風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

新宿

2009年09月05日 | 雑感
18、9歳のころ、新宿の某有名居酒屋でアルバイトをしていました。
そこの店長が育ちのよい少年をそのまま大人にしたような、色白でハンサムな人でした。
そのころ彼は20台の中頃だったと思いますが、声を荒げることもなくいつもニコニコしている人でした。
仕事中しょっちゅう生ビールを盗み飲んでいたぼくにも小言ひとつ言ったことはありません。
そういう店長の人柄もあって、みな仲良く働いていました。

同じ東北の出身ということもあり、何度か一緒に飲みに行ったりもしました。
何のついでか忘れましたが、一回だけ彼のアパートに遊びに行ったことがありました。
たしか下落合辺りの薄暗いさびしい通りに面したアパートだったような気がします。
彼が中原中也という詩人が大好きであることをはじめて知りました。
何篇か中也の詩を読んでくれました。

 「雪の宵」
      青いソフトに降る雪は
      過ぎしその手か囁(ささや)きか  白秋

ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか
  
  ふかふか煙突煙(けむ)吐いて、
  赤い火の粉も刎(は)ね上る。

今夜み空はまつ暗で、
暗い空から降る雪は……

  ほんに別れたあのをんな、
  いまごろどうしてゐるのやら。

ほんにわかれたあのをんな、
いまに帰つてくるのやら

  徐(しづ)かに私は酒のんで
  悔と悔とに身もそぞろ。

しづかにしづかに酒のんで
いとしおもひにそそらるる……

  ホテルの屋根に降る雪は
  過ぎしその手か、囁きか

ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。

詩集というものを読んだことのないぼくにとっては、新鮮な驚きでした。
彼の部屋の壁には真っ赤なワンピースが吊るされていました。
誰のだと尋ねると彼女のだということでした。
さらに詮索して彼女のことを尋ねました。
なにしろぼくも10代でしたから、男と女の話には無条件で好奇心満々です。
彼女が3歳年上であること。
夜は水商売をしていて部屋にはいないこと。
彼女が大好きだということ。
そんなことを彼はテレもせずに教えてくれました。

ぼくは自分の彼女が水商売をしていて平気だという心の境地がさっぱり分かりませんでした。
そのあたりの事情をなおも食い下がって訊こうとしましたが、さすがに彼は黙って微笑んでいました。

中原中也の名前を何かで目にするたびに彼の顔を思い出します。
まっすぐに朗らかに、薄汚い新宿で生きていました。