こちらは内部から見た5連の武者窓/竪格子窓です。
このように戦いを想定した備えとして、松本城は、狭間という弓や鉄砲を放つための小さな窓が115ヶ所設置されています。
天守の壁は1,2階で約30cmと厚く、また内堀幅を火縄銃の高い命中精度が維持できるぎりぎりの約60mとして、鉄砲戦の備えをしています。
天守1階から3階までは柱の数が多く、4階から上は柱の数も減ってやや広い空間が設けられています。
下層は特に骨組みがしっかり造られています。
格子窓から本丸御殿跡を覗きます。
内堀側です。
2階が鉄砲蔵で、火縄銃や鉄砲に関する資料などが展示されています。
日本に鉄砲が伝来してから50年後には、もういろいろな種類の鉄砲があったようです。
この階には、松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻から寄贈された、火縄銃と関連資料を集めた「松本城鉄砲蔵」となっています。
これは火をつけて飛ばしたものですかね??
船載砲(城塞砲)と呼ばれるようです。
口径33mmの弾を500mまで飛ばせたそうです。
甲冑も展示されていました。
続く...............................................................。
このように戦いを想定した備えとして、松本城は、狭間という弓や鉄砲を放つための小さな窓が115ヶ所設置されています。
天守の壁は1,2階で約30cmと厚く、また内堀幅を火縄銃の高い命中精度が維持できるぎりぎりの約60mとして、鉄砲戦の備えをしています。
天守1階から3階までは柱の数が多く、4階から上は柱の数も減ってやや広い空間が設けられています。
下層は特に骨組みがしっかり造られています。
格子窓から本丸御殿跡を覗きます。
内堀側です。
2階が鉄砲蔵で、火縄銃や鉄砲に関する資料などが展示されています。
日本に鉄砲が伝来してから50年後には、もういろいろな種類の鉄砲があったようです。
この階には、松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻から寄贈された、火縄銃と関連資料を集めた「松本城鉄砲蔵」となっています。
これは火をつけて飛ばしたものですかね??
船載砲(城塞砲)と呼ばれるようです。
口径33mmの弾を500mまで飛ばせたそうです。
甲冑も展示されていました。
続く...............................................................。