小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

帯津先生のがんを諦めない本

2014-04-29 | 
 災害医療関連の書籍に続き、新刊紹介を頼まれて、日本ホリスティク医学協会の会長で帯津三敬病院の名誉院長である帯津良一医師の『がん 「余命宣告」でも諦めない』と、彦根市立病院緩和ケア科部長で心療内科医でもある黒丸尊治医師の『「心の治癒力」をスイッチON!』を読んだ。

帯津良一(著) 毎日新聞社 1,500円+税

 50年以上がん治療に携わってきた帯津先生は、まず「はじめに」で「余命宣告には明確な根拠はない。まだまだ打つ手はあります」と伝えている。

 帯津先生は、まだ何の治療もしないうちから、簡単に余命宣告をする西洋医学しかしらない医師には傲りを感じると憤慨し、「ずっと患者さんの心に添うはずなのに、どうして平気で切り捨てるようなことが言えるのか」と嘆いている。

 治療はやってみなければ、本当のところ、医師にもわからないこともあり、中でもがんは非常にミステリアスなものだというのだ。
 そんながん治療には手術、抗がん剤、放射線治療などの西洋医学と、自然治癒力・免疫力を高める代替療法の両方をバランスよく取り入れた戦略が必要だと、帯津先生は説いている。

 本書には、帯津三敬病院の患者さんの中からランダムに選ばれた、さまざまながん患者さんの詳細な治療方法や経過が綴られていた。

 たとえ病気が治ったとしても、高額な治療費がその後の生活を圧迫することもあることから、患者さんの経済的なストレスを軽減できるよう、帯津先生が行っている主な代替療法の治療費の目安なども掲載されていて、為になった。

 がん治療に王道はなく、治療戦略は患者さん1人ひとり異なる。それは何の病気にも言えることだけれども、1人ひとりに丁寧に対応する統合医療こそ、今後、日本の医療が進むべき道なのではないかなあと思った。

 一方、黒丸先生の著書は、「心の治癒力」、つまり自分を癒す力を引き出すコミュニケーションスキルについてまとめられたものだ。

黒丸尊治(著) BABジャパン 1,500円+税

 主にセラピストに向けて、クライエントが抱える問題を解決するための質問の仕方や、基本的なコミュニケーションスキルを伝える内容になっているのだけど、セラピーや心療内科の現場だけでなく、誰にでも役に立つ“言葉”の指南書だった。

 心と体はつながっているから、心の治癒力が高まれば、体の治癒力も刺激されて、善循環が促されるわけですね。
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ミノウスバの幼虫大発生

2014-04-28 | つぶやき
 先週、水やりをしに庭に出て、何気なくマサキ(多分)の木を見たら、幹に毛虫が這っていた。「ややや、これはっ!」と思って枝を見上げると、あら大変!!


 葉っぱという葉っぱにミノウスバの幼虫がウヨウヨいて、新芽を食い荒らしているではないか! ぎょっとして、思わずのけぞってしまいました。


 昨年の今頃は毛虫どころではない心持ちだったので気づかなかったのだけど、確か一昨年の今時分も同じような状況になっていたので、多分昨年もやられていたのだろう。

 「ミノウスバの幼虫(毛虫)が大発生すると、葉っぱを食べている音が明確に聞こえてきます!」と書かれているのを読んで、鳥肌が立った。

 木の上にいて葉っぱを食べているだけならいいのだけど、この毛虫たちは盛んに動き回り、ぞろぞろとテラスにも這ってくるし、アミ戸にも這ってくる。強靭な糸を吐き出して、いろいろな所にぶら下がるので、うっかりしていると洗濯物と一緒に取り込んでしまうこともあるのだ。

 化成殺虫剤は使いたくないので、他の方法を調べていたら「木を揺らして落ちてきたところを補殺する」方法もあると書いてあった。
 無理、無理!! 幹を揺らせば、当然そこにいる私に向かって、ボトボト落ちてくるんだもの。毛虫を浴びるなんて、無理!

 すると、あるサイトに「忌避効果の高い“ニーム”を活用します」と書いてあるのを見つけた。「ニームは殺虫剤ではないので、毛虫を全滅させることはできませんが、忌避効果によって、まったく毛虫が寄り付かない木にすることは可能です」と書いてあるのだが、ニームって何?

 ということで、さらに調べていくと、なんと日本ニーム協会なるNPO法人があり、そのサイトに「ニームは東南アジアから中近東に広く自生する樹木で、インドのアーユルベーダーには欠かせない神秘の薬として古くから珍重されている」と説明されていた。「樹木全体に含まれる苦味の成分を害虫が嫌い、有機農業の防虫対策にとて有効」なのだそうだ。

 そうなのかあ、初めて知った。

 ニームの樹木に含まれる成分や種子から抽出したオイルは、草食・吸汁昆虫をはじめハダニ類やナメクジ等に忌避効果があり、駆除に優れた効果を発揮するとあり、ゴキブリもイヤがると書いてある。

 これからダニも発生する季節なので、さっそく日本ニーム協会認定のニームショップに「バイオアクトスプレー」と「モスキットガード」というものを注文してみた。

 毛虫にはあくまでも「来ないでね」と思っているだけなので、殺虫剤ではなく、忌避オイルで十分なのだ。今季あっちに行ってくれなくても、来年、毛虫が寄り付かない木になってくれれば、いいのです。
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車の窓ガラス破損

2014-04-25 | つぶやき
 朝、太極拳の講習に出かけようと駐車場に行くと、私の車が大変なことになっていた。運転席の窓ガラスが割られていたのだ。



 思わず「なんじゃ、こりゃ~!」って叫びました。なんと、まあ、派手にやられていること!



 助手席のドアをそおっと開けて中を調べたところ、盗まれているものはない様子。ということは、車上荒らしではない?

 まずはしっかり者の妹に電話して「保険屋が先か、警察が先か」と聞くと「保険で修理できるか聞いてみたら」と言うので、そうした。すると、私がかけている保険ではカバーできないことが判明。搬送サービスだけは無料でやってもらえることが分かり、今度は警察に電話をする。

 「事故ですか。事件ですか」「事故、いや事件かな。緊急性はありませんが、駐車中の車の窓ガラスが割られています」ということで、近くの派出所からお巡りさんが来てくれることになったのだけど、「今、向かっています」と言われてから40分くらい姿を見せず、お蕎麦屋さんの出前みたい。その間、被害状況の写真を撮って待っていた。

 カブでやっと来たお巡りさんは新人なのか、「被害届を出しますか」なんて聞く。そのために呼んだんだけどな。2人でいろいろ調べたけれど、やはり車内から盗まれた物はなく、運転席の窓ガラス以外、傷つけられている所もなかった。レスキューハンマーみたいな物で叩かなくては、こんなに粉々にならないだろうし、なんだろう?

 新人お巡りさんが被害届を書くのをじいっと見ていると、「器物損壊」の「壊」の字が分からなくなってしまったらしく、スマホで検索していた。教えてあげようかと思ったけれど、熱心に文章を書き始めたので黙って見ていた。

 「ご職業は?」と聞くので「フリーライターです」と言うと「何の書類にもそう書いていますか?」と聞く。あれ? お巡りさん、フリーターと勘違いしてる? 「いえ、執筆業とか著述業とか、提出物によって違うかもしれません」と答えたら、彼はその中から「著述業」を選択。ただ、また「述」の字でつまずいていたので、今度は教えてあげたのだった。

 被害状況を記した文章の書き出しが「私は著述業をしております○○○○です」だったので、なんかおかしくなって笑ってしまった。すると彼は真顔で「いや、なるべく詳細に書いたほうがいいと思って」と言うのだ。途中「割られていたのです」などという文章もあって、彼が全部を声に出して読み上げている間、何度も笑い出しそうになってしまった。

 そうこうしているうちに、ほかの警察官が勝手に削除や消去ができないというカメラを持ってパトカーでやってきた。なんだか私が悪いことをしたみたいな気分。「ちょっと被害の場所を指さしてください」と言われて「こうですか」と指さして、パチリ。

 一番エラそうな人が「何も盗られた物はないんですね」と念を押すように聞いたので「はい。何も…」と言いながら、私は腑に落ちないでいたのだ。車上荒らしならそれなりに納得できるのだけど、何も盗られていない。小銭の入った財布も置いてあったし、人から頂いた空気清浄器もシガーソケットにつないであるし、CDだって何枚もあった。なのに、何ひとつ盗まれたものはない。

 はっとして私が「ええっ、怨恨?!」と言うと、一番エラそうなお巡りさんが「だって、心当たりはないでしょ?」と聞いた。心当たりはないけれど、よくニュースなどで被害者について聞かれた人が「恨まれるような人じゃなかったのだけど」なんて答えているシーンがあるでしょ。

 私が「自分では恨まれるようなことをしていないつもりでも、逆恨みということも世の中にはあるし……。ここに停めてある数ある車の中で私の車だけ『なんでかな?』と思ったので」としおれていると、一番エラそうなお巡りさんは「怨恨だったら、もっと激しく傷つけてるよ。例えばタイヤをパンクさせるとか、ボディをボコボコにするとか」と慰めてくれたのだった。

 お巡りさんたちの実況見分後、これ以上ボロボロとガラスが飛び散らないようにビニールテープで止めながら、搬送業者さんを待っていた。
 あ~あ、窓ガラスの代金は5万8,000円近くかかり、しかもゴールデンウィーク明けまで車は戻ってこないし、ホンダカーズの人は「次の定期点検ではタイミングベルトの交換も必要だから、いっそ買い替えたらどうでしょうか」などと混乱させることを言うのだった。

 「年式も古いし、走行距離も10万キロを超えています。修繕費等考えると買い替えがお得かと思うので、ご主人とよく相談してみてはいかがですか」って、相談するご主人なんぞいないので、「とりあえず今回はガラスだけ直してください」と申し上げたのであった。

 隣の駐車スペースにまで粉々に飛び散ったガラスの破片を拾い集めなければならなかったし、太極拳にも行けず、さんざんな一日だった。
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カヤのお友達

2014-04-24 | 犬&猫との暮らし
 晴れた午後、カヤの散歩の練習のために家の周りを歩かせていると、学校帰りの小学生が「可愛い!」と言いながら近づいてきた。

 2年生の女の子と男の子。女の子のほうは犬が大好きで、すぐにカヤをなで始めたが、男の子は犬が怖くて、今まで触ったこともないという。

 女の子に「大丈夫だよっ! おとなしいから触ってみなよ!」と言われて、メンツ丸つぶれの彼は恐る恐る手を伸ばす。犬が触られて不快に思わない場所を教えてあげると、おっかなびっくり手を伸ばしたり引っ込めたりしながら「オレ、生まれて初めて、犬に触ったあ!」と絶叫。

 「この子は目が見えないので、手を鳴らしてあげるんだよ」と言うと、子どもたちは一生懸命、手を鳴らしてくれた。カヤは子どもたちにかまわれて嬉しかったようで、子どもたちが手を鳴らす方に一緒にサクサク歩いていく。


 2人がランドセルを放り投げたまま、ずっとくっついて来るので、「さて、カヤちゃんはそろそろうちに入るね。また遊んでね」と言って「さよなら」しようとしたら、「うん、いいよ。明日もこの時間に出て来て!」などと言う。「そうはいかないかもしれないけどね」と言いつつ退散した。

 子どもに社交辞令は通じない。午後になるとインターホンが鳴る。扉を開けると、カヤのお友達が「遊んであげに来たよ」とニッコリしながら言うのだ。そうよね、私が「また遊んでね」って言ったんだものね。

 今日もカヤは可愛いお友達と一緒に歩くことになった。今日は子どもが1人増え、3人でぞろぞろ、パチパチ。

カヤの初めてのお友達

 お友達が一緒だとカヤはとても楽しそうで、本当によく歩く。そばで見ていた管理人さんからも「なんだか元気になりましたね」と言われたりして、お友達効果絶大である。
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ゼンヨージ画伯の個展

2014-04-22 | つぶやき
 終わってからの宣伝なんて間抜けだけれど、私の野外料理本や犬本のイラストや装丁をしてくれたゼンヨージ画伯こと、善養寺ススムくんの作品が4月1日から今日22日まで、新宿伊勢丹本館2Fグローバルクローゼットのアートギャラリースペースを飾っていた。私は昨日見に行った。


 始まる前とか、始まってまもなくに宣伝してあげるのが友情というものであろうに、うかうかしてしまった。なので「ごめんなさい」の気持ちを込めて、ゼンちゃんのプロフィールや絵本のページについて、ここに宣伝しておくことにした。

 ゼンちゃんが運営している合同会社入谷のわきの発表によると、彼のプロフィールは、

 2007年まで、雑誌アートディレクター、イラストレーターとして活躍し、その後江戸文化と日本人の心の研究をはじめる。
 江戸260年の平和に育まれた「江戸の間思考」が日本人の考え方に大きく影響していると提唱、研究のメインテーマにする。2010年より江戸関連書籍の執筆活動をし、『江戸の用語辞典』『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『カジュアル着物ブック』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』を出版。文章だけでなく、イラスト、デザイン、編集も行う。
 一方で「キャラクター・ブランディング」をはじめ、Afternoon Tea、House of Lotus等とストーリーのあるキャラクター商品をつくる。
 江戸時代と現代、和文化と西洋文化、歴史とファンタジーの多面的な交差点に位置する作家。

 
 
 ということであります。

 ゼンちゃんは私が制作に携わっていた『カヌーライフ』のアートディレクターとしてデザインをすべて担当してくれていた。
 当時、制作費が乏しく、デザインを外注にお願いできず、私がレイアウトしていたのだけど「もっとカッコいいデザインのカヌー雑誌にしてあげます!」と名乗りをあげてくれたのが、ゼンちゃんだったのだ。

 決して高くないギャラで、本当にカッコいい誌面を作ってくれ、感謝の気持ちでいっぱいだった。ブナが逝った時もクリが逝った時も、追悼の癒しの絵を贈ってくれた。ジ~ン。

 今では江戸研究家になってしまったけれど、ステキな絵本の原画もたくさん描いている。彼の絵本への思いは次のとおり。

「江戸の研究と供に《大人の絵本》を主に制作しています。一見子供向けのお話のようで、実は大人だからこそ共感し、人生を豊にできるような。そんな物語です。
 絵本というと《子供向け》というのが一般的ですが、今求められているのは、大人が共感する絵本ではないでしょうか? 自分が読みたいから買い、子供にも読んであげたいと思う。そんな世界を目指しています。
 また、日本のコンテンツは世界から注目されています。アニメ世代が大きくなり、日本とフランスくらいでしか、大人の絵本というカテゴリーはないと言われていますが、これからはどんどん増えてくるのではないでしょうか?

 子供にこだわらない。日本国内にこだわらない。絵本の中に閉じ込めない。新しい世界を模索しています。」

 ゼンちゃんが描いた絵本のサイトには、素晴らしい作品がいくつもアップされているので、ぜひご覧ください。
 http://www.zenyoji.com/index.html

 
 実は、繁殖犬のことをもっと知ってもらうために絵本を作りたいと相談したら、ゼンちゃんは「ご協力します」と男前の二つ返事でもって、絵本にするための原画を描いてくれたのだ。



 構成を一緒に考えてくれ、私が本文を仕上げ、ゼンちゃんは41に及ぶシーンを描いてくれた。これ、何とか世に出さないと!
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『うまれてないからまだしねない』を観た

2014-04-22 | つぶやき
 日曜日、範宙遊泳の新作公演『うまれてないからまだしねない』を観るために、池袋に出かけて行った。私が芝居を観るなんて! 何年ぶり?! 最後に観たのがいつだったかも忘れてしまった。

 つい勢いでチケットを予約したはいいが、今日活躍している若者たちのお芝居が、こんな私で分かるのか?と少々不安に思いつつ駅を降りると、スパイシーな香りが漂い、東京芸術劇場手前の広場に人が溢れていた。

 よく見るとサリーやクルター・パジャマを来たインド人がわんさかおり、ドンジャラドンジャラ大きな太鼓の音もして、たいそう騒がしい。いきなりニューデリーの町中に来てしまったような感じだった。どうやらインドフェアみたいのをやっているらしかった。

 あまりの人の多さとムンムンのインド的雰囲気に気圧されて、一瞬うちに帰りたくなったが、目的を達成せねばと思い、初めて東京芸術劇場に足を踏み入れたのだった。

 

 開場時間になって、シアターイーストの場内に案内されたのだけど、お芝居を観慣れていない私は、どの辺りに座ればよいかも分からず、うろうろしてしまった。すると、少し年配の女性2人が「映画じゃなくて“生”だから前のほうがいいわよ!」と口々に言い合い、のしのしと私を追い越して行った。そうなのか……、“生”だからね。
 真正面の席は人で埋まりつつあったので、とりあえずその右側の、何かあった時に逃げやすい(?)通路に面した席に座った。

 開演までの30分くらい、私はその席で何度もグラグラ揺れていた。

 というのも、私の真横通路の階段の幅と高さが急に変わるらしく、ほとんどの人がそこでつまずいてバタつくからであった。たいていみんな空いている席を目で探しながら階段を下りてくるので、足元を見ていないのだ。
 つまずいてバタバタっと音を立てて、転ばぬように体を立て直すので、そのたびに私の椅子は、その振動でものすごく揺れた。こうして私は揺れながら開演を待った。

 場内が暗くなり、最初に出て来た男の子がゆっくり舞台(といっても、高さも広さもそれほどなく、手を伸ばせば「すぐそこ」という近さ)を歩きながら、シチュエーション(「ここは某というアパートで」といった)を軽く説明するのだけど、この男の子、実はゴキブリだったのだ。

 シュールなシーンもいっぱいで、ワクワクした。説明的でちょっと臭いなと思ったセリフもあったけれど、全体的に詩を観ているようで、とても面白かった。老人が膨らんで風船になって浮かぶという設定なんて、現代社会を象徴していて、怖いくらいステキだった。

 文字や映像を組み合わせたお芝居を初めて観た。最初は「へえ~」と思ったけれど、効果的に使われていて、違和感もなく楽しめた気がする。老成した演出家が創ったものではなく、だからといって尖がっているわけではなくて、瑞々しく、さらりと深いところを突いてくるような、冷めた強いエネルギーを感じたお芝居だった。

 
 米国のノンフィクション作家であるレベッカ・ソルニット氏が著した『災害ユートピア』は、
・災害時になぜ人々は無償の行為を行うのか、
・なぜ混乱の最中に人々は秩序立った動きができるのか、
・なぜ災害が起きるとエリートはパニックを起こすのか、
・市民ではなく軍隊や警察官が犯罪行為を犯すのはなぜか、
・地震のあとニカラグアで革命へと突き進んだのはなぜか、
 という5つのなぜを明らかにするために、同時多発テロを含むいくつかの災害を詳しく検証した1冊である。

『災害ユートピア』
なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか
レベッカ・ソルニット(著)・高月園子(翻訳)
亜紀書房(2010年)/2,500円+税

 ちょうどその『災害ユートピア』を読んでいる最中だったので、『うまれてないからまだしねない』で描かれた隕石衝突や大洪水による人々の心理描写などが、余計に興味深く響いた。

 演劇というと、声を張って「演技してます」風なイメージだったのだけど(どんな芝居を観てきたんだ?)役者さんたちはいきむことなく、ごくごく自然な演技で、普通に電車の中でしゃべっている若者たちを眺めているような感じだったなあ。不自然な動きがなくて、発声などの基礎をきちんとしてきた人たちなんだろうなと思った。

 風船とうさんの娘役の役者さんの声が深くてどっしりとして、よく通るいい声だった。いい味、出してたなあ。

 個人的には、最後が少し拍子抜けというか、時間軸を越えて登場してくる夫婦の最後の言葉は必要ないような、スクリーンに映し出された文字だけでいいようにも思ったけれど、全体的にはすっごく面白いお芝居でした。観劇後用事があり、演出家の山本卓卓さんが登場するアフタートークは聞けなかったが、想像していたよりはるかに楽しめた。もう1回観てもいいなあと思うくらいに。
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さまざまな桜

2014-04-15 | 植物
 桜の季節は終わったけれど、緑が美しい季節がやってくる。「上野界隈の緑の中を歩こう」と出かけて行った。上野のお山を散策したら、ソメイヨシノは「ものの哀れ」を感じさせる姿になっていたけれど、ボリュームのある花房をつけた濃いピンク色の美しい八重桜があちこちで満開で、まだまだ桜の季節であった。

 上野公園内にある桜の地図を見たら、園内には40種類以上の桜が植えられていると書かれており、驚いてしまった。桜の品種は実に600種くらい存在するらしい。

これは根津神社の桜




 徳川家ゆかりの寛永寺門前の桜も見事だったし、徳川家霊廟の手前に咲き誇る桜も淡い色ながら力強く、それでいてたおやかで美しかった。若い頃は八重咲きの桜を暑苦しく感じたものだが、今では好ましく思えるようになった。なぜかしらねえ。人間として力が薄くなってきたからかしら……。

 オバチャンたちがヒョウ柄を好んで着るようになったり、妙にケバい服装に移行していくのと同じ感覚だとしたら、ちょっと考えてしまう……。ああ、もう、そんなことより、目の保養、目の保養、心の洗濯、心の選択…。


 入園料を惜しんでぼたん園の中には入らなかったけれど、入り口のぼたんを見て「満足、満足」とつぶやいたのであった。
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『うまれてないからまだしねない』

2014-04-14 | つぶやき


 来る4月19日(土)~27日(日)、池袋にある東京芸術劇場シアターイーストで、範宙遊泳が『うまれてないからまだしねない』を公演する。

 って、芝居をよく知っているような口ぶりだが、実は「範宙遊泳」という劇団名も私は初めて知ったのだった。

 古い友人でジャーナリストの坂本衛氏の娘さん、坂本ももちゃんが劇団「範宙遊泳」と劇団「ロロ」(カタカナで「ろろ」)の制作を担当している関係から「ぜひ観てくれろ」というお知らせが来て、「それでは」ということでチケットを予約した。
 作・演出は、いま売出し中の若手の中で最も注目されている演出家のひとりである山本卓卓(すぐる)氏だそうで、この方はももちゃんの旦那、つまり坂本氏の婿にあたる人であるから、坂本氏も応援しているわけですね。

 まだ見ていないので「こんな内容です」と自分の口からは伝えられない。見ても、きちんと伝える力があるかは疑わしいので、プレス用の紹介文から少し抜粋しておきます。

■範宙遊泳×東京芸術劇場

 2011年、東京芸術劇場が主催する芸劇eyes番外編『20年安泰。』、続いて2012年には東京芸術劇場リニューアル記念『東京福袋』に参加してきた範宙遊泳が、2014年初春、「 eyes plus 」単独公演最年少アーティストとしてついに東京芸術劇場に登場します。

 
 今はもう、ただおもしろい作品を作った。で、おしまい。とは言えない時代になってきているのではないでしょうか。
 自分たちの作品が、観客自身の血肉になっていくことが、私たちのような若い表現者が、社会とつながって生きていくことだと思います。

 山本卓卓と範宙遊泳はそのことを強く感じ、演劇と社会が接点をより多く持てるよう働きかける作品を日々創作しています。「生と死」「過去と未来」「物語と現実」など対比したモチーフを扱い、人間の日常のごくありふれた些細なことに焦点を当て、観客の価値観の転換を促します。

■新作公演『うまれてないからまだしねない』とは?

 2011年3月11日、それまで、と、それから、に、明確に線が引かれました。
 あの日、我々は「どうしようもなく理不尽な多数の生命の死」は存在するのだ、ということを知りました。知ってはいたけれどもそれまではいわばフィクションとして認識していたこと、が、突然現実になった、ともいえるかもしれません。

 
 あの日からフィクションは、「未来に起こりうる現実」になりました。
 そう考えると例えば新たな大地震も、放射能汚染も、隕石衝突も、老人が突然膨らんで風船になって若者が針で突く光景も、等しく現実になるかもしれません。なにが起きても不思議じゃない世界に、なってしまいました。

 
 「たとえ明日世界が終わるとしても、妊娠している女性は、産むよね?」
 これは、本作品構想の初期段階で山本卓卓がぼそりと言った言葉です。
 終末に向かう地球で、生命を継続させる/させない、選択肢のある私たち人間は、どのように未来を生きる/生きない、のでしょうか。もう誰も、関係ないふりはできません。

 
●東京芸術劇場
 https://www.geigeki.jp/performance/theater050/

●範宙遊泳 ★★★チケット予約もこちらから★★★
 http://www.hanchuyuei.com/top.html
 ※ネット予約すると、確認メールが来ます。あとは当日、劇場受付で名前を言い、支払っていただきます。
 ※ネットがご不自由な方は、携帯090-6182-1813も可

 ということであります。 

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震災関連図書の紹介のために

2014-04-11 | 
 日本ホリスティック医学協会の次号会報誌では、仙台事務局が募った震災から3年の活動、それを通して感じてきたこと、これからの活動方向などについての寄稿を中心に、自然災害から学ぶホリスティック医療の在り方といった内容でまとめることになり、今回も書籍紹介を担当させていただく。

 そのため、関連図書として挙げられた8冊のうち『救命-東日本大震災、医師たちの奮闘』『あと少しの支援があれば-東日本大震災 障がい者の被災と避難の記録』『在宅医療から石巻の復興に挑んだ731日間』を読んだのだけど、被災状況の写真だけでなく、甚大な被害に直面した医師たちの生々しい証言、障がい者の方たちが陥った悲劇などが次々に胸に刻まれ、震災後訪れた被災地の情景や、映像では伝わらなかった異様な空気感などを思い出して、苦しくなってしまった。

  


 『救命』に登場する医師の方々もみな被災者なのだ。宮城県の歯科医師の報告から「歯は人間の履歴書である」ことが実感として分かったが、これまで経験したことのない数のご遺体の口腔内をチェックしなければならなかった警察歯科医の過酷な作業状況には、現場に居合わせていないにもかかわらず、激しく動揺してしまった。同調してしまって、この数日間とても苦しかった。

 少し息継ぎしないと続かないと思い、修道女であり、上智大学グリーフケア研究所所長の高木慶子(たかき・よしこ)さんが書いた『悲しんでいい-大災害とグリーフケア』を読んだ。


 読んでよかった~。救われました。高木さんご自身、阪神・淡路大震災の被災者でありながら、阪神・淡路大震災の被災者のグリーフケア、「悲嘆」のケアに携わり、後にJR福知山線脱線事故の際もご遺族や加害者側の心のケアに関わってきた。

 「悲嘆」に寄り添うということがどういうことなのかが、心を込めて説明されている良書だった。ボランティアの心得などもやさしく解説されていて、とても勉強になった。

 「出会い・折りあい・幸せ――この三つは私の人生のモットーです。
 人との出会いを大切にし、どんなときにも相手との折りあいをつけながら行動するのです。折りあいをつけるというのは、その場その場で一番いい関係を築くことです。
 人だけでなく、自然とも、仕事とも、起こった出来事とも、一番いい関係をつくる努力をする。心にかかえた悲しみとでさえ、人はいい関係を築くことができるのです。
 そして、一生懸命築いた、あらゆるものとの一番いい関係こそ、自分の手ですくい取った幸せというものなのです。」

 高木さんの言葉がすうっと心に沁み込んできて、本当に助けられました。

 残る3冊は食事学だったり、災害時に立ち上がる共同体の存在に関するものだったりするので、これほど苦しくならないかもしれないけれど、呼吸を整え、整えしながらじゃないと紹介文は書けそうにないなあ。
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クリの一周忌

2014-04-08 | 犬&猫との暮らし
 去年の昨日、つまり月曜日の夜、クリのおなかが張って心配していたんだ。そして今日、火曜日(日にちとしては4月9日)の今頃は、独り茫然と冷たくなったクリの横にしゃがみ込んでいたんだ。

 訓練士さんの反対を押し切ってペットショップから買い取り、神経過敏で持病もあって一番手がかかったけど、クリがどれほど私を頼りにしていたか分かっていたから、最期の最期まで受け入れ難かったかもしれない私の看病を受け入れて、静かに逝ったあの子が思い出される。

 いいヤツだったなあ、クリ。
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犬たちへの献花

2014-04-07 | 犬&猫との暮らし
 ブナを見送った後、祭壇に花を欠かしたことがなかった。金欠で花束が買えなければ、たった一輪でも何かしら花を手向けてきた。

 かつて日本を代表するストックの育種家である黒川浩さんの圃場を訪ねたことがある。圃場は房総半島の突端にちかい館山市にあった。

 黒川さんが花卉栽培を手掛け始めたのは戦後まもなくのこと。食料も充分に行き渡るという時代ではなかったはずだと思い、私は「そんな時代に高価な花を買う人がいたのですか」と聞いた。

 すると黒川さんは遠くに目をやりながら、「そんな時代でも花は高値で売れました。花を求めている人が多くいたんです。あの戦争でどれだけの人が亡くなったと思いますか。何百万という人が亡くなったんです」と言って言葉を切った。
 そして、少しだけ強い口調で「自分が食べる物を我慢してでも、息子や夫の命日には仏前に一輪でも花を手向けたいという人がたくさんいたんです。あなたにそれが想像できますか」と言ったのだ。

 黒川さんの目がキラリと光った気がした。食べるためのお金を削ってまで花を手向けたいと思った人たちの情景が浮かび、目頭が熱くなった。私は黒川さんの目を見つめながら頬を伝う涙を拭い、何度もうなづいたのだった。

 取材中に涙をこぼすなんて申し訳なかったけれど、取材を終えて帰ろうとする私たちに、黒川さんは黙って温室の中に入り、ストックを大きな花束にして持たせてくれた。

 あの時の黒川さんの言葉と哀しみを湛えた瞳を思い出すと、今でも泣きそうになる。花は逝ったいのちに捧げ、悼むものであると同時に、生きている者を癒し、再生を祈る偉大なる自然からの贈り物なのだと思う。

 黒川さんが栽培を始めた当時、ストックは日本に入って来たばかりで栽培は難しかったけれど、水揚げもよく日持ちする切り花として珍重されたそうだ。花を求める人々の気持ちに応えようと、黒川さんはストックの育種を続けたのである。だから黒川さんの圃場がある館山を拠点に、房総半島ではストックの栽培が盛んなのだ。

 先週末、妹たちが房総に行くというので、私は妹に「クリの一周忌に手向ける花をたくさん買ってきて欲しい」とお願いした。
 道の駅などで売られている花は多分、卸売市場を通さず、生産者さんが直接持ち込んでいるからだと思うが、こちらで買うよりはるかに安い。お願いしたとおり妹が、私の好きなバラや香りのいいストックなどをたくさん買ってきてくれた。

  

 
 今朝、早起きして水揚げをし、朝の光の中で「主よ、人の望みの喜びを」をかけ、トチ、ブナ、クリを偲びながら色とりどりの花を活けた。水仙にデルフィニウム、カーネーションやスターチス……、部屋の中が明るくなり、清々しく満たされたひと時だった。

 
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詩「意志」

2014-04-06 | 
 この春、私の庭に一番乗りで咲いたハーデンベルギアの花。この冬は関東南部でも積雪が多く、越冬できないかもしれないと思っていたのに、可憐な花を咲かせてくれた。



 ムクゲもぽっちり新芽を携え、植え替えた時には諦めていたバラも若葉を茂らせ始めた。何だか励まされているようで、気持ちがしゃんとする。満開の桜も美しいけれど、ひっそりと、でも確かに新芽を用意している植物の息吹に感動する。そんな草花に勇気をもらいながら書いた詩。

 意志

 夜の街の
 さんざめく人々の声も
 まったく耳に入らなかった

 独りまっすぐ前を見つめ
 まっすぐ前を見つめて
 歩いた
 心が
 固く握られた拳の中に
 折りたたまれて
 すべてを拒絶するでもなく
 すべてを受け容れるでもなく
 ただ
 ひとつの目的のためだけに
 存在する意志となって
 凛として
 あった

 あなたを願う

 それだけのために
 わたしは
 夜の街でも
 何も見失わずに歩き続けた


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明治神宮で気を満たす

2014-04-02 | つぶやき
 何をするにも「気」が充填されていないと肚が座らない。こころを込めて何かを念じたり、仕事に集中するにも気の満たしておくことが大切だし、仕事が立て込んでいないうちにエネルギーをチャージしておこうと思って一人で明治神宮に出かけた。
 2月に神宮の森を歩いた際に、ものすごく清浄で強い「気」が全身に満ちてくることを実感したので、新たな仕事が始まる前にここはひとつ行っておかなくちゃと思ったのです。

 明治神宮の原宿口に着くと、何やらものものしい警備で、正門の鳥居からは入れないという。


 「なんで?」と思っていたら、今年の4月11日は明治天皇のお后・昭憲皇太后が崩御されて満100年ということで、さまざまな記念行事を挙行するらしく、今日は両陛下と皇太子が参拝する(既にしている最中?)ようなのだ。思い立って行った日がそんな日だなんてスゴイ運ね。
 それでも本殿への参拝はできるというので、線路沿いの道を本殿に向かった。境内にはもっと桜の木がある印象だったのに、そうでもなかった。

 平日だが春休みだし、行楽シーズンということもあり、海外からの観光客も多くてびっくり。おまけにそこら中に背広姿の公安や警備員がいっぱい。でも、そんなことに気を取られることなく、ゆっくり歩きながら樹木の力も存分にいただいた。

 本殿をお参りして願い事を捧げ、本殿の両脇にある見事な楠を拝む。雄々しくて、たっぷりと枝葉を茂らせ、包み込まれている感じがした。


ご神木の楠。とてもパワーがありました


神楽殿前の鳥居

 4月5日、6日には夜間、境内をライトアップする特別参拝が開催するらしい。影絵作家の藤城清治さんが奉納した作品が夜間参拝の折に公開されるという。若い頃、藤城さんの影絵劇団で下働きしていたことがあるので、懐かしいなあと思いながらチラシをもらってきた。きっと美しいだろうな。行ってみようかしら。

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テープリライト

2014-04-01 | つぶやき
 社史制作の過程で、あるいは講演録をまとめるということ以外でテープリライトを依頼されるものに、弁護士さんから、例えば証拠として発言を残しておくとかそれぞれの証言等々、いわゆる訴訟の資料の音源を起こす仕事があるのだけど、こちらは修文は一切せず、逐語反訳といって発言のすべてを言った通りにテープ(今はデジタル音源)を起こしていく。

 「あの~」とか「ええと、それは、ああ、違うか」とか、とにかく一語一語漏れなく記していく。これが意外と手間がかかり、と言うか、聞き逃せないという緊張感がある。

 接頭語や接尾語、意味のない言葉は何となく聞いていると聞き漏らすことがあるし、話し手が早口であるとか癖のある話し方をする場合や何人か話し手がいる場合、どの人の声か特定するのに何度も聞き直す。方言や訛りがあると聞き分けるまでにもっと時間がかかる。固有名詞も要注意。普段は何気なくしゃべっているけれど、人はわずか10分間でもかなりの数の言葉をしゃべっているものだ。

 以前はフットコントローラー付きの専用テープレコーダーを使っていたが、今ではほとんどICボイスレコーダーで録音するからテープレコーダーの出番なし。フットコントローラーもパソコンにUSB接続するタイプに変えた。

 それにしても仕事である以上、楽な仕事などないが、訴訟関連のテープリタイトをするたびに思う、弁護士さんは大変な仕事だなあと。生生しい男女間の問題、金銭トラブル、事故関連のもめごと等々、聞いていて「えええっー?」と思うことだらけだ。いや~、もうハラハラする。

 仕事とはいえ弁護士さんはそれに冷静に対応しているのだもの、たいしたものです。私には性格的に到底無理。まあ、そういう仕事を目指す人であるから、もともと聡明で冷静な対応ができる人なのでしょうけど。

 企業物や講演録だとドキドキすることはないのだけれど、この土日はずっとそんなふうにハラハラしたり、驚いたり、他人事ながら「そんな~!」と憤慨したりしながらテープリライトしていた。ああ、疲れた。

 なので、今日はお花見をしてリフレッシュしたというわけです。
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越戸川沿いの桜

2014-04-01 | 犬&猫との暮らし
 越戸川沿いの散策路が整備された頃には、ブナとクリがもう長い距離を歩けなくなっていたから、歩いて行ける場所なのに散歩に行ったことがなかった。



 今日初めてゆっくり散策したのだが、何か所かにベンチや東屋が設置されていて、散歩にはもってこいの場所だった。川がキレイなわけではないので、花の季節でもなければ殺風景なのかもしれないけれど、犬と歩くにはちょうどよさそうだ。
 カヤはまだサクサク歩けないので、ここまで歩いて来れるようになるのはいつのことか分からないけれど……。



 うちの周りでもこれからしばらくはいろいろな花が楽しめる。やがて新緑が燃え夏が来るまで、カヤを連れて来られなくても、心地よい散歩コースになるかもしれないな。私の哲学の小径?


 
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