小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

神明社へ

2017-12-23 | 旅先でのお話
20日、神奈川県保土ヶ谷区の取材先を訪ねた。
地図で場所を調べると、近くに「神明社」という神社があった。
伊勢神宮の分社として1000年余りの歴史をもつ有名な神社のようです。

秋にちょいと体調を崩したけれど、
それでも無事に年の瀬を迎えらえたことへの感謝を込めて参拝しようと、
取材時間より早めに現地に付くように家を出た。

神明社前の信号から入り、大きな鳥居をくぐると、
まっすぐ伸びた長い参道が続き、正面に神明造りの社殿が見えた。



手水舎でお浄めを済ませると、近くに水神社と
その手前に人形(ひとがた)流しができる小さな神池があった。
木箱に納められている人形で、体の悪い所をさすり、
神池に流すとよいとのことなので、人形で頭をなでて池に流す。


本社である天照大神宮に詣でて、示された参詣順路に従って回ることに。

時計回りに稲荷社、突き当りの風宮・月読社に参拝し、
本殿を半地下の通路で横切って、本社の右側に出ると、
日之王子社・切部王子社・鹿島社が軒を同じくして並ぶ。

たくさんの境内社に驚いてしまった。

日之王子社・切部王子社・鹿島社3社のその横に摂社の豊受大神宮、
お参りしてから順路に従っていくと、
厳島社・見目社・山神社・山王社・白鳥社・火産社・雷神社の
7社殿が連なり、最後に天満宮へ。
「学問の神様」とあがめられる菅原道真公を祭神とする神社なので、
学びの深耕をお祈りした。

それぞれの社で御祭神を見ると、
「日本の神様カード」でなじみのある神様の名前が…。


「日本の神様カード」は何年か前に島根県に鳥獣害の取材に行った際、
宿泊した玉造温泉の宿で、イラストに魅せられて購入したものだ。
ときどきこのカードで、神様におうかがいをたてては、
勇気づけられたり、励まされたりしている。

たくさんの境内社で、それぞれの御祭神名を見たら、
旅先で偶然、仲の良い友人に会えたようで、うれしくなった。

神明社の本殿だけでなく摂社、境内社すべてがまだ新しく感じたのは、
平成10年に建て替えられたばかりだからだそうだ。
パンフレットには次のように書かれていた。

鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して
「平成の大造営」が行われ、380年ぶりに本社・摂末社・神楽殿等
総ての境内建物12棟が一新された。


380年ぶりって、すごいですね。

引いたおみくじは「小吉」。
「春くれば ふりつむ雪もとけぬべし しばし時まて 山のうぐいす」
願望は「あせらず好機を待て」と。

「物ごとをひかえめにし、心正して
身を守って、あまり進んでしない方がよい」らしい。

何にしろ、心正して、ひかえめにしていることは、
自分をも人をも傷つけずにすむことだから、それがいい。

たくさんの神様たちとお会いでき、
心安らかに取材を終えることができました。
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大韓航空機事故で足止め

2016-05-29 | 旅先でのお話
5月27日は、2泊3日の北海道取材を終えて、
千歳空港を17時に発つ便に乗る予定だった。

午後、取材中に入ったLALからのメールで、
大韓航空機のトラブルで搭乗予定の便が欠航になったことを知った。

もう、それからが大変!
取材に同行していたクライアントさんとともに
羽田の状況をにらみながら、振り替えられる便を探しては、
先方の会社からオンラインで予約を入れてもらったのだけど、
羽田空港は発着不可能とのことだったので、
東北地方から関空、伊丹まで、その日のうちに帰宅できる便を探した。

まあ、誰も考えることはいっしょだし、
JALならJALでワンワールドアライアンスメンバーとか、
プラチナメンバーとか、ワンランク上のクラスメンバーが
優先的に予約できることもあるようで、
27日中に帰宅できる確率はほぼゼロに近いことが判明。

とりあえず翌日の便を予約するために奔走してもらったのだけど、
羽田空港着は千歳15時台発の便しか空席なし。
早く帰りたかったので羽田空港行きはあきらめ、
7時55分初の成田空港行きを予約してもらった。

状況確認のために、千歳空港に行ってみたら、
窓口の前は長蛇の列、詰め寄られる係員は困惑顔で右往左往し、
払い戻し、予約、キャンセル待ちの人々で大混雑していた。

私は幸いにもクライアントさんの会社から
オンラインで予約を入れてもらっていたので、列に並ぶ必要もなく、
料金の変動も発生せず、翌朝チケットを発券してもらえばいいとのこと。

もう1泊するしかないのだ。
急きょ妹にカヤの世話の延長願いをしなければ…と
腹をくくったはいいが、しかし、今度はその日の宿探しが難航。
千歳空港周辺のホテルはどこも満杯だった。

そこで思い切って電話をかけた相手は、何年も会っていない従姉妹。
少し前に、自衛隊員と結婚した従姉妹から
千歳駐屯地近くに引っ越したという通知をもらっていた。
今回の北海道取材はスケジュールがタイトなので
会えないだろうと思っていたのだけど、
会えないもなにも、結局泊めてもらうことになったのだった。

妹に「カヤのために1泊はしてやってほしい」とお願いして
カヤを置いて2泊の取材に出るということだけでも、
気苦労が多かったのに、急に帰れなくなるなんて…!

久々の成田空港、大きなキャリーケースだらけで歩きづらかった。
翌日はお昼過ぎに帰宅できたけれど疲労困憊し、
帰っても使い物にならなかった。
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隣席のおばあさんのびっくり話

2015-10-03 | 旅先でのお話
ここのところ毎月1、2回、地方に行く仕事があり、
9月は寝屋川市に行くことになった。
中学生2人が殺害された凄惨な事件があった後だったので、
出張後、友人から「寝屋川の町、どうだった?」と聞かれた。

どう?って聞かれてもねえ。
駅前だってさびれているわけじゃなかったし、
おどろおどろしい雰囲気であるはずもなく、
親御さんも含め、大人が子どもたちのいのちを
守ってあげられなかったことに、胸が痛んだよ。

関西出張続きで、昨日は尼崎に行くことになっていた。
未明から朝方にかけて、激しい風雨だったけれど、
私が東京を発つころには、お天気も回復。
よしよしと思いつつ、窓側の席へ。

すると、背の低いおばあさんが隣の席にやってきて、
「ここ、いいですか」と聞いた。
日焼けした顔に、深く刻まれたシワが目立つけれど、
お肌そのものは、ハリがある。80代半ばかなあ。
ちょっとかわいい「田舎のおばあちゃん」という感じ。

そのおばあさんの口から出た予想外のお話に、
道中、口あんぐりの連続となったのだった。

おばあさんが「きょうだいも友達も1人2人と減っていき、
1日誰とも話さない日がある」などと言うのを、
うん、うんとうなづきながら聞いてあげていた。

きょうだいが減ったという話から、
そういう話になったのだったか……。
7人きょうだいのうち、女は、このおばあさんと妹の2人。
あと5人の弟の中で、まだ生きているのは1人だけで、
最近「なんかボケちゃっている」とおばあさんは笑った。

栃木の人なので、北関東訛りがある。少し訛りながら
「下の弟はね、事故で死んでね、交通事故。即死」と、
ものすごくふつ~うに言ったのだ。
私は「ひえ~っ!」という表情をしたと思うが、
口からは「あら、まあ」というマヌケな言葉しかでなかった。

なんでも、弟さんはタクシーの運転手さんで
お客さんを乗せて走っているときに、
若い男女が乗った車に正面衝突されて、
お客さんは足の骨は折ったけれど、いのちに別条はなく、
弟さんは即死だったのだそうだ。

おばあさんが「即死」を連発するので、聞く耳がつらかったが、
きっと弟さんの突然の死をなかなか受け入れられなかったのね。
聞けば、やさしい弟さんだったらしい。

私が「お気の毒に」と言って黙っていたら、今度は
「1人っきゃいない妹も、事故で死んだの」と言うではないか。
私はもう、ハトが豆鉄砲をくらった顔で固まりましたよ。

「妹はさ、山道、あんでしょ、くねくねした山道。
そこをダンナと車で走ってて、車のドアが開いて、
落っこちて死んだの。そんなこと、あっかしらね?」と言うのだ。

いやいやいや、あっかしらね?って言われても…、
「ダンナがちょっといやな人で、うまくいってなかったから、
やられちゃったんじゃないかって、みんなで言ってんだよね」と、
ものすごく怖いことを、さら~っと言った。

「やられちゃった」を漢字で書くと「殺られちゃった」となるわけで、
おばあさんは「だって、走っている車のドアが急に開くなんて、
おっかしいでしょ。そっから転がり落ちたっていうんだから…」と
火曜サスペンス劇場ばりのことを、事もなげに告げたのだ。

困った私が「それは、それは…」と言葉を選んでいると、
今度は「それでもって、もう1人の弟も事故でさ」って、
畳みかけるよに告白したのですよ。

その弟さんは、人に頼まれて、崖に咲く花を取りに行ったら、
崖が崩れて、岩にあたって落ちて亡くなったとか、
転落したところに岩が落ちたとか、
聞かされている私のほうが混乱してしまって、
よく覚えていないのだけど、とにかくもう1人の弟さんも
不慮の事故で亡くなったそうなのだ。

「旅館の人がさ、あの花、取ってくれって言ったんで、
崖んとこに、登ったんだよね~、弟が……。
きょうだいが3人も事故で死んじゃうなんてこと、
あっかしらんえ。弟は2人とも50代だったんだよ。
妹は62歳のときだったねえ」と、
あまり表情を変えずに話すのね。
こっちはもう目を見開きっぱなしで、ドライアイになっちゃう。

多分ご主人には先立たれたのでしょうが、
それでも今、おばあさんは病気もなく健やかで、
2週間ばかり、3人いるひ孫の世話をしにいくのだとのこと。
「名古屋で降りる」というので、少しほっとした。

江戸川区の篠崎に住んでいるのだそうで、
「こっちへ来ることはあるかね?」と私に聞いた。
名古屋で降りるときにおばあさんは、
「お世話になりましたね。どこかでまた会えっかしら」と言い、
何度もお礼を言って降りて行った。
お礼を言われることは、何もしていないのだけど。

さらりとした話しぶりと、
おばあさんの純度の高さみたいなもののために
重苦しい気(邪気)が充満しなかったけれど、
おばあさんのきょうだいのお話はなかなか壮絶で、
新大阪まで少し眠ろうと思ったけれど眠れなかったし、
新大阪まで何を考えていたか、思い出せない。
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釧路芸術館の「猫まみれ展」

2015-08-31 | 旅先でのお話
釧路川に近づいていくと、
目の前に煉瓦の瀟洒な建物が見えた。


地図で確認すると「道立釧路芸術館」の建物だった。
見ていたのは、裏側。

近くの塀に「猫まみれ展」というポスターが貼ってある。
「アートになった猫たち-浮世絵から現代美術まで」
9月6日までが会期らしい。
時間もあることだし、見てみようか、と正面に回った。


観覧料800円を支払って、1階展示室へ。
中は意外と広く、猫をモチーフにしたアート作品が
なんと273点も展示されていた。


「招き猫亭」という謎の収集家のコレクションらしいのだけど、
豆皿、浮世絵、油絵、版画、ミックスメディアやテラコッタなど、
あらゆる作品に個性的な猫、猫、猫。

歌川国芳は無類の猫好きだったらしく、
大判の錦絵にずいぶん猫を描きこんでいる。
面白い発見は、当時、犬は放し飼いだったのに対して、
猫はリードをつけて、つないで飼っていたこと。

『源氏物語』にも猫が描かれていたし、
江戸から明治にかけての浮世絵では、
鈴をつけた猫が多く描かれているから、
その頃すでに猫に鈴をつけていたようだ。

アンディ・ウォーホルのリトグラフもあったし、
フジコ・ヘミングの木版もあった。
フジコさんの猫はとても味があって、
彼女は音楽の才能だけでなく、絵の才能もある方なのね。

いいものを見たなあ。
これだけ多くの古今東西の猫作品を見られる展覧会は、
なかなかないのではないかしら。

釧路で一番面白かったのは、この展覧会でした。




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すいていた和商市場

2015-08-31 | 旅先でのお話
再び釧路のお話。
ホテルをチェック・アウトして、
まず近くにあった和商市場に行った。
「グルメ好きが必ず立ち寄る観光スポット」だそうだ。


お盆休みには、観光客で混雑していたのかもしれないけど、
市場内に買い物客はあまりいなくて、活気がない。
そりゃ、お店の人も、ポツリポツリとしかいない客に、
威勢のいい声は出せないわね。

ただただ魚介類の多さに圧倒されて、
「これだけの鮮魚が売れ残ったらどうするんだろう」などと
余計なことを心配し始めたばかりに、おろおろしてしまい、
足早に立ち去ることになってしまった。

ぶらぶら歩きながら、フィッシャーマンズワーフを目指す。
途中「幸町公園」という芝地のある広場に、
機関車が展示されていたので、立ち寄ってみた。


C58106号車。
戦中の昭和18年3月から根室本線、釧路本線で活躍し、
「シゴハチ(C58)」の愛称で親しまれていたらしい。
昭和29年8月、天皇・皇后行幸啓の際には、
お召列車を牽引した由緒ある機関車で、昭和47年8月に引退。
鉄道敷設100周年を機に、ここに保存されているそうだ。

「ふうん」と一人つぶやきながら、
またぶらぶら歩き始めたのだった。
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UFOキャッチャーで毛カニ、ゲット!?

2015-08-29 | 旅先でのお話
釧路での仕事も終わり、帰りの便まで時間があったので、
鮮魚店がひしめくように並ぶ有名な和商市場をのぞいてから、
釧路川に面して建つ物産館「フィッシャーマンズワーフ」に行ってみた。

さすがに日本有数の漁港を擁する街、
景品が「毛ガニ」のUFOキャッチャーを見つけた。


1回300円、2回で500円だそうだ。
「北海道でも珍しい」とは書いてあるが、
道内の人も、カニ欲しさにこれで遊ぶのだろうか。

「君はいつからここに入っているの?」と
カニに問うたが、カニは身じろぎもせずに、ぷくぷくぷく。

お昼に、全国の北海道物産展でも人気が高いという
「さんまんま®」を食べてみることにした。
「さんまんま」は「魚政」さんの登録商標なんだそうですよ。


炊き込みご飯の上に大葉と、骨を抜いて独自のタレをつけて
焼いたさんまを乗せて、棒寿司風にしたもののようだ。
脂の乗ったさんまだから? 乗りすぎ?
さんまの脂がさんまの味を分からなくしているような気がした。
でも、炊き込みご飯の味がよく、
ご当地物をいただけて、満足、満腹。

冷凍した「さんまんま®」はネットで買えるらしいが
いつでも熱々の「さんまんま®」が食べられるのは、
フィッシャーマンズワーフの中にある魚政さんだけらしい。

今度、自分で作ってみよう。
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釧路へ

2015-08-28 | 旅先でのお話
釧路市内の基幹病院の取材のため、久々に空の旅。

日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落して30年目のこの夏、
チケットの手配を始めたのが、
飛行機事故の悲惨さを伝える、
さまざまな特番が放映されていた頃。
少しばかり気が重くなった。

おまけに、当初、編集者さんが指定したANAだと、
釧路での滞在時間があるような、ないような、
何とも中途半端な感じ。
空港で打ち合わせを、ということだったのだけど、
結局、彼は仕事の都合でJALに変更したため、
別々に行って現地集合ということになった。

無事、釧路空港に降り立つと、
釧路空港は「米子鬼太郎空港」のように
地域性を表す名称として「たんちょう釧路空港」になっていた。


これまで北海道には、なんだかんだ言って、
仕事で6回ほど訪れているけれど、
釧路空港の利用は初めて。

空港から釧路駅まで空港バスで約50分。
すっきりと晴れ、湿度が低いせいか清々しい。
釧路駅周辺は、明るい日差しで包まれていたが、
人がまばらで、閑散としていた。


夕方6時からの取材に向けて、
郊外を観光する時間はなく、かと言って、
駅前周辺には散策に適した場所も見つからず、
仕方なくホテルへ。


「door to door」の車社会だからか、
不安になるくらい、町に人が歩いていない。

昔、釧路川を2回カヌーで下ったことがあり、
あのときはフェリーで釧路入りして、
すぐにスタート地点の屈斜路湖へ向かったんだっけ。


弟子屈まで73キロと表示されているけれど、
「そっか、その程度の距離だったのか」と
北海道だと思ってしまう。
道は走りやすく、ほとんど渋滞もなく、
郊外だと信号も少ないからね。
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亀戸天神にお参り

2014-09-24 | 旅先でのお話
「さよなら原発全国集会」の開催場所が亀戸中央公園に変更されたというので、
ついでにお参りしたことのない亀戸天神に行ってみることにした。


総武線錦糸町駅からスカイツリーが間近に見え、位置関係がよく分かっていない私は
「へえ~」と声に出しそうになってしまった。
あんなに間近にスカイツリーを見たのは初めてだった。


亀戸天神では境内の太鼓橋からスカイツリーが見える。へえ~。


放生会で放たれたのでしょうか。池には日光浴中の亀がいっぱい!
あれれ? どう見ても外来種のミシシッピアカミミガメだと思われる大きな個体もいる。
イシガメやクサガメとの交雑種もいるかもしれないな。


境内では藤棚がちょうどいい木陰を作っていた。
そういえば亀戸天神は藤の花の名所、江戸時代から親しまれてきたらしい。
来年は藤の花の時期に来てみようと思った。

亀戸天神のご祭神は天満大神(菅原道真公)。
幼い頃から見事な詩歌を詠み、文章博士(もんじょうはかせ)となった道真公に、
少しでもあやかりたいと一心にお参りした。


また、兄の友人が重い病気になったと聞いたので、
その人の快癒も併せて、お祈りしてきた。
藤の花の名所だということにちなんで「ふじみ(不死身)」、
兄のお友達の分も「身体健全と延命長寿」のお守りを買った。


身体の具合が悪い方、どなたかの健康を願っている方、
どうぞこのお守りにお祈りください。
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明石浦漁協のうたい競り

2014-08-04 | 旅先でのお話
 先日、仕事で明石浦漁協に行き、競りの様子を見学する機会があった。明石といえば鯛やタコが有名で、時速約14~15kmの明石海峡の潮流が育む、身のしまりが身上。特にタコは潮の流れに負けないように育つため、足が太く短くたくましく、立っているように見えるそうだ。

 明石浦漁協では、お休みの日以外24時間、水槽に海水とエアーを対流させ、水揚げした魚を競りの時間まで生かしておく。競りは活魚が基本で、実際に競り場にあげられる魚はピチピチと踊っていた。

 構内には浅いプールのような生簀がいくつもあり、たくさんの魚が水揚げされてはケースごとプールに浸かっているのだけれど、ほとんどが生きているので、聞かされていたとおり競り場も構内も生臭い魚臭がなかった。

 魚の競りというと「早朝」のイメージだけど、明石浦では11時から行われている。これがまた、感動的にカッコよかった!

 これまで魚の競りは築地市場や銚子港、気仙沼港などで見てきたし、青果や花卉は大田市場でも取材してきた。これまで見てきた競りの中で、明石浦漁協の「うたい競り」が一番感動した。

 競り人が何を言い、どんな指符を出しているかは素人の私にはまったく分からなかったけれど、活魚を扱っているのだから当然なのかもしれないが、ものすごいアップテンポで手カギを動かし、独特な口調で魚とその値を告げ、緊迫する雰囲気の中、真剣な面持ちで仲買人たちがも素早く競り落としていく。

 漁協参事のお話では「まず値を付けるのは競り人。競り人主導の競り」で「競り人は漁協の花形」なのだそうだ。それには納得。写真を撮るのも忘れて、見入ってしまった。ほれぼれした。

 それでも近年、こうして人出もかかる昔ながらのやり方は合理的ではないから、機械化したほうがいいといった意見もあるらしい。そういえば大田市場の花卉の競りは、ボタンひとつで競り落とす電光掲示板による方法だった。

 でも、この「うたい競り」は後世に残すべき文化だと思った。歌舞伎が伝統芸能なら、うたり競りは水産業の伝統技能だと思う。口伝と経験によって培われる技術だもの。

 合理化を目指して一度機械化してしまえば、そこで途絶えてしまうのだもの、もったいないと思った。

 お話してくださった参事も実は15年くらい競り人を務めていたという。競り人になることが決まったときは、車を運転しながら競り口調を練習し、場数を踏みながら値付けする目を養っていったのだそうだ。大柄な方だし、きっと迫力があったでしょうね。見てみたかったなあ。

 組合長も生粋の漁師で、男前な方だった。地域全体を活性化しながら、水産収益を上げて、うたり競りは何とか残していく方向で考えているようでした。

 あの競りは、写真だけでは伝わらないのが残念(写真もないけど)。競り人が手カギを叩く音、値を告げる独特な符丁、思い出すとわくわくする。音源だけでも取ってくればよかった。

 仕事が詰まっていたので、帰りはそそくさと新幹線に乗ってしまったけれど、「せめて」ということで遅いお昼ご飯のために、タコ壷を模した容器で有名な「明石ひっぱりだこ飯」を買い、車中で食べたのだった。

  
 やわらかく煮付けられた大きな明石タコが乗っていて、いつ食べても「美味しい駅弁だなあ」と思う。
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改修中の姫路城

2014-07-04 | 旅先でのお話
 先日、兵庫県たつの市に仕事で行くことになった。仕事そのものは2時間強で終えたのだけど、新幹線と在来線を乗り継いで、家から往復約11時間の移動。さすがに疲れた。

 ただ、姫路駅で在来線に乗り換える際、姫路城を見ることができたことは、お土産話のひとつ。姫路城は意外と繁華街に近いところにあるのだな。


 現在、平成の大改修工事中。平成21年からおよそ5年の歳月をかけて、大天守の保存修理を進めているのだそうだ。

 天守内には入れないけれど、西の丸や二の丸などは見学できるということだったが、初めて一緒に仕事をする、なじみのないカメラマンさんが同行していたし、時間に追われていたので、見学はせずに車中の人となったのだった。
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屋久島へ(1)

2012-07-11 | 旅先でのお話

 屋久島へ行くのは2度目。前回はもう10年以上前になるが、カヌーの専門誌の取材で、島南部の沿岸をシーカヤックで漕いだり、安房川をカヌーで遡ったりした。樹齢何前年という有名な屋久杉など見ることなく、ひたすら屋久島の水と戯れていたのであった。

 今回は、世界自然遺産地域や周辺地域の保全等々に関する取材だったため、森林保護員の方の巡視ルートのひとつを、屋久島森林環境保全センターの職員の方や保護員の方と一緒に実際にトレッキングすることとなった。

 本来の巡視コースは淀川登山口から黒味岳までだったが、カメラマンさんが帰る飛行機の時間なども考え、淀川登山口から高層湿原がある花之江河までのコースとなった。それでも途中時間が足りなくなったことで、花之江河の高層湿原までは手前の小花之江河で引き返すことになった。ちょっと残念だったけれど、山行は体力と時間を正確に読みながら、その辺の決断が重要。無理は禁物なのである。



 トレッキングや登山については、私はど素人で実体験に乏しいけれど、同行してくれた保護員の方はベテランだったし、自然遺産保全調整官の方は数少ない樹木医のひとりだったので、道すがらの説明もやや専門的ではあったけれど、興味深い話ばかりで心から楽しめた。





 もっとも慣れぬ山行で太もももふくらはぎも悲鳴を上げていたけれど、自然遺産登録後の現地の状況などが分かり、自然環境の保護と今や観光が最大の産業となった屋久島の課題が山積っしていることもよ~く分かった。

 コースの途中でコースにしなだれかかる枝が切られている箇所がいくつかあった。トレッキング客の邪魔になるからと、ガイドが伐ってしまったものらしい。保護員の方はその身勝手さに怒っていた。

 今年は世界自然遺産条約採択40周年なんだそうだ。各国で記念行事が行われているようなのだが、その共通のテーマが「世界遺産と持続可能な開発:ローカルコミュニティの役割」。「持続可能な開発」などと口でいうは容易いが、実際には集客を目指す地元経済と絡んで、ドロドロした問題が表面化する。屋久島も例外ではなかったのだった。

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復興への道のりは長い

2012-02-21 | 旅先でのお話

 2月上旬、仕事で被災地に足を運んだ。
 仙台から沿岸部の名取地区へ行き、田んぼの除塩作業の進捗状況を取材して、そのまま北上して塩釜、東松島を通って、石巻、女川、南三陸町から気仙沼へ。
 
 大震災から3カ月も経たない6月初めに、岩手県久慈港からやはり沿岸部を北上して八戸港を訪ねたが、そのときより今回のほうが衝撃が大きかったのは、被災から11カ月を経ようというのに、被災地が無残な姿のまま復興とは程遠い状況だったからだ。

 石巻で沿岸部の木材加工工場を取材して、女川、気仙沼では漁業関係の方から話を聞いた。小雪がちらつく中、気仙沼から陸前高田、大船渡を経て釜石までひた走る(運転したのはカメラマンさんだったけど)。
 津波に襲われた地域とそうでない地域の落差の大きさを地元の人は「天国と地獄」と言ったけど、まさにその通りだった。すべてを失った人たちといつもの日常を続けられる人たちが同じ地域に暮らす現実の重みがついて回る旅だった。

 被災した様子は映像や写真で見てきたけれど、現場の空気感は報道からでは伝わらないということを実感した。やはり行かなければ肌身で感じることはできない。それくらいシビアな出来事だったのだと思い知らされた。

 カメラマンとして画像を残す立場ではなかった私は、なおのこと行く先々の惨状をカメラに収めることができなかったし、私ごときがそれをしても伝えられるものではないと思った。カメラを構えることもはばかられる気がした。「心に刻む」、それしか私にできることはないと思った。

 それなのに、現場の声は陳情と要求しかないと考えている、ある省の広報担当の役人は、カメラマンが撮影した被災地の写真を、震災後1年の特集を組む広報誌に掲載しようとしたら、「上(幹部)から『けしからん』と言われたから差し替えろ」と言う。「復興している写真が欲しい」と言う。「現地は一部復旧している所はあっても、がれきは山のように積まれたままで、主幹産業も『復興』などという言葉とは程遠い状況だった」と告げると「ええ~、そうなんだ」とぬかした。

 そんな「小役人の鏡」のような人と対峙しながら悶々としていたので、ブログも更新できずに日が過ぎてしまったのであった。 

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若松と千両

2011-12-13 | 旅先でのお話

 仕事で若松と千両の一大生産地、茨城県波崎地区に行った。

 お正月に飾る松は、大きな枝から切ってくるものとばかり思っていたが、違った。播種から3~4年の若い松を収穫するのだそうだ。

         

 初めて見た松の圃場。10cm間隔で植えられている若松。こんなふうになっていたのか。若松とは文字通り、若い松のことで、品種はクロマツである。これを収穫し、余計な枝を払い、長さを揃えて束ねて出荷するのだ。

 千両の圃場も初めて見た。

         

 直射日光を嫌い、半日陰で育つ千両は、寒さにも土壌病害に弱いという。そのため竹簾で囲まれた独特な囲いの中で育てられる。この囲いは「楽屋」と呼ばれているそうだ。楽屋には鍵がかけられており、厳重に管理されていた。
 千両の世話をするために楽屋の中に入るときは、殺菌した長靴に履き変えなくてはいけないらしい。さすが「千両」、永年性のお金のなる木だものね。大事に育てなくちゃ。

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魚のうろこ取り

2011-12-13 | 旅先でのお話

 隠岐水産高校の池田教頭が、生徒たちが実習で作ったオリジナルの魚のうろこ取りをくれた。何とも不思議な形。なんでも、これだとうろこが飛び散らないのだそうだ。  

 下のうろこ取りは、今まで私が使ってきたもの。確かにうろこが飛び散る。

         

 変わった形のうろこ取りを手荷物にしのばせて飛行機に乗った。検査場は無事通過。凶器にはならないか。
 まだ試していないのだけど、ぼちぼち使ってみようかな。

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隠岐水産高校の新巻鮭

2011-12-13 | 旅先でのお話

 仕事で隠岐諸島島後に行った。大阪伊丹空港からプロペラ機に乗って約50分。古くから
政治犯の流刑地で、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が流された島として有名だ。

 漁業が盛んな島だと思っていたが、もちろん主要産業は漁業なのだけど、聞くと「大きな産業は土建業ですよ。だたしご多聞に漏れずも、公共事業がなくなると雇用もなくなり、人口流出は止められない」という。返す言葉なし。

 けれど「牛突き」や「隠岐相撲」などの伝統が息づく、景勝地も多い島であった。観光をする時間はなかったけど。

 隠岐水産高校は、近畿だけでなく、遠く関東からも入学者がいる、全国の水高の中でも有名校だ。
 晩秋から行う新年向けの新巻鮭作りは毎年恒例の実習だそうだ。11月初めから1カ月間で約3,300尾の新巻鮭を作るそうだ。

                

 実習所では生徒たちが黙々と作業をしており、なかなか圧巻だった。今頃、島民の予約の電話が殺到していることだろう。

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