がしてなりません。
「揺れ」というのは焦点が定まらないことです。
焦点が定まらないこの苦しさを、敢えて経験することに価値を起きたいとは思うのですが、なかなか上手く行きません。

焦点というのは目の前にあるものなのでしょうか、それとも探すものなのでしょうか。
よく分からないままに、持ち上げたこの足をどこに向けて下ろしていいものやら、混乱が続きます。