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海外の都市紹介、 その26の11 『ドバイ』

2006年10月11日 | 海外の都市の紹介
ドバイに石油が出たのは1960年代の後半で、それ以前はどんな国だったのでしょう。
アラブ諸国の主要産業としては、羊・ヤギ・ラクダの飼育、ナツメヤシの栽培、漁業、真珠の採取などがあります。



また、昔からドバイは自然の運河を利用して栄えた貿易港で、その昔はスパイスの交易で栄えていたようで、その名残で大きなスパイス市場があります。



写真は漁業を営んでいたころの漁村の家屋で、たぶんナツメヤシを利用して作られていたようです。



石油の出る前は、このクリーク沿いには漁業を営む村落が点在していたようです。



それが、現在では写真のような風景に変わっています
ドバイは、街の中心を流れる運河によって、ディラ地区とバールドバイ地区に分かれていますが、写真のディラ地区は新しいビルや、高級ホテル、ショッピングセンターが立ち並び、こちら側はバールドバイは旧市街地になります。



現在のドバイの首長はSheikh Maktoum Bin Rashid Al Maktoumです。
アラブ人の名前の読み方は、『BIN』は息子を意味し、『AL』は家を示しています。
ですから、首長はマクトウム家のラシドの息子のシエイク、マクトウムとなるわけです。
話は変わりますが、世間を騒がしているウサマ・ビン・ラディンはラディンの息子オサムということになるわけで、ビン・ラディンと呼ぶのは息子が複数いたらおかしな話になるのかなーなどと考えてしまいます。



ネット情報によると、マクトウム家が内陸部のオアシスからこの海岸地域に移動してきたのは、1830年代で、真珠採りと漁業を細々と営んでいたそうです。
1939年、彼の父のシエイク・ラシドは真珠採りでは食ってはいけないと判断し、ドバイをインドと欧州貿易の中継基地にしようと決断し、ドバイを関税ゼロの自由港としたのです。
結果、金のほかにも棉や香料など海のシルク・ロード貿易の主要商品は、ゼロ関税のドバイに集まりはじめ、ドバイ港を拡張するため1950年代の末に湾岸の大産油国であったクウェートから借金して、ドバイの町を流れるクリークを深く、広く改修する工事を開始して、できたのが写真の人口運河(クリーク)です。



中東の小香港と命名されたこの国の沖に石油が出たのは、それから3年後と記載されていました。
説明無しではアメリカかヨーロッパの国の風景にも見える運河の前で、仲間が記念撮影です。



長さ11km、深さ8-10m、河口で大きく曲がりアラビア湾に流れ出しています。
しかし、世界各国の有名な建築家に依頼した高層ビルは、美的感覚からいえば賛否両論がありそうです。

続く........................................。