風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2008年01月04日 | スピリチュアル
明けましておめでとうございます。
あっという間の正月休みでした。
娘がまだ幼いので遠出もせず、本を読んだり酒を飲んだりで過ごしました。

毎日ベランダに出て日拝(太陽を拝むこと)をしていますが、冬の太陽とは思えないほど陽射しが強いですね。
色々な筋の話では今年あたりから世の中が大きく変化していくそうです。
なにも天変地異とかそんなことばかりではなく、各個人の心の持ち方に従って、なるようになっていくと。
こうすればいいとか、ああすればいいとか、そんなノウハウはありません。
自分の信じる道を歩むだけなんですが。

一昔前までは、昨日よりは今日、今日より明日という感じで、希望や夢を先へ先へと繋いだものですが、
どうやらすべては「今」をどう生かしきるかにかかっているようです。

「人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール著)」という本を読みました。
すべての根源である「今」に繋がれば、心は無限の自由を取り戻せるというようなことを書いてある本です。
人の思考というのは「過去」や「未来」を思い煩い、「今」をムダに費やして行きます。
逆に、「今」に生きようとすると、「思考」は入り込めません。

机に落ちているゴミが目に付いた。
拾うだけです。
拾って、ゴミ箱に捨てて、気持ちが良いという経験をすることが、今を生きるということです。
過去や未来をあれこれ思い悩んでいるとゴミさえ目に入りません。
過去についてあーすればよかった、こうすればよかった、未来について、あれが不安だ、これが心配だとやっていると、
解決することのない「思考」ばかりがぐるぐる回っているのであり、「今」の体験は失われます。
「今」に生きる人は、過去を思い煩いません。
未来を心配しません。
「今」やることをただやります。

お金を作る必要があるとします。
「思考」に支配された人は、作れなかったときの不安や、こういう状況になった理由などで、取りとめもなく悩みます。
「今」に生きる人は、お金を作るためにどうすればいいかの目算を立てたのなら、ひたすら行動に移ります。
手紙を書くべき人に書き、訪ねるべき人を尋ね、電話をするべき人に電話します。
「思考」の人は、悩みばかりが増大しますが、何一つ「結果を出す」という経験を積み重ねません。
「今」に生きる人は、手紙を出す、訪問する、電話をするという一つ一つの行為がすべて何らかの結果を出して行きます。
なんなかの結果を出したなら、その結果を元に更なる行動が生まれます。

現代に生きる人は「思考」というものがなにか重要な意義があるものであり、何かを生み出せると信じている感があります。
でも、この本を読むと、それが大きなそして決定的な間違いであることに気が付きます。

これは禅の本を読んでみると分かりますが、人の「思考」というのは迷いの集積みたいなものです。
迷いの集積が迷いの塵を際限なく吸い込んでいくのが、「思考」です。
ですから、「考えない」という修行を禅ではするのです。

とりあえずは、思ったらすぐやる、という癖を付けてみたらどうでしょうか。
いちいちそんなことをやったら回りにどう思われるだとか、そんなことをしても何にもならないだとか、
それこそ何の価値もない「思考」が入り込む余地をなくすこと。
思う=するを直に繋いでしまうこと。
この癖がつくと、かなり「今」というものが見えてくるかなと思います。

「今」というのは概念ではありません。
直の心であり、直の体験です。
「生きる」というのは、直の心であり、直の体験であるべきものでしょう。
「思考」を巡らせば巡らせるほど、「生きる」ということから遠ざかるのはぼくもさんざん経験してきました。
ここらで「今」に回帰することが肝要になってきたと、そうつくづく思います。