なんか世界中のあちこちが大変なことになっています。
ロシアでは耕作可能地の3分の一が火災で灰になったというし、中国、インド、バングラデッシュ、欧州では洪水や土石流だし、
アメリカは油田流出という未曾有の災害だし、救援隊がいくらあっても足りないような状況なんではないでしょうか。
災害はさらにその規模を増大させていくような状況みたいで、その経済的な打撃も深刻化しそうです。
食料を輸入に頼る日本は当然その方面での多様な対策を考えておく必要があります。
一番良いのは、この際に一気に国家的プロジェクトとして食糧自給生産倍増計画を立てたりなんかすれば面白いと思うのですが。
昨日チラッと見たテレビで見たのですが、農林水産省の官僚だった人が退職まであと二年というところで役所を辞め、
牧場経営に身を投じました。
敷地内の牧草だけで餌を賄い、一切の輸入飼料は使わず、糞尿は再利用して肥料として牧草地に撒きます。
完全な自己完結型の牧場形態を数年で作り上げたそうです。
牛たちは数ヶ月、牧場内のあちこちで野生の状態で放牧されます。
昼も夜も広大な牧場の好きなところで草を食み、寝、子供を産みます。
そんな放任状態でも、牧場主が姿を見せると、あちこちからわらわらと牛たちが寄ってくるのが印象的でした。
青森の木村さんのリンゴ園の再生の話もそうなのですが、もう徹頭徹尾自然のメカニズムを信頼尽くすということなのだと思います。
土が強くなるためには、微生物も昆虫も細菌も、みな必要なわけです。
ところが今の農業は、作物以外はみな不必要なものとして排除しようとします。
価格競争に晒され、見た目を重視するマーケットの需要に応えなければいけないし、農家の方が悪いわけでは決してありません。
人間の考えることなどはるかに凌駕した合理的効率的システムを備えているのが、自然のシステムだと気づきなおせばいいのだと思います。
虫を見ると大声で叫んで叩き殺そうという人たちが増えました。
そういう親を見て育った子供たちは、観察する前にやはり虫を気持ち悪がり、親に殺してもらおうとします。
そういうふうに育てば、虫の食った跡のある野菜や果物を食べるのは抵抗があるでしょう。
でも、その抵抗感を無条件に容認していけば、やはり畑や田んぼには大量の農薬を撒かざるを得なくなるわけです。
この先も、街という街をコンクリートやアスファルトで覆いつくしていくというライフスタイルが持続できるとも思いませんし、
それが快適だとも思いませんし、傍若無人の無知のなせる業としか思われません。
自然と共存するというのは、花やきれいな水辺というようなものだけでなく、虫や細菌や毒蛇などとも共存するということです。
その覚悟を今持ったらいいのです。
ハゲタカファンドが世界中の金融資産を食い荒らそうと、闇の勢力があちこちで紛争を企もうと、巻き込まれる必要はさらさらありません。
おそらくこれからは、日本に潤沢に湧き出る真水の価値というのが相当上がっていく気がします。
世界的規模で水質汚染という問題がクローズアップされていくような気がします。
麗しき瑞穂の国として、堂々と豊かな国でいようと思えば入れる国が日本だと思います。
不安や恐怖でさんざん煽られるでしょうが、そんなプロパガンダには馬耳東風で、少しの地面があればキュウリでもトマトでも植えてみましょう。
土地を耕すということの複雑で深遠なシステムを味わい、豊富に実る日本の国土の豊かさに感謝し、生きるということの本来の慶びの道から
決して逸れない訓練を開始しましょう。
ぼくもある人に畑を少し貸してもらえそうです。
怠け者ですが、始めてみようかと思って、農業を始める人のための本を何冊かアマゾンに注文しました。
農業を本業にするのはいろいろな制約やら、体力の問題やら、なんやらかんやら問題が山積ですが、
重要なのは収穫の多寡、優劣ではなく、実際に土に触れて、自然のシステムに慣れ親しんでいくということなんだとお思います。
自然は優しいばかりでもありませんし、厳しいばかりでもありません。
その両方があって、はじめて優しさが厳しさであり、厳しさが優しさであるような、そんな自然のあり方に触れるわけです。
土いじりをしている人が洋服のデザインをする、医療をする、株式を売買する、学校で教える、物を売る、なんかレベルが深化しそうな気がします。
そういう国になれば、発想がますます豊かになり、無理もせず、卑屈にもならず、楽しい社会になりそうな気がします。
問題は今の政治家ですかね。
朝の10時に酔っ払ってコンビニに突っ込む。
どこの誰よりも不真面目な輩が政治家でございと大きな顔をしやがっています。
まぁ、そういう人たちの流れは、そういう人たちの流れに任せましょう。
昨日も近場の海に行きました。
娘が一休みしている間にスキューバダイビングの真似事をしましたが、魚の姿も思った以上に見れました。
たしかに、以前に比べたら日本の自然はどこもかしこも荒廃しているでしょう。
なぁに、大丈夫です。
ただ、みんなが、なぁに大丈夫だと思って何かを始めないことには大丈夫ではないのも確かなことです。
土に触れましょう。
海や川に触れましょう。
森の中を散歩しましょう。
それだけで、大丈夫な道を歩き始められます。
ロシアでは耕作可能地の3分の一が火災で灰になったというし、中国、インド、バングラデッシュ、欧州では洪水や土石流だし、
アメリカは油田流出という未曾有の災害だし、救援隊がいくらあっても足りないような状況なんではないでしょうか。
災害はさらにその規模を増大させていくような状況みたいで、その経済的な打撃も深刻化しそうです。
食料を輸入に頼る日本は当然その方面での多様な対策を考えておく必要があります。
一番良いのは、この際に一気に国家的プロジェクトとして食糧自給生産倍増計画を立てたりなんかすれば面白いと思うのですが。
昨日チラッと見たテレビで見たのですが、農林水産省の官僚だった人が退職まであと二年というところで役所を辞め、
牧場経営に身を投じました。
敷地内の牧草だけで餌を賄い、一切の輸入飼料は使わず、糞尿は再利用して肥料として牧草地に撒きます。
完全な自己完結型の牧場形態を数年で作り上げたそうです。
牛たちは数ヶ月、牧場内のあちこちで野生の状態で放牧されます。
昼も夜も広大な牧場の好きなところで草を食み、寝、子供を産みます。
そんな放任状態でも、牧場主が姿を見せると、あちこちからわらわらと牛たちが寄ってくるのが印象的でした。
青森の木村さんのリンゴ園の再生の話もそうなのですが、もう徹頭徹尾自然のメカニズムを信頼尽くすということなのだと思います。
土が強くなるためには、微生物も昆虫も細菌も、みな必要なわけです。
ところが今の農業は、作物以外はみな不必要なものとして排除しようとします。
価格競争に晒され、見た目を重視するマーケットの需要に応えなければいけないし、農家の方が悪いわけでは決してありません。
人間の考えることなどはるかに凌駕した合理的効率的システムを備えているのが、自然のシステムだと気づきなおせばいいのだと思います。
虫を見ると大声で叫んで叩き殺そうという人たちが増えました。
そういう親を見て育った子供たちは、観察する前にやはり虫を気持ち悪がり、親に殺してもらおうとします。
そういうふうに育てば、虫の食った跡のある野菜や果物を食べるのは抵抗があるでしょう。
でも、その抵抗感を無条件に容認していけば、やはり畑や田んぼには大量の農薬を撒かざるを得なくなるわけです。
この先も、街という街をコンクリートやアスファルトで覆いつくしていくというライフスタイルが持続できるとも思いませんし、
それが快適だとも思いませんし、傍若無人の無知のなせる業としか思われません。
自然と共存するというのは、花やきれいな水辺というようなものだけでなく、虫や細菌や毒蛇などとも共存するということです。
その覚悟を今持ったらいいのです。
ハゲタカファンドが世界中の金融資産を食い荒らそうと、闇の勢力があちこちで紛争を企もうと、巻き込まれる必要はさらさらありません。
おそらくこれからは、日本に潤沢に湧き出る真水の価値というのが相当上がっていく気がします。
世界的規模で水質汚染という問題がクローズアップされていくような気がします。
麗しき瑞穂の国として、堂々と豊かな国でいようと思えば入れる国が日本だと思います。
不安や恐怖でさんざん煽られるでしょうが、そんなプロパガンダには馬耳東風で、少しの地面があればキュウリでもトマトでも植えてみましょう。
土地を耕すということの複雑で深遠なシステムを味わい、豊富に実る日本の国土の豊かさに感謝し、生きるということの本来の慶びの道から
決して逸れない訓練を開始しましょう。
ぼくもある人に畑を少し貸してもらえそうです。
怠け者ですが、始めてみようかと思って、農業を始める人のための本を何冊かアマゾンに注文しました。
農業を本業にするのはいろいろな制約やら、体力の問題やら、なんやらかんやら問題が山積ですが、
重要なのは収穫の多寡、優劣ではなく、実際に土に触れて、自然のシステムに慣れ親しんでいくということなんだとお思います。
自然は優しいばかりでもありませんし、厳しいばかりでもありません。
その両方があって、はじめて優しさが厳しさであり、厳しさが優しさであるような、そんな自然のあり方に触れるわけです。
土いじりをしている人が洋服のデザインをする、医療をする、株式を売買する、学校で教える、物を売る、なんかレベルが深化しそうな気がします。
そういう国になれば、発想がますます豊かになり、無理もせず、卑屈にもならず、楽しい社会になりそうな気がします。
問題は今の政治家ですかね。
朝の10時に酔っ払ってコンビニに突っ込む。
どこの誰よりも不真面目な輩が政治家でございと大きな顔をしやがっています。
まぁ、そういう人たちの流れは、そういう人たちの流れに任せましょう。
昨日も近場の海に行きました。
娘が一休みしている間にスキューバダイビングの真似事をしましたが、魚の姿も思った以上に見れました。
たしかに、以前に比べたら日本の自然はどこもかしこも荒廃しているでしょう。
なぁに、大丈夫です。
ただ、みんなが、なぁに大丈夫だと思って何かを始めないことには大丈夫ではないのも確かなことです。
土に触れましょう。
海や川に触れましょう。
森の中を散歩しましょう。
それだけで、大丈夫な道を歩き始められます。