小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

紫陽花革命6.29

2012-06-30 | つぶやき
 昨日の首相官邸前抗議集会は、主催者発表ではゆうに10万人を超えており、本当にものすごい人の波だった。そのため兄家族やカサハラさんやその他知り合いには誰とも会うことができなかったけれど、思いをひとつにした見知らぬ周りの人達と力強く「原発再稼働反対」の声を上げながら歩いたのでした。

              
              このプラカード、いいでしょ!私の前に
              いた女性が掲げていたものです

 集会開始の15分前に現地に着いたのだけど、すでに数千、いや、万にも及ぶであろう数の老若男女が列をなしており、最後尾に着くまでに15分もかかった。
 空が薄暮ににじみ出すと、広瀬隆さん提唱の「正しい報道ヘリの会」のヘリコプターに向かって、皆が手に手に灯りを掲げ、祈るようにシュプレヒコールを繰り返したのだった。

 その様子は同会のヘリ第2便に乗ったカメラマン、野田雅也さんのWebサイトにアップされています。
http://fotgazet.com/news/000226.html

 7時半を回ろうという頃、官邸前を占拠する人々が溢れかえり、一時車道が解放された瞬間、大歓声があがり、熱気がみなぎった。

 今日、手伝いがあって実家に行った際、兄や兄嫁さんと昨日の集会の話で盛り上がった。兄嫁さんに「どの辺にいましたか?」と聞かれたけれど、どの辺とも説明がつかない。結局彼らも、参加しているはずの知人たちには会えなかったと言っていたけれど、それくらい人が溢れかえっていたのだ。

 たった5分でも、たった10分でも抗議の声を届けようと、閉会間近になっても続々と人が集まってくる。矢も盾もたまらず仕事帰りに駆け付けた人、関東近県から電車を乗り継いで駆け付けた人、外国人の姿も多数見かけた。
 本当に市民は怒っているのだ。本当に危機感を持っているのだ。無関心ではいられないのだ。

 
原発再稼働への「NO!」は、とりもなおさず野田政権への「NO!」なのだ。

 消費税の増税に「本当は反対したかったけれど、自分はできなかったので、造反組には重い処罰を」と迫った民主党議員の幼稚さには呆れかえる。ただただわが身可愛さで、反対できなかっただけじゃないか。子どものケンカの言い合いっこにも劣る発言である。
 
次の選挙で民主党が惨敗するであろうことは目に見えているけれど、かといって、民主党に代わって政りごとを委ねられる政党がないことが情けない。

 それでも政治家の暴挙に対しては声を上げ続けなくては。1年数カ月前にあれほど酷い原発事故が起きたのだもの。まだたくさんの人が事故によって苦しんでいる。それを踏みにじる政治家には諦めずに声を届け続けよう。
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紫陽花革命

2012-06-23 | つぶやき

 各地で原発の再稼働に抗議する集会やデモが盛んに行われている。官邸前で行われている抗議デモへの参加者が週を追うごとにどんどん増えている。

 6月22日、この抗議行動はtwitter上で「紫陽花革命」と名づけられ、昨日官邸前で声を上げた参加者は4万5000人を数えた。熱い夜でした。

 今日、用があって実家に行くと、兄嫁さんが「昨日、お義母さんには外食すると言って出かけたのだけど、家族で官邸前のデモに参加していた」と話してくれた。そうだったのか、参加していたのか。昨年6月のエネシフパレードに続き、中1と2歳半の甥っ子も一緒だったという。

「参加していたのがごく普通の年配のご夫婦だったり、勤め帰りのサラリーマンだったり、家族連れだったり、学生のデモ隊と警官との衝突などを連想させる、かつてデモのイメージとはかけ離れたものだねって、帰り道、夫婦で話していたんですよ」と兄嫁さん。

「国民が原発事故を通して無関心だったことを反省し、行動を起こし始めたということなのだと思う」。そうね、本当にそういうことなのですよね。

       
      「墨田の花火」       「柏葉アジサイ」

 うちの庭に咲いている紫陽花のうちの2品種。白い紫陽花の品種だけど、こんなに色も形も違う。
 それぞれの主張があっていい。それぞれがそれぞれの方法で意思を表明することが大切だと思う。行動の仕方はどうあれ、花を咲かせてこそ主張も伝わるというものだから。

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シビックのジャダー解消

2012-06-22 | つぶやき

 ブラジルに赴任している友人のモラさんは、エンジニアだけあってクルマの不具合について敏感に反応してくれる。
 今回もモラさんからのアドバイスのおかげで、悩まされていたシビックの発進時の不快な音が解消されたのでした。モラさん、本当にどうもありがとう。

 中古シビックを手に入れたとき、車屋のおじさんから発進時に音がすることは聞かされていた。シビックはそういう現象が発生しやすいシステムなので、ゆっくりアクセルを踏み込んで発進するようにせよ、と言う。
 何でも特別なオイルをさせば、その不快音は解消されることもあるが、そのオイルは値段が高い。ほんの少しさすだけなのに1缶1万円くらいするし、簡単に入手できない、というようなことも言うのだった。

 私が「ホンダの販売店では売っていないのか」と聞いたら、「一般に買えるものじゃないよ」という。「一般に買えなくても、おじさんは修理屋なんだから手に入れてくれればいいのに」と思いつつも、ゆっくり発進するしか対応策なしという状況で毎日やり過ごしていたのです。

 が、しかし、いくらゆっくりアクセルを踏んでも「ゴゴッ」という不快な振動音する。これでは確実にどこかに負担がかかっている。そのうちまたクルマが壊れちゃうのではないかと思った。毎回クルマに乗るたびに不快な振動を味わうことになり、すっきりしない気持ちだったのだ。

 そのうちデコボコのある路面を走ると、左側面後部からカタカタ鳴る音もしてきた。なんだろうと思って周りを点検すると、ドアの下の樹脂カバーっていうのかしら、

(←これはMy CIVICではありません)

 「ココ」の部分が外れていたのです。ぶつけたか擦ったかしたらしく止め具が壊れていて、気付かなかったのだけど、透明の粘着テープで固定してあったようなのだ。それが剥がれてカパカパになっており、デコボコ道の振動でカタカタ鳴っていたのだった。

 ボディやバンパーのへこみや擦れは走行に支障がない限りどうでもいいのだけど、下手をすると走行中に外れて落ちるというような不具合は困る。
 交換時期をとうに過ぎたタイヤの摩耗といい、この破損といい、私への納車前の点検で分かりそうなものなのに、正直に伝えてもらえなかったことにとてもがっかりした。

 そんなときモラさんが発進時の振動音について、製造年やトランスミッションの型からして、旧モデルのフィット同様にトランスミッションがCVT(ホンダマルチマチック)式のシビックも、そういった現象が発生することがあることや、整備士に「ジャダーが発生した」旨伝えれば、すぐに対応してくれることを教えてくれたのだった。

 ホンダのCVTには構造上のクセ(?)のようなものがあってジャダーが発生することがあるそうで、この現象を抑えるための専用ミッショオイルがあるのだそうだ。おじさんはこの専用オイルのことを言っていたのだ。

 そこで近くのオートテラス(ホンダプリモ埼玉西)に持ちこんだ。専用ミッションオイル「ウルトラHMMF」の交換、ワッシャー、ドレンプラグの交換という「当り付け作業」をするということで、7年間の無償作業期間は過ぎており1万5000円かかったけれど、1時間半くらいで見事にジャダーが解消されたのだった。

 オートテラスのスタッフの方たちは電話にしても気持ち良く対応してくれたし、近くのホームセンターで時間を潰している間に迅速に作業が済み、本当に有難かった。今度から車検や整備はオートテラスにお願いしようかと思った。

 ちなみに止め具が壊れてしまっていたカバーリング部分は、白いガムテープとエポキシ樹脂系の接着剤を買ってきて自分で修理した。多少見てくれは悪くても、走行中に外れて落ちるよりはいいからね。 

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復興ぞうきん

2012-06-19 | つぶやき

 昨日、詩の同人会があり、有数の古書店街として知られる神保町に出かけた。
 神保町は私の大好きな町で、浪人時代は予備校の授業がないとき(授業があってもさぼっては)よく1人でぶらぶらしていたし、三省堂の並びの書店「書泉グランデ」でバイトをしていたこともある。同人会を主宰している岩井さんが小学館のOBということもあり、嬉しいことに同人会はいつもこの神保町で開かれるのです。

 ランチを済ませて立ち寄ったのは、昭和初期創業の老舗茶房「きゃんどる」。私が知っている「きゃんどる」は古本屋街の一角にあったように記憶していたのだけれど、一帯の再開発で今は東京パークタワーという高層ビルの1階で営業していた。

 神保町の魅力は書店の町というだけでなく、昔ながらのたたずまいの喫茶店が残っていることだ。「ラドリオ」「さぼうる」「ミロンガ」「神田伯剌西爾」…、よく利用していた風情ある喫茶店がまだ健在なのが嬉しい。

 「きゃんどる」で美味しい珈琲を飲みながら一服し会計を済ませたあと、ふと目に止まったのが、海苔巻きのように巻かれた雑巾に付けられた帯の「復興ぞうきん」という文字だった。ぬくもりのある木のテーブルの上に、カゴに入れられて置かれていたその「復興ぞうきん」を思わずひとつ買い求めたのだった。ひとつ300円。

              

                       

「復興ぞうきん」には縫い手さんの名前と出身地が書いてあった。私が買った雑巾には男性の名前が記してあった。震災前には雑巾など縫ったこともなかったのではないだろうか。どんな方が縫ったのかは分からないけれど、想像もしなかった生活を送らなければならない戸惑いを、ひと目ひと目を縫うことで何とか振り払おうとしている姿が浮かび、少し切なくなった。

 帯にはこんなことも書かれていた。

「復興ぞうきんの縫い手さんの多くは岩手県内陸部に転居を余儀なくされた方々です。震災後、県都・盛岡市やその近郊で新たな生活をスタートされました。
しかし、働き口の受け皿には限界があるのに加えて、周囲にほとんど知り合いがいない方も少なくありません。そこでSAVE IWATEでは、縫い手さんに気軽に集まってもらえるような場-『紡ぎサロン』-を定期的に開催しています。」

 どうして茶房「きゃんどる」に「復興ぞうきん」が置かれていたかは分からないけれど、この雑巾、大切に使わせていただきますね。

SAVE IWATE  http://sviwate.wordpress.com/

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ハゴロモジャスミンの生命力

2012-06-17 | 植物

 引っ越してきた当初に地植えしたハゴロモジャスミンは、部屋の目絶ち(目隠し)として常緑の葉を茂らせ、5月にはたわわに花房をつける。清楚にしてゴージャスな咲き誇り方で目を楽しませてくれるのはいいが、難点は匂いがあまりにも「くどい」ことだった。

 私自身、あまり好みの匂いではなく、もう少しほのかに香るフルーティーな香りだったらいいのに、と毎年開花するたびに思っていたのである。

            
            これは昨年の写真。今年はもっとダイナミックだった

 5月初旬、7分咲きほどに咲いた頃だったか。テラスにたたずんでいると、隣のテラスの窓が開く音がしたかと思うと、「うっ、臭っ!」というお姉さんの声がして、ガラガラピシャッ!と窓を閉める音が聞こえた。

 うちの庭にはヒキガエルが産卵した生臭さが若干残っていたけれど、近隣の人が鼻をつまむほどではなかったから、隣のお姉さんに「臭い」と言わしめたのは、間違いなくハゴロモジャスミンが放つ匂いであろう。ううむ、くどくて臭いと思っていたのは、やはり私だけではなかったか…。

 隣のお姉さんは1歳くらいの乳飲み子を連れて、実家に戻って来ているようなのだ。窓を全開して清々しい空気も入れたいに違いない。なのに、窓を開ければくどい匂いが入ってくる。「たまらないわ!」という感情が込められた「うっ、臭っ!」であった。

 悩んだ末、私はとうとうハゴロモジャスミンを伐ってしまう決心をしたのであった。質の悪い土であったにもかかわらず、文句もいわずに根をしっかりと張り、そばに立つ木にも絡みついて茂っていたハゴロモジャスミンよ、許せ!

 ザクザクと刈り取ったハゴロモジャスミンの花房や枝葉は70リットルのゴミ袋7袋にも及び、胸が痛んだ。根は深く広く張っていたので掘り起こさずに残したが、根元まで容赦なく刈り込まれ、ハゴロモジャスミンは目絶ちとして役割を果たした10年の歳月に終止符を打ったのであった。

 と思っていたら、ハゴロモジャスミンはひこばえを伸ばし、それが今ぐんぐん成長している。まるでノエホタ母のセカンドハウスの庭にあるバナナのようだ。なんという力強さ!
 目絶ちがなくなったので、実家からムクゲとアブロチンをそれぞれ2鉢もらってきたばかりなのに、その脇の地面からにょきにょきと新芽を伸ばしている。

                   

 「好きだなあ、コイツ」と思いました。この生命力、この打たれ強さを見習いたいものだと思った。
 これからはあまりこんもりとさせず、隣のお姉さんに「臭っ!」と言われないように育てていくからね。

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『ウッシーとの日々』に慰められて

2012-06-16 | つぶやき

 「大飯原発の再稼働を政府が正式決定」「民自公 増税ありきの歩み寄り」、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた。出来レースですからね。東電の値上げも然りです。

 そんな子供だましが通るわけもないのだけど、政府はさも民意をくみ取り、慎重な判断をするべく時間稼ぎ的な茶番を演じてきたわけだけど、そのグズグズの時間が流れる間も、被災地の時間は止まったままですよ。どうしようもない内閣だ。

 国民の怒りをエネルギーに変えられたらいいのに。ものすごい発電量だと思う。

 独り言が、政府や官僚主義を口汚く罵る内容になりそうだったので、そんな言霊を部屋中に充満させてはいけないと気を取り直して、本棚の整理なんぞしていたら、奥の方からはた万次郎画伯の書いた『ウッシーとの日々』全6巻が出てきた。

 自らマンガ本を買うことはあまりないのだけど(あっ、つげ義春の作品集はけっこう持ってるんだっけ。あっ、それから吉田戦車の『伝染るんです』も2冊持ってた!)、『ウッシーとの日々』は気に入って全巻買ってしまったのだ。もう15年以上前のことだけど。

 これは、はた画伯が北海道下川村に移住して、牛のような模様から「ウッシー」と名づけた犬との暮らしを描いたマンガなのだが、はた画伯の犬に対する考え方が好きで、はまったマンガだった。

 久しぶりに読み出したら、止まらなくなってしまった。

 ある巻に、北海道の過疎化した村に補助金をまいて、村が何億もかけたふるさと交流館やらの箱モノを作ったことが描かれていた。
 風刺をするにしても、語り口が全体的にほのぼのしているので気持ちが和んでいき、その件にも「国のやることは何にも変わってないなあ。お金をばらまけば国民がいうことを聞くと思ってんだな~。役所の人間も箱モノを作ったあとの利用率や維持費のことまで考えられないのかねえ、バッカみた~い」と、いつの間にか怒りより「ふん」と鼻で笑い飛ばす余裕が出てきたのであった。


 よし、今日はハッピーアワーを前倒しして『ウッシーとの日々』に浸ってやろう。ついでに『伝染るんです』も読んじゃおう。そして、国の愚行を笑い飛ばしてやろうっと。

 安全性も曖昧なまま原発が続々と再稼働されることへの抗議や被災地支援は、まだまだ続けなくてはいけないのだもの。怒って己を消耗している場合じゃありませんね。笑い飛ばして向き合い続けなきゃね。

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国民の「NO」の声を聞け

2012-06-15 | つぶやき

 昨日の東京新聞に、野田首相の大飯原発再稼働についての演説に対する識者のコメントが掲載されていた。

 法政大学の田中優子教授が「原稿を書いた官僚が『優秀なのは自分たちだけ。それ以外の人間はバカだから、この程度の内容でだませる』と思ったんでしょうね」と述べていたが、本当に役人は国民をバカだと見下している節があるのだ。

 ある省庁の広報誌の制作に関わっているから、本当によく分かる。
 昨年、異動になって広報班の担当になった役人が、まあ姑息な人間で、まったく国民を小馬鹿にしているのです。い税金を使って、何千万円もかけて作っている冊子は「広報誌」とは名ばかりで、その担当者のおかげで「省内機関誌」、あるいは単なる「白書」のような面白くも何とないものになり下がってしまっている。

 それまでの担当者は少なくともわざわざ入札をして外部の出版社(編集制作専門業者)に依頼している意味を理解しており、国民にいかに伝えるかをともに考えてくれていた。もちろん役人チックではあったけど。

 今の担当者は国民に理解してもらうための広報誌を作る気などさらさらないのだ。


 わざわざ取材しているのに、その内容を「これは本当か。要確認」と毎回校正紙に赤字を入れてくるので、不愉快極まりない。「ホームページには書いていない」とか「インターネットでは探せなかった」などと平気でいう。何のために取材に行き、生の声を聞いていると思っているのか。

 省に都合の悪いことなら、100歩譲って、まだ分かる。彼が入れてくる赤字や取材した相手の発言などを勝手に書き替えてくるのは、上の立場の役人や原課(それぞれの担当部署)から、少しでも何か言われることを避けるための、彼の保身でしかない。
 

 発言者が最も言いたい部分を勝手に削除したりするので、しかも特段、省にとってNGワードでも何でもないのに書き換えきたので異議を申し立てたら、その役人がメールで、

「ライターさんの立場としては、不服な部分もあるでしょう。しかし、私は「××省の広報誌」として、文章はプロのライターさんが消費者の立場に立って書いたものを元に、××省が内容を担保できるかできないかで見ている」と書いてきた。

 担保って何よ? 省の担保より自分の立場の担保じゃない!と、校正時には毎月不毛な気持ちになるのです。

 今日もそうだった。月刊の省内機関誌の校了がかかっていたのでパソコンに張り付いていたら、なんと大飯原発再稼働に対する抗議集会で、首相官邸前に7000人以上の人達が集まったというではありませんか! 校正待ちでぼやぼやしていたなら、出かけて行くべきであった。

 大飯原発再稼働の推進を含め、政治家や役人の民意を無視する傲慢さ、理不尽な現状に、国民は「NO」を突き付けているのです。よく聞くがいい。

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難多くも進む、進め!

2012-06-13 | つぶやき

国の首相は民意などそっちのけで、被災地の復興も途上のまま
「増税、増税」と叫んびつつ大飯原発の再稼働を進め、
病を圧して真摯な取材を続けてきた弁護士の日隅さんは夭折してしまい、
水俣病患者と寄り添って長い歳月を研究に費やした原田医師も他界し、
毎日どこかで刺されて理不尽に命を奪われる人がいて、
たくさんの犬や猫が飼い主だった人間の愚行で殺処分され、
私が手に入れた中古のシビックは必ずゴゴゴっと音を立てて発進し、
ブナは認知症よろしく訳もなく歩き回り、
あまり明るい話題がない毎日ですが、
それが私が生きている証しということなのでありましょう。

仕事がひと段落して呑んでるから言うけど、
メゲないもんね!

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小型犬はバカか?

2012-06-04 | 犬&猫との暮らし

 彼女の飼い犬であるゴールデンが亡くなる前は、散歩のときなどにちょくちょく立ち話もしたのだが、近所であるにもかかわらず、今では数カ月に1回程度しか顔を合わせることがなくなった。
 その彼女に久しぶりに会った際、彼女が「また犬を飼いたいのだけど、どこかで手に入らないかしら。でも小型犬はイヤよ、バカだから」と言うのだ。何でも彼女の娘が飼っているミニチュア・ダックスがよく吠えて、バカなのだと言う。

 彼女は以前にも似たようなことを言っていたけれど、小型犬がバカだなんて聞き捨てならない発言である。
 犬種の好みはあろうと思う。私だって、飼うなら小型犬より大型犬を飼いたいと思っていたのだから、好みがあるのは分かる。分かるが、小型犬をバカ扱いするのはいかがなものかと思う。


 確かによく吠える小型犬を多く見かける。
 うちのマンションにも人を見れば吠えるダックスがいる。人を見ても吠えるのだから、うちの犬は出会えばいつも吠えられている。その飼い主さんは飼い犬が吠えれば抱き上げ、散歩にも抱いて歩いたりしている。それじゃあ、散歩にならんだろうと思う。

 小型犬はすぐに抱き上げられるし、引きも強くないので、飼うのが楽なのは分かる。だからといって、何か問題行動があれば、すぐに抱き上げたり、キャリアカーに乗せたり、ハウスに入れたりして、その場をやり過ごすのはよろしくないと思っている。
 なぜなら吠えたり、ガウガウしたりするたびに抱かれたり、キャリアカーに乗せられることは、犬にとって自分の身が守られる場所に置かれるという“ご褒美”をもらうことと同じだから。


 そんな道理が通れば、気に入らなければいきなり噛みついたり、ガオガオしたり、シュンとしてみたり、人が予測できない行動にでることもありましょう。予測したり、理解していないのは人間のほうで、犬にとっては当たり前の行動なのではないだろうか。

 
小型犬だろうが大型犬だろうが、犬は犬です。大地を踏みしめる四肢をもった動物です。対人だろうが対犬だろうが、吠えたり、ガウガウやったりしたつど、四肢をしっかり踏ん張らせ、していいこと、して欲しくないことを理解させる努力を飼い主さんがしなくて誰がするのか。

 吠えたり、攻撃的になったり、粗相を繰り返したりするには、それなりの理由があるはずだ。しつけの手を抜けば、小型犬だろうが、中・大型犬だろうが共同生活に支障をきたす問題は出てくるものだ。犬がバカなのでは決してない。飼い主さんが真剣にしつけに取り組んでいないだけだ。

 今のマンションに引っ越す前は戸建てだったので、編集プロダクションを運営する傍ら、幼犬の預かり保育やパピーレッスンをやっていたことがある。
 預かり保育の相談の内容は、室内での頻繁なかけションをどうにかしたいとか、おもちゃを返さないとかさまざまだったけれど、基本的には飼い主さんの姿勢を変えるだけで、改善されることが多かった。もちろん飼い主さんにとっては根気も必要で、大変だったかもしれないけれど、当たり前です、いくら小さくても小型犬だって人間のおもちゃじゃないんだから。

 犬の性格にも個体差があるから、臆病な犬もいれば、そうでない犬もいるけれど、まずは犬としての自律心を養う手助けをしてあげることが大切だと思う。
 飼い主さんのちょっとした勘違いが増幅されて、問題行動とされる行為が助長されていくのだけど、大切なことは飼い主がそれに気づき、犬について、その誤りの軌道修正をするだけの意識をもつということなのではないかしら。

 私は小型犬でも必ず脚側歩行の練習をさせていた。小型犬は引きも強くないから、その必要性を感じず、勝手にあちこち歩かせている飼い主さんも多いけれど、私が重視したのは脚側歩行を完璧にさせることではなく、そういった練習をともにすることによって築かれる犬との関係だった。だから、私に預けてくれた飼い主さんにもそう伝えてきた。

 子犬は社会化が大切だとよく言われるけれど、兄弟犬や親犬との交わりの次に、ほかの人間、ほかの犬との社会化より先に、飼い主がその子を犬として扱い(擬人化せずに)、快適に共生するルールを構築することが、まず犬を迎え入れてからしなくてはいけない、お互いの社会化だと思っている。

 大型犬は引きも強く、破壊力も半端じゃないので、飼い主はそれなりにしつけを入れようとします。その飼い主の意識や過程が大切なのだと思うのだ。もちろん取り立ててしつけは入れないという人もいるけれど、まず大切なのはしつけなどを通して犬に教え、逆に教えられるというやり取りの過程で、犬と信頼関係が築かれるのだということを飼い主が理解することだ。

 私はむしろ小型犬のしつけや訓練のほうが大変だと思ってしまう。目線が低いし、誉めるときも触れてやるときも飼い主は腰をかがめなくてはならないし、引きは強くないけれど、注意事項はいっぱいだ。

 犬だって命ある生き物だもの。「飽きた」とか「言うことを聞かない」などと言われて犬たちが保健所行きにされる現状を考えたら、犬を飼うことをもっと重く受け止めて欲しいと思ってしまう。


 「小型犬はバカだ」「小型犬じゃなければ何でもいいから、どこかで手に入らないかしら」などという彼女には、「バカなのは犬ではなく、バカに見えるようにさせてしまった飼い主さんが多いというだけだよ」と言い、犬の仲介は絶対しないもんね~。

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