小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

ダボス会議での野田発言

2012-01-28 | つぶやき

 何も心に響かなかった野田総理の発言。台本通りのお決まりの、心のこもっていない言葉の羅列。ロボットみたい。

「先送りしない政治を実現し、同じような政治情勢に悩む世界各国のフロントランナーになりたい」って、こそばゆい限りです。原発事故の情報隠蔽といい、議事録未作成で混乱する政府といい、今、世界にこの国と同じようなこんなお粗末な政治情勢で悩んでいる国はないと思う。

 あちこちからクスクスとしのび笑いが聞こえてきそうですね。

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過信は慎むべし

2012-01-26 | つぶやき

 ある広報誌の仕事をして3年目、振り返ると自分はつくづく「井の中の蛙」であったと思う。ちょこっと何か書いては口に糊してきたけれど、月刊だったので忙しないばかりで、毎回自分の中で充分にやれていたかというと、どうだったろう。ただ過信してやってきたのではないか。

 大元のクライアントが省庁だったために、取材した人達の本当の声が反映されていたかというと疑問だし、小さな抵抗はしてはみたものの、最終的には体裁のいいものにまとめてしまったように思う。

 縦割り行政、たらい回し、役人の体質……、今まで耳では聞いていても肌で感じられなかったことを実感する機会があったことはよかったと思っている。経験から学ぶべきことは多かった。

 戦後、日本人は限りなく復興への慾望を膨らませ、それを実現させるために走り続けてきた。科学技術も飛躍的に進歩し、高度経済成長を成し遂げたと思っている。その恩恵を受けたことは確かであろうけれど、私たちは科学や医療などへの過信から、人の幸福の本質を誤解してしまったのではなかろうか。

 原発事故を起こし、甚大な被害が発生したにもかかわらず、まだ技術を過信し、慾望を満たすために、国民を欺こうとしている政府や東電の人々。

 「充分過ぎるほど富も得ているだろうに、まだ何が欲しいのだろうか」と思ったとき、充分な富はない私ではあるが、じゃあ、私は何が欲しいのか。これからどう生きたいのかって考えてしまったなあ。

 私たちはとかく人の悪いところはよく目につき、自分の行為は分からないものだけど、反面教師はたくさんいて、それが分かったらそのつど自分を振り返らなければいけなかった。それが足りなかったのではないかと思う。さて、では、どうするかね。

 それにしても、ダボス会議での渡辺謙さんのスピーチは素晴らしかった。

「原子力と言う、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています」

 人間がすべてをコントロールできるなどという過信を捨て、今まさに謙虚にならなければいけない時なのです。

 

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作成されていなかった原子力災害対策本部の議事録

2012-01-24 | つぶやき

 フクイチの事故を巡って、避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など、政府が行って来た重要な決定事項を記載しておかなくてはいけない原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかったことが分かった。

 名古屋大学大学院の春名幹男特任教授は「将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」と指摘し、「自分たちの失策がそのまま記録されると困るので、あえて記録を残さなかったと思われてもしかたない」とも。

 私もそう思う。まだぼろぼろ失策が出てくる。文科省が事故3日後に「SPEEDI」で得た情報を米軍、米政府に手渡していたにも関わらず、日本国民には知らせずに不要な被曝を強いたことも然り。

 後から後からぼろが出て、私たちは政府の何を信用すればいいのか分からなくなった。耳通りの良い言葉を並べたて、さも国民に誠実そうなふりをしている民主党政権にも、既得権益にしがみついている官僚にもうんざりです。

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藤波心さんにはホント感心する

2012-01-22 | つぶやき

 昨年7月以降の「汚染稲藁問題」に続いて今年に入って「汚染採石問題」が取り沙汰されているけれど、放射能汚染ってこういうことなのだよね、基準値が決まっていようがいまいが、放射性物質が拡散すれば、どこにでも何にでも降り注ぐのです。
 
 場所によって放射線量の高低の差はあるだろうけど、放射性物質は放出されてしまった以上、簡単に消えはしないもの。

 「汚染採石問題」についても東電は「事故との因果関係が明らかになってから対応する」などと言って呆れさせてくださる。

 そこへいくと、今朝の東京新聞でクローズアップされていたタレントの藤波心(こころ)さんには本当に感心している。15歳であんなに真正面から社会問題に対峙して、意見を述べられるなんて、素晴らしい。14、15歳の私はどんなことを考えていただろうって思い出してみたけれど……、言えない。

 原発事故後、反原発・脱原発の声をあげた彼女を、友人のカサハラさんが「14歳の(まだそのときは14歳だった)すごい中学生がいる。ブログを読んで驚いた」って教えてくれたのだけど、私は半信半疑で「事務所の人が書いているんじゃないの?」なんて言っていた。
 心さんはTPPについてもしっかり言及している。問題を注視し自分の考えをもっていなければ、ああは書けない。半信半疑でごめんね、心さん。

 心さんはその辺の危機感が希薄な大人より、よっぽど賢明で理性的だ。「大人に利用されている」などと批判する人もいるらしいが、それは大変情けないことです。それでも彼女は批判は批判として受け止め、それも含めて見極めようとしている。現実を直視している。そこも素晴らしい。

 おばさんはこれ以上つまらん大人にならないように「汚れちまった悲しみ」をつくづく噛みしめておりますよ。
「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」by中原中也

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部品交換後のシビックは快調

2012-01-22 | つぶやき

 19日、車の修理屋さんから「手が空いたからシビックをもって来ていいよ」と電話があったので、早速もって行った。タイミングベルトなどを変えて、レガシーに車載されていたETCリーダーを付け変えてもらうことになっていたのだ。

 「明日にはできるでしょう」と言っていたので待っていると、翌日電話があった。何かトラブルかと思ったら「手がかじかんでしまって、仕事のはかがいかないんですよ。悪いけど明日にずれ込んでしまう」と言うのだ。思わず笑ってしまった。正直だなあ。

 ここのところとても寒いし、雪混じりの雨が断続的に降っていた。おじさんは外と変わらない状況の暖房も効かないガレージで作業をしている。着込んだら動きにくいし、軍手をすれば作業しにくいし、寒くてたまらなかったのね。2カ月以上待ったんだもの、ここへ来てもう1日2日にガタガタ言わないわ。

 ということで、2日後の昨日、修理は無事完了。受け取りに行くと、いつものことなのだけど、何を交換したか外した部品を見せながら説明してくれた。エンジンオイルもバッテリーも交換してくれたらしい。
 けれど、私が見て分かったのは古いバッテリーと何かのパッキングとファンベルトとタイミングベルトだけで、もうひとつ転がっていたファンみたいなヤツは何だか聞き取れず、分からずじまい。

 「まあ、いいか。寒い中かじかむ手で、良くしてくれたことは確かなんだから」と思って乗ってみると、なんとアクセルの感触が変わり、踏み込みが楽になっていた! 

 実は、修理前のシビックのアクセルにちょっぴり不満を持っていたのだ。「急発進するとガクガクっとするので、ゆっくり踏み込んでください」と言われていた。なんでもそれは「そういうギアシステムだから」だそうで、仕方ないらしい。
 燃費を考えても急発進などしないほうがいいのだけど、走り出すときにアクセルをゆっくり踏み込もうとしても、アクセルパッドがクックッと作動してスムーズじゃない。なんか違和感があった。「癖があるなあ、慣れるしかないのかなあ」と思っていた。

 ところが、あれこれ交換した後のシビックは、それが解消されていたのです。アクセルワークが非常にスムーズになり「クックッ」がなくなっている。内燃機関に弱い私は何を変えてこうなったのか分からないのだけど、とりあえずよかった、よかった。

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これには笑った「絶対原子力戦隊スイシンジャー」

2012-01-21 | つぶやき

 ブラジルのモラさんから教えてもらった動画「絶対原子力戦隊スイシンジャー」

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=0AcQJE_R0iw

 皮肉いっぱいでおかしかった。尾米タケル之一座の皆さん、お疲れさんでした~。

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仕事仲間からもらったオススメの品

2012-01-21 | つぶやき

 ある省庁の広報誌のライティングを担当している年増女、私とUさんとNちゃん3人は自らを「三人官女」と呼び、たびたび「三人官女の会」(飲み会ネ)を催している。毎号ではないにしろ「打ち上げ」と称した飲み会、暑気払い、忘年会、新年会などなど3人とも実によく飲むのである。
 
 広報誌はある出版社が制作委託を受けて、ある編プロさんに発注し、それを外注ライター3人が受けているので、私たちは「ひ孫請け」という立場。Uさんが「三人官女って言うか小作人だよね」と嘆くと、Nちゃんは「そうだけどさあ、辛いときは『メシノタネ、メシノタネ』という呪文が有効だよ~」なんて言って慰める。

 同じ媒体に関わる同じ立場の仲間なので話が通じやすく「ちょっと聞いてくれる~、こんなこと言われちゃったよ~」とか「ムカっ腹立つのでひとこと言わせて。聞いてくれるだけでいいから」とか、月に一度は電話やメールが行き来する。

 ついお互いにきつい意見を言い合ってしまうこともあるが、これまた同じ立場で同じ船に乗っている間柄なので、しばらくあっちを向いてしまっても、また事あるごとに慰め合ったりできるところが年をくった人間の良さだなあと思う。
 まあ、私より2人のほうが精神的に大人なのかもね。2人とも2人の子育て経験者だしなあ。私、犬育てしかしてないもんなあ、4頭育てたけど。

 それぞれ違う人生を歩いてきたのだし、考え方も性格も違うのは当たり前だから、いいところも悪いところも受け入れて片目をつぶるわけだ。 
 だからといって「表面的」などという安易な言葉では言えない付き合いなのは、やはりフリーランス、外注の立場でその大変さを理解し合えるからか、3人とも同じバツイチだからか(Nちゃんは形だけはバツになっていないけど)。

 版元や編プロから叩かれた経験や失敗や称賛や、いろいろな物が肩に積っているのだね。先日2人と話していて、つくづくそう思った。「外注の立場だと『裸の王様』には成り得ないから、人としていいことだよね」っていう言葉、含蓄があるなあ。

「三人官女の会」にはときどき特別ゲストとしてデザイナーさんやカメラマンさんが加わることがある。ああでもないこうでもないと愚痴を言い合い、ゲラゲラ笑いながら盃を重ねることになる。デザイナーさんやカメラマンさんが男性の場合はタジタジである。

 Uさんは、私やNちゃんと違ってクソ真面目なので、いつも2人から「真面目すぎる!」と言われるけれど、メゲずにずうっと真面目だし、楚楚としたお嬢様タイプなのに、ときどきすごく口汚い言葉をポロっというのが不思議なのだ。
 Nちゃんはひゃらひゃらしている感じだけど詰めがしっかりしていて、ものすごく物事を冷静に見ているから辛辣な意見をポロっと言うのだけど、それが逆にすごく面白くて、いつも大受け。地主様たちに対する発言が辛辣で、それでいて面白いったらないのだ。

「なんであんな仕事ができない、編集者とも言えない人を長く使ってるんだろう」とUさんが眉をひそめれば、Nちゃんがひと言「遠縁なんじゃないの?縁故採用だんだよ、きっと」。そこで思わず3人で爆笑してしまう。Nちゃんは愚痴や文句を言うときもにこにこして言うから、深刻にならないところが、またいいのです。

 前置きが長くなったけれど、そんなNちゃんが資料を貸したお返しに「ほかほかグッズ」を送ってくれた。「あずきのチカラ」、有機栽培の「さつきほうじ茶」「仙台麩(あぶら麩)」。どれもいいねえ。

         

「小豆の肩マットは、肩こりで頭痛がするくらい辛い日に、偶然見つけたものなの。
 中身が小豆とは、懐かしいような罰当たりのような複雑な感じではありましたが、
『きっと売れ残りの古豆さ!』と言い訳しながらレジへ。

 でも、すごく温まるよ。ほのかにゆであずきの匂いがしてきてね、
 そこでも悪いことしているような・・・・『小さな悪徳』がね、またいいです」   

 だってさ。いいでしょ?

 Uさんが2人に買ってきてくれた愛知県角谷文治郎商店の「三州三河みりん」も、ものすごく美味しかった。あれは芳醇なお酒でしたね。安物しか使っていなかった私の、みりんの概念を覆した逸品だった。オススメです。

角谷文治郎商店 http://www.mikawamirin.com/index.php

 それから、デザイナーさんが「ここのは旨いんだよ~」と言って3人に持って来てくれたのが取手市「新六本店」の奈良漬。これも絶品だった。なぜ奈良漬が取手名産なのか分からないけど、あまり奈良漬が好きではなかった私が虜になったほどでした。

新六本店 http://www.shinroku.co.jp/ 

 大抵いつもUさんが幹事となって「三人官女の会」が催されるのだけど、もうすぐ「新年会」が予定されていて、今回も特別ゲストに招集をかけているらしい。UさんとNちゃんへのお返しに何か買っておこうかなあ。人に差し上げるものをあれこれ考えたり、選んだりするのは楽しいよね。

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やっぱり河川敷が好き

2012-01-17 | 犬&猫との暮らし

 シビックが来た翌朝から、犬たちをそれまでどおり河川敷に連れて行ってやった。2頭ともまあ嬉しそうで、あっちをクンクン、こっちをクンクン、久しぶりにいろいろな匂いを嗅いで満足そうだった。

        

 クリなど小走りなんぞしちゃって、すっかり前庭障害を克服したブナもグングン歩いてた。住宅が並び、クルマが行き交う道の歩道より、河川敷の小道のほうが開放感もあるし、自然が濃いものね、私だって河川敷のほうが好きだもの。

        

 犬乗せ車の中はどうしようか、何パターンか試してみた。後部座席を跳ね上げて荷台をフラットにして乗せてみたり、その状態で助手席に来ようとして足を引っ掛けては危ないので、助手席に来れないように網で仕切ってみたり……。
 網の仕切りは傑作だと思ったのだけど、でもブナの一押しでずれてしまうし、何かあった時にかえって危険だなと思って1日で外した。


   

 もう足腰も弱くなっているので、あまりスペースがないほうが動き回ってこけたりせずに安全だということで、荷台フルフラットパターンは却下。レガシーの時と同じように助手席を思い切り倒して後部座席とつなげるパターンを採用。運転席の後ろの座席の足元には、ちょうどいい大きさのコンテナボックスを置いて、彼らが落ちないようにした。

        

 管理人さんに「小さいクルマにしたね」と言われた。確かにね、荷台は狭い。
 レガシーは加速力があって胸がすくような伸びを感じたけど、シビックはそういうタイプのクルマではないので、加速したときの爽快感はないわね。

 オーディオの使い方がまだよく分かっていないのだけど、CDやMDプレイヤー(も付いている)を使用するときは、画面の横のボタンを押すと画面が水平に倒れて来て、その奥にあるそれぞれのプレイヤーにCDやMDを入れるようになっている。一体型って便利なようでそうでもないのね。そのうち慣れるでしょう。

 犬たちもレガシー型の車載パターンに慣れていたため、広々していて転げてしまうより、背もたれが支えになる今の乗り方で落ち着いたみたい。

        

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原発マネーは怖い

2012-01-16 | つぶやき

 昨日の東京新聞に「お年寄り 金拒み海守る」と題して、山口県の上関原発建設計画に反対し続けている祝島の島民の暮らしぶりが、2年前に広島県から移住した女性を通して語られていた。

 この記事が素晴らしかった。祝島の生活は、お金を出せば何でもすぐ手に入る、経済効率重視の都市部の生活とはかけ離れたもので、便利さを手に入れた者には不便そうに見えるけれど、実は生き物としての人間が基本的な力や思いやりを発揮できる、なんと豊かなところだろうかと思った。

 北海道電力泊原発を抱える北海道泊村では、村が受け取った2011年度の原発関連の固定資産税は約27億円で、電源立地地域対策交付金は約5億4千万円。一般会計の約8割が原発マネーで、それが村にばらまかれているのだという。

「住宅新築で200万円までの奨励金、結婚と出産で各10万円の祝い金がもらえる。65歳以上には原価700円の弁当が100円で毎日、自宅に届く。各戸にパソコン1台が無償貸与され、インターネット回線も無料」だそうだ。

 何もせずに楽な暮らしやお金を手にし続けると、まっとうな思考能力もなくなっていくのだろうか。村の幹部たちは「原発が止まっても、廃炉になるまでの何十年間は、国も北電もそれなりの補償をするはず」と思っているらしい。

 泊村では村民の多くが原発関連の仕事に就いているから、原発がなくなると困るという構造になっている。それは福島も同じ。本当に原発マネーは、一度手にしたら縁を切ることができなくなる麻薬だ。

 「貧しい地域は都市の犠牲になりやすい」と東京新聞のデスクメモにあった。都市部で暮らす私たちは、原発を抱えた地域の問題を自分たちのこととして考えていかなくてはいけないのだと思う。

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やっと来た、シビックX

2012-01-11 | つぶやき

 本日やっと新しい中古車(ややこしい)を入手。修理屋のおじさんは何でも「まだファンベルトを変えたり、あちこち交換したい部品はあるのだけど、急に2台の車検を頼まれてしまって手が回らないので、乗って行っていい」という。
 早急に必要な部品変更ではないそうなので、首を長くして待っていた私は連絡をもらうとすぐにレガシーに乗って、シビックを受け取りに行った。

 さようなら、レガちゃん。2年も乗ってあげられなかったわね、さようなら~。

 かくしてレガシーに別れを告げた私は15万円を支払い、シビックXを我が物にしたのであった。

 実家でシビックシャトルだったかを保有している時代があり、私は気に入って乗っていた記憶がある。

 そうえいば、近所の子どもが、うちのシビックシャトルのバンパー(なんでバンパー?)に、あろうことか油性マジックで下手くそなウルトラマンの絵を描き、その子の親が恐縮して謝りに来たことがあったなあ。

 父がキーをつけっ放しにしたまま忘れ、翌朝、うちの前の駐車スペースからクルマが消えていたこともあった。あれも確かシビックシャトルじゃなかったか。世田谷区梅ケ丘なんて行ったこともない場所に乗り捨てられていたうちのクルマを、取りに行ったのは私だ。

 しかし、深夜とはいえ、家族のだ~れ一人としてクルマを盗まれたことに気づかなかったなんて、まったくもってお間抜けファミリーであった。
 シビックはかなり代替わりしたが、かように馴染みがあるクルマなのです。

 手に入れたシビックXは2004(平成16)年4月発売モデルで、思っていた以上にワンボックスカータイプだった。シビックもずい分変わったのね。みんなオデッセイみたいな感じになってるのね。

 セドリックとかグロリアとかマークⅡのバンタイプを乗り継いできて、今でも私は四角ばったクルマのほう好きだ。本当はあまり丸みを帯びたワゴンは好みではないのだけど、多分機能的にもそれの方がいいのか、主流はそれ。もう四角いクルマは見かけない。

 ただ発表されている公式データでは、シビックXの燃費はリッター17キロだそうで、今まで乗ったクルマの中では一番いい。本当ならとても頼もしい。早速ガソリンを補充しに行った。妹に「ハイオクと間違わないようにネ」なんて言われちゃって。そう、レガちゃんはハイオクだったからね。

 また身の丈に合ったクルマに戻ったというわけです。自動車税も自動車保険も安くなりました。あとは老いた犬たちに合った車内環境を整えてあげればいいのだ。取りあえず後部座席を動かしてフラットにしてみたのだけど、明日彼らを乗せてみよう。どうかなあ。

 そうそう、ナビデータがだいぶ古いようだけど、これはどうすりゃいいのかしら。明日調べてみようっと。地図は簡単に買い替えることができるけれど、標準装備のナビって情報の更新をどうするのかしら。あまり使わないからいいけど、一応方法を調べておかねばなるまいね。

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人形峠のウラン残土

2012-01-08 | つぶやき

 今朝の東京新聞に、鳥取と岡山の県境にある人形峠で大量にウラン残土が放置されていた問題と闘ってきた元記者の記事が掲載されていた。

 地元ではかつての動燃と国の無責任ぶりに翻弄されたまま、長い間、放射線量の高いウラン残土の行方は決まらぬままだった。最終的に、高放射線量を出す残土を6億6,000万円もかけて、アメリカに公害輸出し、残りは放射線が出にくいレンガに加工して、県外に出したそうだ。農水省、文科省や参院議長公邸などの花壇にも使われているらしい。

 放射線量の高いウラン残土を、大枚はたいてアメリカにうっちゃってしまったということにも驚いたのだが、それより何より愕然としたのは、その残土が搬入された所が先住民の土地だったということだ。

 外国の弱い立場の先住民にツケを回して恥じない国だから、原発事故も収束していないのに原発を輸出することもできるんだね。

 ああ、知らなかった、無知であった。

 報道されていたであろうに、気に留めていなかった。そういえばジャーナリストの岩上安身さんが「無知から無関心は生まれる」とツイートしていた。無知だから無関心なのか、無関心だから無知になるのか、どちらとも言えるが、いずれにしても無知も無関心も好ましくないことは確かだ。

「アメリカ合州国の核開発が1940年代以降のマンハッタン計画に始まり、マンハッタン計画以来、先住民の土地であるアリゾナ州のレッドロック鉱山などで採掘されたウランによって、ナヴァホやホピの先住民が被曝し、つぎつぎ肺ガンの犠牲になって死亡していった」ということについても、無知だった。

 力をもつ者にあらがえず、理不尽に翻弄される民の情けなさが、こんな私でも実感できる。先住民の人々の口惜しさに比べたら、露ほどではあるけれど。私は恥じる、とても恥じている。厚顔を許していることにも、自分の無力さにも。

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ミヒャエル・エンデの言葉

2012-01-07 | つぶやき

 ミヒャエル・エンデの作品を夢中で読んでいた頃のことを思い出した。

「いつも予め結果を知りたがる人は、決して、精神と生の、真の冒険に身をゆだねることができません。人は、いわば闇の中へ墜落し、その後、そこで会得した別の編成を整えて、自力で、独立独歩、創造的に前進すべきなのです。」 ミヒャエル・エンデ『ファンタジー神話と現代』より

 ちょっと今、闇の中に埋没したり、浮上したり……。そうだな、別の編成を整える時かも。「自力で」考え、「前進」することが重要なんだな。

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もうすぐ車が来る

2012-01-03 | つぶやき

 ちっともお正月らしくない。なので、元旦に行列にめげてしまった初詣にトライしてみた。氏神様の氷川神社は今日、人気もまばらだった。
 昨年買ったお札を収め、我が家の犬猫の健康から被災地の人たちの復興、原発事故の収束、脱原発社会の実現などなど、念入りにお祈りした。お賽銭、足りなかったかな。

 ワインやビールを買い出したかったので車で出ようと思ったが、暮れにブナを病院に連れて行った際、停車してドアを開けた拍子に何やらふっと焦げたような匂いがしたので、これ以上「騙し騙し」乗っていられない状況なのではないかと思い、我慢した。

 暮れに修理屋のおじさんから「車庫証明」を取っておくように言われたので、年末最後の開署日に滑り込みで申請。6日に証明書が発行されるとのこと。

 私の車になるはずのシビックの持ち主宅には、年末に新車が納車されたらしい。ああ、いよいよ待ちに待った車がやってくるのか。うれしいなあ。
 それまでどおりに車を使えなくなって2カ月以上、ずい分市内循環バスにも乗ったし、リュックを背負って徒歩で買い出しに行った。いいことだ。明日も市内循環バスに乗って、病院に犬たちの薬を買いに行こうっと。

 元の持ち主はシビックをもう手放せるのだから、6日か7日に納車してもらいたいところだが、修理屋さんが「悪いねえ、7~9日は連休で出かけちゃうんだよ」と言うので、10日まで待つことになった。仕方ない。あと1週間の辛抱だ。

 シビックが来たら、またブナとクリを河川敷に連れて行き、オフリードでのんびりと土手の小道を歩かせてあげたい。

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そんな機能、必要か?

2012-01-01 | つぶやき

 便利なものには無駄も多いと思っていた。オール電化なんて、ちっともいいと思っていなかった。大震災後、原発事故後はさらにそういう思いを深めている。

 電気をジャカジャカ、水をジャカジャカ使って当たり前だと思う生活は慎まなければいかん。労力は惜しまず、無駄に電気を使っちゃいかん、食品ロスもなくしていかねばなるまいと常々同業の知人と意気投合していた。

 それなのに、である。その知人の家でトイレを借り、トイレの扉を開けたら、すうっと便器の蓋が開いた。ありゃりゃと思いながら用を済ますと、水を流すコックが見当たらない。キョロキョロしている間に、勝手に水が流れ、洗浄が終了していた。と同時に、蓋が音も立てずに閉まっていく。

 なんじゃ、こりゃ。これが高機能トイレというものらしい。フルオート便座、フルオート洗浄、いろいろな機能が搭載されている。そんなに必要か? 

 フルオート洗浄は確かに節水になるかもしれん。でも、節水ならほかの方法もあろう。便器の蓋を自動で開閉させる必要があるのか。「超節電」とかなんとかいいながらも電気は使う。
 そもそも便器の蓋はそんなに大事なものなのか。蓋の開閉が必要なら、手でやればいいじゃないか。

 だいたい高速道路のサービスエリアなど公共施設のすべてのトイレに、ウォシュレットが必要か?と、いつも首を傾げている。トイレだけでなく、無駄にエネルギーを使っているものが多過ぎるように思う。

 便利な暮らしに慣らされるとうまい宣伝文句にころっとやられ、言うこととやることのバラバラさ加減にも気付かなくなってしまうのか。「技術の進歩」というだけで、素晴らしいことだと手放しで受け入れていると、見えない弊害に思いを向けたり、本当に必要か否かを考える回路をなくしてしまうのかもしれない。

 それは怖いことだと思う。ひとたび事故が起きれば、これほどまでに翻弄される原発。原発に頼らない暮らしを実現させるには、どうしたらいいのだろうと考えているので、なおのことそれは怖いことだと思ったのだった。

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2012年が明けた

2012-01-01 | つぶやき

 ブナが快復したと思ったら、今度は実家の父がヨボヨボしてしまい、家業に支障が出ているとのこと。脊柱管狭窄(多分)で足腰がよたついていることに加え、長年の大量飲酒による弊害で日常生活もスムーズに行えない様子。納期が過ぎた機械の調整に手間取っているらしい。

 基盤とか電気系統には弱いけれど理化学機械の組み立てなら、指示さえあれば工具を使いこなしてやれないこともない。仕方ないので、先月20日から毎日のように妹と2人で父の仕事の手伝いに行っていた。
 
 そんなことをしていたため、自分の仕事の予定が大幅に狂ってしまった。なので、大晦日も元旦もお仕事であります。お正月休みはありません。

 年賀状を書くのも遅れ、今日、投函しに行ったついでに(「ついでに」なんて言ったら、バチが当たっちゃうけれど)、氏神様に初詣。
 と思って行ったら、お参りするのに行列ができていた。例年は正月2日に行っていたので、元旦の人手が分からなかったのである。行列が苦手な私はあっさり諦めて、出直すことにした。

 大晦日は年越しそばをゆで、「細く長く生きるのですよ」と言いながら、ブナとクリにも少しずつ与え、自分もすすり込んだけれど、年越しの感慨も希薄で何とも味気ない。

 夜中「朝まで生テレビ!元旦SP」をぼんやり眺めながら、「された質問に対して、的確に返答できる人って意外と少ないなあ」とぼんやり思った。「そうなのか」「そうでないのか」を聞かれてもそれには答えず、思いの丈だけを、自分の訴えたいことだけをしゃべってしまう人が多い。

 そこへいくと、独特の口調でのんびりとモタモタしているように聞こえるけれど、戦場カメラマンの渡辺さん(だっけ?)は、実にきちんと質問に対する答えを返しているなあと、ふと思ったのだった。

 そんなこんなで、妙な感想を持った2012年の幕開けでした。
 

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