風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

シエスタ

2008年01月10日 | 雑感
何かで読んだ話です。

スペインの田舎の漁港にバカンスで立ち寄ったアメリカ人のビジネスマンがいました。
漁師たちが午前中捕れるだけ魚を捕って、市場に売りに行った後は、シエスタを取って、夕方になると仲間で集まり、
ワインを飲みながらギターを弾いたりして、夜遅くまでわいわい遊ぶ姿を見て大変驚きました。
アメリカ人はハーバードの経営科を出ていました。

アメリカ人「なんでもっと働かないんだ?」
漁師「これ以上働いてどうなる?」
アメリカ人「何を言ってるんだ!もっと働いて大型の漁船を買って、大量の魚を取ればいいじゃないか!」
漁師「大量の魚を取ってどうする?」
アメリカ人「なんてこった!魚をうんと捕って、加工工場を建てて、人を雇って、左団扇で暮らせばいいじゃないか!」
漁師「ふ~ん。そんなことをしてなんになる?」
アメリカ人「うんとお金を儲けて引退したら、寝たいときに寝られるし、毎日楽器でも弾いて遊んで暮らせるじゃないか!」

まぁ、こんなのが過熱した資本主義の愚かさです。
金を儲けるために、金に時間も心も使いまわされる。
そういうアメリカ的な経営手法がすっかり日本にも定着した観があります。
金の濁流が他人の金を巻き込んで制御不可能な世界中のありとあらゆる方向に暴走していく。

どうも市場にお金が回っていませんね。
金融関係の金が一部のルートをグルグルと回っているだけのような気がします。
旧郵便局のお金が狙われていたというのは本当だったような気がしてなりません。
旧郵便局のお金も運用されるわけですから、日本の金融機関を通してでもいくらでも海外に流出させる仕組みは作れます。
つまり、日本国内の投資されないで、海外に投資させようと思えばいくらでも出来る仕組みです。

グローバル化の掛け声とともにそういう仕組みが出来てしまった現実があります。
ヨーロッパ諸国などはそういうところに非常に敏感かつしたたかですから、防衛手段を講じるんでしょうが、
日本は見事なまでに無防備な感じです。
グローバリズムという資本主義の怪物に参加するのなら、無防備で参入すればあっという間に食い尽くされます。
その点を経済界や政界の人たちは知っていていてこの有様なのか、知らないのか。

でも、愚痴を言うつもりはないです。
偶然はないというのは、悪い事態でも偶然はないと思うのが筋です。
これも何かの必要な過程だと心得た方が、次の手を打てるでしょう。

なかなか大変ですが、お互い淡々堂々と道を歩いていきましょう。