風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2009年12月09日 | 雑感
昨夜は道場の忘年会で、日本酒をしこたま飲み過ぎました。
今日の夕方までお酒が残っている感じでした。
まぁ、あいかわらずです。

峠というのは、昔の人がその語にこめた思いは、今の人が思うよりもずっと重たいものがあったのだと思います。
峠は国境であったり、村境であったり、それを越えれば生まれ育った村とは違う世界に踏み入れることだったはずです。
国境がたやすくトンネルで貫通されてしまうような川端康成の昭和の時代とは違います。

峠に立ち、振り返れば懐かしい故郷があり、前を見やれば未知の世界が広がっている。
いろいろな意味で大きな岐路が峠であったのだと思います。
出世を望むのかなんなのかは知りませんが、生まれ育った集落を出るというのは、昔は未知の世界に飛び込むことだったに違いありません。
大いなる野望や勇気や信念がさぞかし必要だったことでしょう。

東北、越後、あるいは九州辺りから京に出る、江戸に出るとなれば、それこそ数え切れない峠を越えて行くわけです。
言葉も違い、身なりも違い、風俗も違ってきます。
心細さ、寂しさ、不安が襲ってきます。
それでも歯を食いしばって前に進むばかりです。

峠を越えるたびに、越し方を思い、行く末を思ったことでしょう。
徒歩で移動すると思えば、日本は決して狭い国ではありません。
峠ひとつ隔てて風土風俗植生が変わるということもありえます。

今は飛行機で日本どころか世界中どこにでも行けますが、昔の人のような緊張感やはちきれんばかりの緊張感には欠けるでしょう。
フランスに行って、ルーブルとエッフェル塔を見て観光客相手のフランス料理を食べたところで、なんになるわけでもありません。
一度限りの人生を切り開かんと、自分の足で峠を越え度胸や覚悟や高揚感にはとうてい比べるべくもありません。

メディアが煽る流行の生きる道筋などは、無責任に数年で消え去るのが常です。
自分の道筋を見出し、自分の峠を仰ぎ、黙々とそれを超えて、まだ見たことのない光景を目の当たりにして心を打ち震えさせればよいです。

今の時代、人はどこにでも行けます。
でも、どこにでも行けるのにもかかわらず、案外と人は一所にしがみ付いているものです。
旅する勇気と目的を持てれば幸いです。