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海外の都市の紹介、 その83の1 『カンチャナブリ(戦場に架ける橋)』

2010年09月02日 | 海外の都市の紹介
タイの『カンチャナブリ』の紹介です。
タイの首都バンコクより、車で2時間ほどのところにある街です。
年配の方はよくご存じだと思いますが、映画『戦場にかける橋 』、そして『クワイ河マーチ』で有名な街です。



最初に訪問したのは、連合軍共同墓地(Kanchanaburi War Cemetery)です。



少し歴史を調べてみました。
19世紀後半、タイはフランスやイギリスによる武力攻撃を受けます。
しかしベトナムやシンガポールのような英仏の植民地にはなりませんでした。
タイと日本との関係は良好で、1902年にタイの皇太子が日本を訪問するなど、日本との友好関係を意識的に築き、欧米と外交調整を続けました。



1941年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲するのとほぼ同時に、マレー半島にも上陸作戦を開始した。
1941年末までに、日本はマレー半島をシンガポールまで占領し、ミャンマーからインド方面への進軍を続けました。
当時、日本は戦略的にマレー半島からミャンマーの前線まで兵士と物資を補給するための陸の輸送路として、タイ国内を横断する鉄道の敷設を急ぎました。
タイとミャンマーを結ぶこの鉄道は、全長は約415kmで、『泰緬(たいめん)鉄道』と呼ばれました。



1942~1943年にかけて行われた日本軍による泰緬鉄道建設を描いた映画が『戦場に架ける橋 』です。
1942年、旧日本軍はインド・ビルマ戦線への海上輸送に代わる物資輸送路の確保のために泰緬鉄道建設を決め、連合軍捕虜と現地アジア人を動員させて突貫工事によりたった1年で完成させました。



ここカンチャナブリの連合軍共同墓地は、日本の捕虜となり泰緬鉄道建設中に栄養失調やコレラ等で死亡した連合軍兵士が眠る墓地です。
連合軍捕虜6万人のうち、およそ16,000人がここカンチャナブリで死亡したといわれています。



それぞれの墓の間には熱帯の花が植えられ、大変美しい墓地公園となっています。



いくつかの墓地があるそうですが、ここには6982人が葬られているといわれます。
その一人一人について、姓名・所属・年齢・家族構成が記されています。この墓地は、名誉の死を遂げた兵士たちにタイの人々が寄進した土地のようです。
欧米から多くの人が、この墓地に参拝に来られるそうです。
日本人も多くの人が亡くなったようですが、ちょっと複雑な思いで参拝しました。



次回は戦場に架ける橋の橋の紹介です。

続く......................................................................。