今、日月神示(ひふみ神示)全文を読んでいます。
中矢さんの解説本を10数冊は読んでいたのですが、改めて神示自体の全文を読んでいるとまた別な印象もあります。
たった一つの存在からのメッセージではなく、いくつかの存在からのメッセージの複合体のような本なような気がします。
神示自体にもハッキリそう書いてあります。
「天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。」 天つ巻 第二十六帖
これは神の世界では厳密に言えば一人の神様ではなく、複数の神様からの神示なのだと明示しながらも、
メッセージの方向性としては統一性を保っているものだということを示しているのだと思います。
その辺りの話はややこしいので置いといて、おやと驚いたのが以下の箇所です。
「これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元に帰るのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えてない改造ざから、
臣民界のみでなく神界もひっくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分からんのぞ、
九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジャンになるであろうがな、富や金を返したばかりでは、
今度は役に立たんぞ、戦ばかりではないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、
つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分かりては居らんのざぞ、星の国、星の臣民今はえらい気張り様で、
世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。」 天つ巻 第二帖
これだけの文章でも、いろいろ解説したくなるようなところが満載なのですけれども、特にぼくが注目したいのは次の箇所です。
「星の国、星の臣民今はえらい気張り様で、世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。」
というのは、プレアデスとかハトホルとかオリオンとかバシャールとか銀河連合(だっけ?)とかの、いわゆる違う星星の存在からの
メッセージと称する本が書店の精神世界のコーナーには溢れています。
それらの本にはなるほどなぁと思うようなところもたくさんあるのですが、どうも最終的な決め手に欠けているような気がぼくはしていました。
なにが欠けているのかということを突き詰めますと、またしても(異星人なり異次元存在なりの)外部からのガイダンスを信頼し、
自分を解放しなさいという所に行き着くからです。
別に悪くない考えのように見えますが、今の時代の人間のテーマは、「外部から」のガイダンスを勇気を持って断ち切り、
一人ひとりの内部に「元々」持っていた光を一人ひとりが見出すことだと思っているぼくには、どうも納得しがたい何かがあったのです。
で、岡本天明が日月神示を書いていた終戦前後の頃には、もちろんプレアデス星人からのメッセージなどは知られてはいませんし、
そういうメッセージを受信する人もいませんでした。
岡本天明自身も、このメッセージの意味するところを理解することは不可能だったに違いありません。
いろいろな人が言っていますが、やはりこの神示は今の時代にこそ向けられて書かれたものだという傍証にはなるでしょうか。
日月神示を知らない人にとっては何のことか皆目分かりませんね。
大本教の開祖の出口ナオに降りたウシトラノコンジンという神様と同系統の神様が、終戦前後に岡本天明という人間を通して、
この世に下ろした神示ということです。
神示だけあって、言葉の表面をなぞっただけではその深意がなかなか分かりません。
神事でも繰り返し言ってますが、「取り違い(都合のいい勘違い)」と「鼻高か(分かったという高慢さ)」を厳しく戒めています。
日月神示に関しては、まだまだ語りたいこともあるのですが、今日はこの辺で。
中矢さんの解説本を10数冊は読んでいたのですが、改めて神示自体の全文を読んでいるとまた別な印象もあります。
たった一つの存在からのメッセージではなく、いくつかの存在からのメッセージの複合体のような本なような気がします。
神示自体にもハッキリそう書いてあります。
「天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。」 天つ巻 第二十六帖
これは神の世界では厳密に言えば一人の神様ではなく、複数の神様からの神示なのだと明示しながらも、
メッセージの方向性としては統一性を保っているものだということを示しているのだと思います。
その辺りの話はややこしいので置いといて、おやと驚いたのが以下の箇所です。
「これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元に帰るのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えてない改造ざから、
臣民界のみでなく神界もひっくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分からんのぞ、
九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジャンになるであろうがな、富や金を返したばかりでは、
今度は役に立たんぞ、戦ばかりではないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、
つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分かりては居らんのざぞ、星の国、星の臣民今はえらい気張り様で、
世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。」 天つ巻 第二帖
これだけの文章でも、いろいろ解説したくなるようなところが満載なのですけれども、特にぼくが注目したいのは次の箇所です。
「星の国、星の臣民今はえらい気張り様で、世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。」
というのは、プレアデスとかハトホルとかオリオンとかバシャールとか銀河連合(だっけ?)とかの、いわゆる違う星星の存在からの
メッセージと称する本が書店の精神世界のコーナーには溢れています。
それらの本にはなるほどなぁと思うようなところもたくさんあるのですが、どうも最終的な決め手に欠けているような気がぼくはしていました。
なにが欠けているのかということを突き詰めますと、またしても(異星人なり異次元存在なりの)外部からのガイダンスを信頼し、
自分を解放しなさいという所に行き着くからです。
別に悪くない考えのように見えますが、今の時代の人間のテーマは、「外部から」のガイダンスを勇気を持って断ち切り、
一人ひとりの内部に「元々」持っていた光を一人ひとりが見出すことだと思っているぼくには、どうも納得しがたい何かがあったのです。
で、岡本天明が日月神示を書いていた終戦前後の頃には、もちろんプレアデス星人からのメッセージなどは知られてはいませんし、
そういうメッセージを受信する人もいませんでした。
岡本天明自身も、このメッセージの意味するところを理解することは不可能だったに違いありません。
いろいろな人が言っていますが、やはりこの神示は今の時代にこそ向けられて書かれたものだという傍証にはなるでしょうか。
日月神示を知らない人にとっては何のことか皆目分かりませんね。
大本教の開祖の出口ナオに降りたウシトラノコンジンという神様と同系統の神様が、終戦前後に岡本天明という人間を通して、
この世に下ろした神示ということです。
神示だけあって、言葉の表面をなぞっただけではその深意がなかなか分かりません。
神事でも繰り返し言ってますが、「取り違い(都合のいい勘違い)」と「鼻高か(分かったという高慢さ)」を厳しく戒めています。
日月神示に関しては、まだまだ語りたいこともあるのですが、今日はこの辺で。