50選の石碑の横を抜けて右側の海岸です。
とても小さくて海岸ともいえない入江ですが、箱庭のように全体がまとまっていてなんとも言えない趣があります。
1181年、頼朝が衣笠城へ向かう途中にこの地で休憩をとった。
そのとき、この岩の上に立つ松の木を見て頼朝が、「とても珍しい松だ」
と言ったところ、迎えに出ていた三浦の和田義盛は、「これは千貫の価値がある
松なので、地元では千貫松と呼んでいます」と答えたそうです。
そして、ここに裕次郎の記念碑が建っているのです。
ちょうど、海上の森戸の鳥居、裕次郎灯台、そしてたくさんのヨットを背にして。
なんて書いてあるのか、アップで紹介します。
いったい誰だ! 裕次郎の顔を汚したのは! (本気でムカツク!)
そして下に、兄、慎太郎が書いた言葉が刻まれています。
夢はとおく 白い帆に のって
消えていく 消えていく 水のかなたに
太陽の季節に 実る
狂った果実たちの 先達
石原裕次郎を 偲んで
こんな言葉が刻まれた石碑の先に、白い”裕ちゃん灯台”が見えるのです。
トッポは出番なしでした。 すいません。
とても小さくて海岸ともいえない入江ですが、箱庭のように全体がまとまっていてなんとも言えない趣があります。
1181年、頼朝が衣笠城へ向かう途中にこの地で休憩をとった。
そのとき、この岩の上に立つ松の木を見て頼朝が、「とても珍しい松だ」
と言ったところ、迎えに出ていた三浦の和田義盛は、「これは千貫の価値がある
松なので、地元では千貫松と呼んでいます」と答えたそうです。
そして、ここに裕次郎の記念碑が建っているのです。
ちょうど、海上の森戸の鳥居、裕次郎灯台、そしてたくさんのヨットを背にして。
なんて書いてあるのか、アップで紹介します。
いったい誰だ! 裕次郎の顔を汚したのは! (本気でムカツク!)
そして下に、兄、慎太郎が書いた言葉が刻まれています。
夢はとおく 白い帆に のって
消えていく 消えていく 水のかなたに
太陽の季節に 実る
狂った果実たちの 先達
石原裕次郎を 偲んで
こんな言葉が刻まれた石碑の先に、白い”裕ちゃん灯台”が見えるのです。
トッポは出番なしでした。 すいません。
でも、素敵なところですね。
私はまだここへは行ったことがありません。(と、思う・・・昔、行ったかな・・?)
こうやって丁寧に紹介して頂くと、なんだか自分も一緒に行ったような気になっちゃいますね。
まだまだ、続くんですね。
楽しみ・・・
汚すなんて そんな心無い人がいるんですね
最低だわぁ。。。
こんなに素敵な景色を見た後だけに
ショックですね~
やはりトッポくんが一緒に写ってないと
なにかしら淋しさがあります^^
それだけ 重要な役割をしてたんですね♪
でも、どこにでもマナーの悪い人はいるんですね(T-T) ウルウル 悲しいです。
慎太郎さんの本は何冊か読みましたが難しいですね。もう、読まないと思います。
昔を思い出しながら、写真を見ていただければ幸いです。
バカ親父の運動もかねて、しばらくがんばってみます。 これ結構、体力使うんですよ。
明日から、またふっかつしますので、ヨロシク。
汚し人の神経は、良く分かりません。
やはりモラルの問題ですね。
裕次郎記念館行きましたよ。
10月17日の写真を見てくれますか、机の上においてある写真は、裕次郎記念館で撮った、記念写真です。
以来、ずっとバカ親父の机にのっています。
それだけ、我々が年をとったということですね。
その時代は、スターと呼ばれる人は、身近な存在でなく雲の上の人のような存在でしたね。けしてアイドルではなかったですね。
世の中の移り変わりを感じますね。