『フォロ・ロマーノ』の紹介です。
フォロ・ロマーノは、古代ローマの中心だった場所で、紀元前500年頃にはすでに各種の施設が建ち並んでいました。
写真は『アントニヌスとファウスティーナの神殿』です。
アントニヌス帝が、141年に亡くなった皇后ファウスティーナをしのんで建てたものです。その後、161年に皇帝自身もこの神殿に埋葬されました。
11世紀に、キリスト教の教会となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f8/4e90f1dfa075c1733bfd93d5143dec24.jpg)
『フォロ』とはフォーラム(広場)のことで、市民中心の共和制時代、各々の取引や話し合いの場として造られた広場です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/0f/99e81da0036feea8d5adea586cfa46ef.jpg)
よく目立つ白い3本柱は、ローマに勝利をもたらしたといわれる双子の神、カストルとポルックスに捧げられた神殿跡です。
カストルとポルックスの神殿(カストーレとポルーチェの神殿)はローマを勝利に導いたという伝説の双子の神、カストルとポルックスを祭った神殿です。
紀元前5世紀に建設され、現在は3本の柱のみ残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5b/7c3eae0a51c745245eb5da1904b4d3b3.jpg)
紀元前6世紀に建設が開始されて以降、この地が古代ローマの中枢になり、下水道も整備され、共和政時代には演説が行われたり、凱旋パレードが行われるなど政治、経済、宗教の拠点となっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/94/fe5e8afb6d5eeff899789a31a69ec6f9.jpg)
共和政末期の紀元前1世紀ごろ、ユリウス・カエサルによって、本格的な整備が開始されましたが、計画の途中で、彼が暗殺されたため、この事業は、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス帝に引き継がれ、今もその時代の建物が多く残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d4/8bdd18e23b5f89d1910dc4d1d2d4ddc4.jpg)
アウグストゥス帝によって、世界に誇る都となったフォロ・ロマーノも、コロッセオと同様に帝国の衰退とともに、忘れられルネッサンス期には、神殿の大理石等が建築資材として、持ち出されてしまいました。
19世紀に入り、遺跡が発掘されて現在のようになったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/49/494958ba0bc96587fced224bb8c089ea.jpg)
フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部の遺跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/18/65fdd458d7c0f01ff48eac2941ed3138.jpg)
古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォロが開設されますが、フォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォロであり、最も重要な存在です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/bf/b40be64aa9da694ed07da3cfec49f75b.jpg)
右奥の煉瓦造りの建物は『クーリア(元老院の集会所)』は、共和制ローマの最高機関で、元老院会議が開かれた。ブルータスの謀反によってシーザーがこの建物の前で殺されたことでも有名です。
20世紀になってから復元されました。そのため、崩壊しかけているものが多いフォロ・ロマーノの中で異彩を放っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/7f/2258a77f8f224f2d061533d5da07e7d4.jpg)
続く.......................................................................。
フォロ・ロマーノは、古代ローマの中心だった場所で、紀元前500年頃にはすでに各種の施設が建ち並んでいました。
写真は『アントニヌスとファウスティーナの神殿』です。
アントニヌス帝が、141年に亡くなった皇后ファウスティーナをしのんで建てたものです。その後、161年に皇帝自身もこの神殿に埋葬されました。
11世紀に、キリスト教の教会となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f8/4e90f1dfa075c1733bfd93d5143dec24.jpg)
『フォロ』とはフォーラム(広場)のことで、市民中心の共和制時代、各々の取引や話し合いの場として造られた広場です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/0f/99e81da0036feea8d5adea586cfa46ef.jpg)
よく目立つ白い3本柱は、ローマに勝利をもたらしたといわれる双子の神、カストルとポルックスに捧げられた神殿跡です。
カストルとポルックスの神殿(カストーレとポルーチェの神殿)はローマを勝利に導いたという伝説の双子の神、カストルとポルックスを祭った神殿です。
紀元前5世紀に建設され、現在は3本の柱のみ残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5b/7c3eae0a51c745245eb5da1904b4d3b3.jpg)
紀元前6世紀に建設が開始されて以降、この地が古代ローマの中枢になり、下水道も整備され、共和政時代には演説が行われたり、凱旋パレードが行われるなど政治、経済、宗教の拠点となっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/94/fe5e8afb6d5eeff899789a31a69ec6f9.jpg)
共和政末期の紀元前1世紀ごろ、ユリウス・カエサルによって、本格的な整備が開始されましたが、計画の途中で、彼が暗殺されたため、この事業は、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス帝に引き継がれ、今もその時代の建物が多く残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d4/8bdd18e23b5f89d1910dc4d1d2d4ddc4.jpg)
アウグストゥス帝によって、世界に誇る都となったフォロ・ロマーノも、コロッセオと同様に帝国の衰退とともに、忘れられルネッサンス期には、神殿の大理石等が建築資材として、持ち出されてしまいました。
19世紀に入り、遺跡が発掘されて現在のようになったそうです。
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フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部の遺跡です。
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古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォロが開設されますが、フォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォロであり、最も重要な存在です。
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右奥の煉瓦造りの建物は『クーリア(元老院の集会所)』は、共和制ローマの最高機関で、元老院会議が開かれた。ブルータスの謀反によってシーザーがこの建物の前で殺されたことでも有名です。
20世紀になってから復元されました。そのため、崩壊しかけているものが多いフォロ・ロマーノの中で異彩を放っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/7f/2258a77f8f224f2d061533d5da07e7d4.jpg)
続く.......................................................................。