風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

縄を糾う

2007年08月11日 | 雑感
「禍福は糾える縄の如し」という言葉があります。
災難と幸福が交互に裏表になって、一本の縄のように人生が織りなされる様ですね。

ぼくも商売をしていますから、それはもう、ホントその通りです。
今月も来月も売れるかどうかまったく分からない商売です。
それでも支払期日は確実に決まった日にやってきます。
何度も銀行や取引先にお詫びをするため、あるいはお願いをするため、頭を下げることもしてきました。
頭を下げてもどうしようもない時もあります。
そんなときは打つ手がありません。
どうしようかという不安で胸が一杯になります。
いくら不安が募ろうが、打つ手がまったくないときだって何度もあります。

まぁ、そんな局面は商売をしていれば誰でも度々経験することでしょう。
でも、商売を続けてこれたということは、その局面を乗り切ってこれたということではあります。
何か奇抜な手段や際どい手法をとることは稀で、大抵は思いもかけないところから救いの神が顕れます。
もうそれはこちらが頼んだのでも仕組んだのでもなく、本当に救いの神としか言い様がありません。
ぼくの場合は、何度も何度も救いの神にお世話になっています。
そうでなければ、とっくに商売をたたんでいたでしょう。
今だって来月の売り上げの見込みがあるわけではなく、どうなるかまったく分かりません。
いつも先の見込みはまったくのゼロです。
その調子でずっと来ました。
商売というのは真面目で神経質な人にはある意味とてつもなく厳しい道かもしれません。

そうではあるのですが、ぼくは呑気です。
お客さんにもっと頑張れとしょっちゅう叱られてばかりいます。
でも、なんというか、こちら側の都合であくせく頑張っても、お客さんを悪戯に疲弊させることも知っています。
ま、正直なところ、もうちょっと頑張りようがあるのは事実なのですが。

その辺りのバランス感覚を取るのが上手な人が成功するのだと思います。
やるべきことはきちんと積み上げ、あとは天の采配に任すという判断センス。
ぼくの場合はやるべきことがあまりにもだらしなく放置されていて、
救いの神頼みというところがありますから、甚だしくバランスが悪いのですが。
ま、改善して行こうとは思っています。
無理をしないということと、頑張らないというのは、全然意味が違いますよ>おれ

そんなこんなで、厳しい局面と一安心が交互にやってきます。
一つ言えることは、厳しい局面に立ったとき、厳しさを胃を痛めながらでも受け止めなければならないということです。
厳しい局面から逃げようとすると、事態は泥沼になります。
厳しい局面というのは、しなければならないことの全てが、非常に気疲れのする、気の進まないことだらけになるものです。
そこから逃げては、次に一安心が来ません。
流れが壊れて、道が塞がれます。
ぼくは仕事を通して、そんな風に思っています。

例え、ぼくが商売をたたむことがあったとしましょう。
それはそうなった過程を受け止め、次の道を探せばいいことだ、と大きなところでは安心しています。
要は、何が何でも成功するだとか、失敗は絶対にしたくないだとかは、あんまり思いません。
全ては裏表が交互に顕れてくると思っていますから、表に執着するのも、裏を怖がるのも、
あまり得策ではないと思っています。

偉そうにこんなことを言っている前に、もっとたくましく丈夫な縄を糾え>おれ、という感じは強くしますが(笑)

ところで、今朝も滝に行きましたが、明日もネネさんの気功の生徒さんたちとの滝行です。
夏真っ盛りの滝行、気持ちがいいです。

それから、盆休みですね。
どんな休みでも、充実したお休みになりますように。