ローマは紀元前7世紀の中頃にラテン人とサビニ人が町を築いて以来、2600年以上の歴史を持ちます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c9/91721c738b3b894b1e0c4612a247ba0c.jpg)
ローマ帝国の都として栄えた『永遠の都ローマ』には、ローマ帝国の中枢フォロ・ロマーノ、アウグストゥス霊廟、円形闘技場コロッセオ、神殿パンテオン、トラヤヌス帝記念柱、コンスタンティヌス帝凱旋門など、数多くの古代の遺構が残り、ローマ帝国の栄華を今日に伝えています。
そのなかでも、コロッセオが規模からも中心的な遺構でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/07/afbbfb181a19f3a3ccc176dc24650917.jpg)
周囲527メートル、高さ48.5メートルの円形闘技場コロッセオは5万人を収容することができたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/88/388c01d5fe6d62ed582526b781b197b5.jpg)
古代ローマ帝国の皇帝、ウェスパシアヌス帝(9~79年)が建てさせたもので、西暦80年に完成し、正式名称は『フラウィウス朝の円形闘技場』といいます。
付近にネロ帝(37~68年)の巨像、コロススがあったことに由来して、コロッセオと呼ばれるようになり、英語で競技場を意味するコロシアムの語源ともなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2a/7765f4e544d76d6ea4808c389ddf1952.jpg)
ローマ皇帝は市民に娯楽を与えることで、治世の安寧を図ろうとしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/20/da8bfc81137dfb92ad9bc0af0eab9824.jpg)
コロッセオの観客席は身分によって分けられていました。一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人のものでした。これは、人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つ、皇帝の巧みな統治術でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/1a/53cbed10c933fb5c5d9a0c0466910635.jpg)
コロッセオの廊下のようです。
各階に並ぶアーチはそれぞれ異なった様式で、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/2c/bd3a0440086e4a3c3ad2488661bd4402.jpg)
内部の廊下部分はこうなっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/50/dbee23060d0626599d046252b06256ed.jpg)
それでは中に入ってみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/21/626d5754cf4f1251f8871d464c7a44aa.jpg)
続く.........................................................................。
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ローマ帝国の都として栄えた『永遠の都ローマ』には、ローマ帝国の中枢フォロ・ロマーノ、アウグストゥス霊廟、円形闘技場コロッセオ、神殿パンテオン、トラヤヌス帝記念柱、コンスタンティヌス帝凱旋門など、数多くの古代の遺構が残り、ローマ帝国の栄華を今日に伝えています。
そのなかでも、コロッセオが規模からも中心的な遺構でしょう。
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周囲527メートル、高さ48.5メートルの円形闘技場コロッセオは5万人を収容することができたそうです。
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古代ローマ帝国の皇帝、ウェスパシアヌス帝(9~79年)が建てさせたもので、西暦80年に完成し、正式名称は『フラウィウス朝の円形闘技場』といいます。
付近にネロ帝(37~68年)の巨像、コロススがあったことに由来して、コロッセオと呼ばれるようになり、英語で競技場を意味するコロシアムの語源ともなりました。
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ローマ皇帝は市民に娯楽を与えることで、治世の安寧を図ろうとしました。
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コロッセオの観客席は身分によって分けられていました。一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人のものでした。これは、人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つ、皇帝の巧みな統治術でした。
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コロッセオの廊下のようです。
各階に並ぶアーチはそれぞれ異なった様式で、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式となっています。
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内部の廊下部分はこうなっています。
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それでは中に入ってみます。
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続く.........................................................................。