風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

広場

2011年06月05日 | 雑感
6時半を過ぎていますがまだ外は明るいです。
6月は一番日が長い。
こんな日は広場に面したカフェに座って2時間くらいおしゃべりするのがお洒落でしょう。
東京に路面に面した野外カフェが出来はじめの頃、テーブルに座っているカップルたちが妙に緊張していたのを覚えています。
日本には広場がありませんから、車のブースカ通る騒がしい道沿いのカフェにならざるをえません。
通り過ぎる人々もショッピングや観光というよりも、仕事関係であったり、通勤であったりします。
さすがのカップルも緊張せざるをえなかったと思います。
今はだいぶこなれてきているのだとは思いますが。

ヨーロッパの街というのは、広場広場を網の目のような道で繋いでいます。
広場ごとにカフェがあり、噴水があり、教会があったりします。
そして広場ごとに特色があり、集まる人々の人種が違ったりします。
人種というのは国籍とか肌の色の違いと言うことではありません、念のため。

歴史の浅いアメリカの古い町にも、頑張って広場が作られました。
マディソン・スクェアとか、ワシントン・スクェアとか、スクェアというのは広場のことです。
スクェアがあるところには人々が集まりす。
なにをするでもなく、行き交う人々を眺めます。
季節の移り変わりを感じたりもします。
四季の移ろいをどの国の人も感じて味わっています。

日本でも縄文時代や弥生時代には広場を中心に集落が形成されていたはずです。
いつ頃から日本の街から広場というものがなくなっていったのでしょうか。
おそらくは戦国時代の戦術的な問題で、細い路地だらけの街並みにしていったのだと思います。

ともあれ、今の日本には広場という機能を果たす空間はなくなってしまったように思います。
そのかわり、無味乾燥な滑り台やらなんやらセンスの乏しい遊具が標準装備の公園はあちらこちらにあります。
大人の空間ではありませんね。
かといって、子供が喜んで行きたいと思うようなところでもない気がします。

なにを言いたいのかというと、四季の風情の豊かさを誇る日本の国民が、四季を十分に楽しみ味わっているのだろうかという疑問です。
人はお金を出してまで、他国の自然の風景を愛でに行くものです。
足下を見れば、世にも希なる四季折々の風景が広がっているのが日本でもあります。
なんとか楽しむ仕組みを作っていけたらいいなと思うまでです。

なにも名勝景観地を作ろうというのではありません。
その土地土地に季節ごとに渡る風を感じられるところがあればそれでいいのですが。