北陸地方出張の帰り、1576年築城で現存天守閣の中で最古の遺構である『丸岡城』が、福井県にあると聞いて、小松空港に向かう途中で寄ってみました。
天守に通じる狭いスロープです。
平成18年には、『日本百名城』にも認定されました。
天守閣を持つ御城を中心に、歴史を訪ねてお城訪問を始めました。
まだ、たくさんありそうです。
また丸岡城は、桜の名所としても知られており、城を取り巻く約400本の桜が開花した様は、霞の中に城が浮かんでいるように見えることから、別名『霞ヶ城』と呼ばれています。
さくら名所100選にも選ばれています。
今頃は、この枝垂れ桜も満開になっているのでしょう。
丸岡城は、丸岡の街の家並みを見下ろす小高い丘の上に残る平山城です。
丘は昔、継体(けいたい)天皇の御子椀子(まりこ)皇子がうぶ声をあげたという伝説にちなんで、椀子岡と名づけられ、いつの間にか、丸岡と呼ばれるようになったそうです。
1575年、織田信長は、これら北陸地方の一向一揆を平定すべく、大軍をこの地方に動員して当時丸岡の東方山中にあった豊原寺を攻略した。
信長は、この恩賞として柴田勝家に越前を与えて守護職とし、北ノ庄(今の福井市)に築城を命じます。
勝家は、その養子で甥に当たる勝豊に築城を依頼し、勝豊は交通の利便性などから、この地に丸岡城を築きました。
天守は初期天守の特色を濃厚にあらわしています。
続く...........................................................................。
天守に通じる狭いスロープです。
平成18年には、『日本百名城』にも認定されました。
天守閣を持つ御城を中心に、歴史を訪ねてお城訪問を始めました。
まだ、たくさんありそうです。
また丸岡城は、桜の名所としても知られており、城を取り巻く約400本の桜が開花した様は、霞の中に城が浮かんでいるように見えることから、別名『霞ヶ城』と呼ばれています。
さくら名所100選にも選ばれています。
今頃は、この枝垂れ桜も満開になっているのでしょう。
丸岡城は、丸岡の街の家並みを見下ろす小高い丘の上に残る平山城です。
丘は昔、継体(けいたい)天皇の御子椀子(まりこ)皇子がうぶ声をあげたという伝説にちなんで、椀子岡と名づけられ、いつの間にか、丸岡と呼ばれるようになったそうです。
1575年、織田信長は、これら北陸地方の一向一揆を平定すべく、大軍をこの地方に動員して当時丸岡の東方山中にあった豊原寺を攻略した。
信長は、この恩賞として柴田勝家に越前を与えて守護職とし、北ノ庄(今の福井市)に築城を命じます。
勝家は、その養子で甥に当たる勝豊に築城を依頼し、勝豊は交通の利便性などから、この地に丸岡城を築きました。
天守は初期天守の特色を濃厚にあらわしています。
続く...........................................................................。