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海外の都市の紹介、 その82の10 『ローマ』

2010年09月11日 | 海外の都市の紹介
『フォロ・ロマーノ』の紹介です。
フォロ・ロマーノは、古代ローマの中心だった場所で、紀元前500年頃にはすでに各種の施設が建ち並んでいました。
写真は『アントニヌスとファウスティーナの神殿』です。
アントニヌス帝が、141年に亡くなった皇后ファウスティーナをしのんで建てたものです。その後、161年に皇帝自身もこの神殿に埋葬されました。
11世紀に、キリスト教の教会となりました。



『フォロ』とはフォーラム(広場)のことで、市民中心の共和制時代、各々の取引や話し合いの場として造られた広場です。



よく目立つ白い3本柱は、ローマに勝利をもたらしたといわれる双子の神、カストルとポルックスに捧げられた神殿跡です。
カストルとポルックスの神殿(カストーレとポルーチェの神殿)はローマを勝利に導いたという伝説の双子の神、カストルとポルックスを祭った神殿です。
紀元前5世紀に建設され、現在は3本の柱のみ残っています。



紀元前6世紀に建設が開始されて以降、この地が古代ローマの中枢になり、下水道も整備され、共和政時代には演説が行われたり、凱旋パレードが行われるなど政治、経済、宗教の拠点となっていました。



共和政末期の紀元前1世紀ごろ、ユリウス・カエサルによって、本格的な整備が開始されましたが、計画の途中で、彼が暗殺されたため、この事業は、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス帝に引き継がれ、今もその時代の建物が多く残っています。



アウグストゥス帝によって、世界に誇る都となったフォロ・ロマーノも、コロッセオと同様に帝国の衰退とともに、忘れられルネッサンス期には、神殿の大理石等が建築資材として、持ち出されてしまいました。
19世紀に入り、遺跡が発掘されて現在のようになったそうです。



フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部の遺跡です。



古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォロが開設されますが、フォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォロであり、最も重要な存在です。



右奥の煉瓦造りの建物は『クーリア(元老院の集会所)』は、共和制ローマの最高機関で、元老院会議が開かれた。ブルータスの謀反によってシーザーがこの建物の前で殺されたことでも有名です。
20世紀になってから復元されました。そのため、崩壊しかけているものが多いフォロ・ロマーノの中で異彩を放っています。



続く.......................................................................。