風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

臘八接心

2009年12月07日 | スピリチュアル
徹夜の坐禅会は8柱坐(1柱坐が50分ほど。長い線香が一本燃え尽きる時間)坐りましたから、最後辺りはさすがに足が悲鳴を上げました。
間間に休憩が入りましたから、何とか最後まで坐ることができました。
年寄りたちは足の痛さよりも寒さが堪えているようでした。

坐禅そのものは、いくら坐ったからといってなんになるものでもありません。
なんになるかんになるという一切の計らいを捨てて、そのままありのままになりきるだけのことです。
凡夫が凡夫になりきるだけです。
こう口で言おうとすると、たちまち嫌味になります。
だから坐るしかないというところにまた戻るわけです。

丁度今のこの時期は、禅寺では臘八接心(ろうはちせっしん)とよばれる厳しい修業が行われる期間です。
お釈迦様が12月8日にお悟りを開 かれたのを記念して、12月1日から8日まで、ぶっ通しで坐り続けます。
聞くところによりますと、この期間は布団で寝るのも許されないとか。

想像するだけでも壮絶です。
心身とも疲労困憊でふらふらになりながらもひたすら坐り続けるわけです。
僧堂という俗世と隔絶した世界で、修業仲間とともに無言のうちに励ましあって行ずるからこそ可能なのかもしれません。

まぁ、そういう修業を完遂し終えたときの心境はどんなものなのでしょうか。
どこまでも晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れしているんでしょうか。