風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

妙味

2009年12月28日 | スピリチュアル
今年も残すところ後数日になりました。
今年を振り返ると、何かをしたような、何もしていないような、どうとでも取れるいつもの曖昧な年末を迎えています。
曖昧な中にもほのかな満足感があれば及第点ではないかと思っています。

特別なイベントにも、些細な瞬間にも、祝福が宿り、喜びが宿っているはずです。
曇るのは常に自分の心ですから、心さえ青空のように晴れ渡っていたら、どんな瞬間でもすがすがしい喜びに溢れているのでしょう。

心は放っておくとわけなく曇ります。
それでも放っておくと、曇りが凝って泥のようになっていきます。
それでも放っておくと、重たい石のような黒々とした塊になって、心に根付きます。
人の心はなかなか厄介です。

心がなければ喜びを感じられませんが、喜びを曇らせ、疑いを起こさせ、絶望するのも心です。
青空のように晴れ渡った心で生きていければ、この世が天国です。
世の中が曇るのではありません。
人の心が曇るのです。

そういう心の曇りを取ることがいわゆる禅の道です。
調身調息といって、身を整え、息を整えて、心の曇りを吹き払います。
何かのためとか、悟りを開くためとかいうのも、心の曇りの元ですから一緒に吹き払います。
「あるがまま」の妙味を味わいます。

大切なのは「妙味」です。
悲しいも、苦しいも、辛いも、恐れも、生きるうえでの妙味です。
風の林を抜ける音も、雲の流れ行くさまも、夕暮れの大気の移り変わる色合いも、人の千変万化する表情も、四季折々の花のたたずまいも、
すべては大生命の妙味です。

どんなことにも、人にも、瞬間にも、大生命の妙味があります。
その妙味を味わい尽くせば、この世に生きた甲斐があります。
それだけのことなのでしょう。
自分の心を晴らすのは自分しかいないということが肝要です。
誰かや何かに頼ると、その時だけ心が晴れたような気がするだけです。
気分のよくなる映画を何本見たところで、自分の人生は自分の人生のままであり続けます。

自分の人生から妙なる味わいを感じられるようになれば、四の五のが気にならなくなります。
味わい尽くしましょう。