小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

市長選挙

2009-02-27 | つぶやき

 3月1日に、私が暮らす市の市長選挙があります。候補者はたったの二人。おそらく現職の市長が再選を果たすだろうと思います。

 候補者選挙公報に書かれているもう一人の候補者の訴えは、読んでいてなかなか面白かった。

 「一、NHKの受信料、市が一括払い」とあるのだけど、NHKが国営放送だから税金で払っちゃう? テレビを持たず、まったくテレビを見ない家庭を知っているけれど、その人は自分の税金でほかの人の受信料を支払うことに納得するでしょうかね。

 「一、市役所職員等の人員・給料等をカット」。これはいいとして「市長の報酬 51%カット」とある。なんで51%なんだろう。切りよく半減、50%カットじゃダメなのかしら。

 そのほか「慢性の膝痛等の8割を無料で改善する。腎臓・糖尿・喘息等を改善し健康人間に」とか「悪い事をした者に厳しい条例を」とか「米軍基地跡地の公園化反対。一千万人の入る納骨堂の建立を。市営住宅1,000戸建設」などなど、いろいろと書いてあります。

 「慢性の膝痛等の8割を無料で改善」って、改善ってどういうことだろう。だれとどう連携して推進するのかしら。自由診療を受けた人たちも8割無料になるのかしら。「悪い事をした人」の「悪い事」って、どこまでの範疇なのかしら。

 と、いろいろ突っ込みを入れたくなるような公報記述だったので、プロフィールに「献血400回」と書いてあったのにも、感心していいものやら…。いやいや、これは感心するに値しますね。
 最後に、ちょっと意味不明だったのが、プロフィールの「足壷士家元」。「足壷」って、今、流行りの足ツボ健康法の「足ツボ」かしら。

 現職の市長は街頭演説をやっているのだけど、この方は見たことがない。ちょっと聞いてみたい気がします。

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『リトル・トリー』

2009-02-26 | 

 今月上旬、時代小説家の赤木駿介さんが送ってくれた『リトル・トリー』。昨年師走、赤木さんにお会いした際「いい本だよ、面白いよ。読んだことある?」と聞かれた本でした。私が読んでいないことを知って、取り寄せて送ってくれたのですが、『ゲド戦記』を読み直していたので、すぐに読み出さずにいました。

 著者はフォレスト・カーター。「リトル・トリー」とは祖父から授けられた彼のインディアンネーム。フォレストがチェロキー族の血を引く祖父母(祖母は完全なチェロキー族)のもとで過ごした幼少期の体験をもとに描かれた作品で、発行は1976年。
 アメリカで初版が発行されたときには広く書評に取り上げられ、賞賛を浴びたといいます。第1回ABBY賞(アメリカ書籍販売業者連盟の年間推薦図書)受賞作品です。日本では普及版がめるくまーるから発行され、定価1,000円+税。
 
 まだ3分の1も読み終わっていませんが、インディアンの精神世界や自然を敬慕する姿にすっかり魅了され、わくわくしながら読んでいます。

 リトル・トリーの祖父が「いつの世も馬鹿がいて、もめごとを引き起こすしか能のない言葉をせっせとでっちあげているのだ」と嘆くくだりを読んで、不用意発言を連発する自民党議員の姿を思い浮かべ、笑ってしまいました。

 単純な仕掛けの落とし穴に、いとも簡単にはまってしまう七面鳥を見ながら、祖父が言いました。「七面鳥はどこか人間に似てるな。こいつら、なんでも知ってるつもりになって、自分のまわりになにがあるか、ろくに見ようともせん。いつも頭をおっ立ててふんぞりかえってるから、なにもわからずじまいになっちまうんじゃな」。

 痛いとこ突くなぁ、お祖父さん。思わず首を縮込めてしまいましたよ。

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クリの跛行

2009-02-23 | 犬&猫との暮らし

 2月に入って、クリの後肢が不安定なことに気づきました。
 クリはエサの時間や散歩に出かける前など、舞い上がって、その場でクルクル回ったりします。クリのその様子に病的なものを感じていたので、今までも止めるよう諭しましたが、治りません。
 「何とかならないのか」と聞くと、「どうにもならない。止めようとしても、ついやってしまう」ということなので、きつく叱ったりはしないのですが、そのクルクルが始ってよく見ていると後肢を踏ん張れずに滑って尻持ちをついたりする。グランドで走らせても、軽くナックリングしたりするのです。

 どう見ても、おかしい。ボールを取りに行ったときもよろけたり、ぴょんとウサギのように後肢を揃えて滑ってみたりする。

 犬が正常に歩けなかったり、脚を引きずったりすることを医学的に「跛行(はこう)」といいますが、通常、犬が跛行するのはどこかが痛いからだとされています。なので、まずクリの後肢に外傷がないか、パッドにトゲなどが刺さっていないか調べてみましたが、それはなさそうでした。

 クリの耳の洗浄のついでに、先生にクリの跛行がどういう状態であるか伝えると、跛行する原因は多く、外傷のほか脚の筋肉、骨、関節などの問題、加えて脊椎や脳の障害までさまざまであるとおっしゃる。

 クリはてんかん持ちだし、神経過敏だし、脳障害もありえなくもない。乳幼児のときの栄養不良が原因で骨格も貧弱で、体も小さく痩せっぽちだし、ほかの2頭より股間節が関節している寛骨の位置も低い。脊椎に負担をかけるような突発的な行動を取ることもままあったし、いろいろな原因が思い当たり、切なくなりました。

 先生に「痛がっている様子はないのですが」と言うと、犬の場合は人間のように痛がっていることが一目では分からない。痛がっているように見えなくても、痛みがある場合があるので、安易に決めつけてはいけないというようなことを言われました。

 確かに…。クリのように、我慢できずに「つい動いちゃう」場合には、痛くても「つい動いている」のかもしれない。

 「痛み止めを出しておきますか」と聞かれました。てんかんの薬との併用は問題ないということでしたが、何となく心配で「ううん」と悩んでいると、先生が「関節の炎症や痛みを緩和する成分も配合されているサプリメントもありますよ」と言うので、「ならばそれを」とよく考えもせずにお願いしたのです。

 この「よく考えもせず」というのは、動物用のサプリメントは高価なのに、自分の経済を「よく考えもせず」という意味で、案の定、会計のときに目が飛び出てしまったのでした。100錠入りで、9,450円。1日8~12錠飲ませるということなので10日ほどでなくなってしまう。ううむ、これでは続けられない…、と懐が泣いています。

 このサプリが効いたお蔭か、激しい動きをセーブしてあげているせいか、はたまた「うちは貧乏だから、こんな高価なサプリは飲ませ続けられないかも(“かも”じゃなくて!)」と伝えた私にあまりに悲壮感が漂っていたために、クリが自力で治そうと決心したからか、幸いにもここ数日、クリの足取りに極度のふらつきはなく、へたることはありません。

 ちなみに、このサプリメントは「アナフォート」といい、「ゆず・グルコサミン加工食品」となっています。原材料は「ゆず種子、ゆず果皮、グルコサミン、メシマコブ菌糸体、フランス海岸松樹皮エキス、西洋シロヤナギ、ハトムギエキス、ショウガエキス、シナモンエキス、貝カルシウム、セルロース、環状オリゴ糖、二酸化ケイ素、植物硬化油」。販売はテルモ。

 確かに抗炎症作用や鎮痛作用のある成分が含まれていますね。人間用のサプリで同様のものを探してみようかなぁ。

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中国炭鉱事故の一報を聞いて

2009-02-22 | つぶやき

 中国・炭鉱ガス爆発で44人死亡というニュースが飛び込んできたので、「もしや太原では?」とふと思い、詳細を読んだところ、やはり太原市古交にある屯蘭炭鉱という炭鉱での事故でした。

 太原市は山西省の省都が置かれている町で、かつて太原市内にある山西大学に留学したことがある私は、留学中に中国人学生から聞いた「母は一酸化炭素中毒で死にました」という言葉を思い出したのでした。
 太原市近郊には炭鉱や石炭工場が点在しており、彼女のお母さんは石炭工場で死んだというのです。大変な事件だと思って聞いていた私に、彼女は「一酸化炭素中毒で死ぬ労働者はけっこういます」などとさらりと言うので、ひどく驚いた覚えがあります。

 炭鉱爆発の事故で亡くなった人々の遺族にどれほどの手当が支給されるのか。
 北京では病院にかかるだけでも、その整理券を入手するのに徹夜して並び、またダフ屋のような商売人も存在するといいます。 

 そういえば、私も留学中、市内の大きな病院にかかるのに、日本煙草1カートンを用意するように言われたことがありました。そうしないといつ診てもらえるかわからないよと。病気やけがの治療の権利さえ、お金や地位で買わなくてはならないのは、昔も今も変わらないのね。

 まあ、最近は日本でもおちおち病気やけがはできませんが。救急車を呼んでも受け入れ病院がなくて待たされるのでは「救急」車の意味がないしネ。

 都市部の発展によって富を手にしているのは一部の人々で、農村部の暮らしは私が目にした当時とあまり変わっていないのかもしれません。
 
 でごぼこの激しい土埃の舞う道を、ロバに牽かせた荷車に石炭を満載して往来する人々の黒くすすけた顔を思い出しました。

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犬の数

2009-02-21 | 犬&猫との暮らし

 日本における犬の飼育頭数はおよそ1,310万頭(2008年の拡大推測値。ペットフード工業会調べ)。日本の全世帯数が約5,000万世帯ということですから、犬を飼っている世帯が占める割合はかなりの割合だといえます。

 世界には700から800種類の犬がいるといわれていますが、国際畜犬連盟によって公認されているのは339犬種(2008年6月現在)。JKC(ジャパンケネルクラブ)ではそのうち187犬種を登録しています。つまり日本には公認されている純血種だけでも187犬種がいて、飼育数を考えればそのほかミックス犬と呼ばれている犬たちも数多くいるわけです。

 それでも続々と新たな犬種を作ろうとしている人たちがいる。一昨年、こんな謳い文句で購買意欲を煽っているペットショップのチラシが新聞に折り込まれてきました。

 「アメリカでは『デザイナーズ・ドッグ』として数年前からブームのMIX犬がついに日本上陸! 異なる純血種同士の愛の仔・MIX犬たちは、カワイイとこどりでオリジナリティたっぷり!! 最近では血統書のあるミックス犬もでてきました。」

 もう充分じゃないか、と思いましたね。愛玩犬にしろ使役犬にしろ、これだけさまざまな犬種が作出され、選択の幅も広がっているのに、もう充分じゃないかと。しかもミックス犬に血統書がある? このショップが任意団体を作って、勝手に発行しているのだろうか。 

 決してミックス犬を否定しているわけではありませんよ。
 「トイ」グループに属する、いわゆる愛玩犬と呼ばれる小型犬たちも愛玩目的に作出された犬種ですから、純血種として固定化されるまでは、ほかの犬との交配を重ねたミックス犬の時代があったわけです。
 秋田犬だって、四国の土佐犬や明治になって入ってきたマスティフと思われる犬、ジャーマン・シェパード、グレートデーンなどとの交配も行われ、大型犬としての秋田犬が誕生したといわれています。

 ですから、ほとんどの犬種が意図的なブリーディングによって作出されたといっても過言ではないのだと思います。ですが、種が固定化するまでには長い歳月が必要で、1代、2代の話ではありません。

 チラシにある「愛の仔」とか「カワイイとこどりでオリジナリティたっぷり!!」などの浮かれた言葉からは、どういう犬をどういう目的で作出しようとしているのか全く伝わらないどころか、犬種の特性や遺伝疾患を深く考えず、見た目の可愛さや珍しさのために安易にかけ合わせ、購買意欲をくすぐろうとしているとしか思えない軽薄さを感じてしまう。
 
 現在、ミックス犬とかハーフ犬と呼ばれている犬には、こんな犬種名がついているようです。

 パグル(パグ×ビーグル)
 ボーグル(ボクサー×ビーグル)
 ヨーキプー(ヨークシャーテリア×プードル)
 シーポン(シーズー×ポメラニアン)
 パピマル(パピヨン×マルチーズ)
 パピチーズ(パピヨン×マルチーズ)
 マルダックス(マルチーズ×ダックス)
 ヨーチー(チワワ×ヨーキー)
 パピプー(パピヨン×プードル)
 ラブラドゥードル(ラブラドール×プードル)

 ラブラドゥードルのように、ラブラドールの抜け毛の多さを、抜け毛の少ないプードルとかけ合わせることでカバーしようという意図で作出された犬種もありますが、だからといってラブラドゥードルはまだ作業犬(特に盲導犬や介助犬)には使われてはいません。
 
 純血種だろうがミックス犬だろうが、遺伝疾患の重大性を理解せずに繁殖するべきではないと思うし、それよりもまず、犬にブームを作りなさんなと言いたい。アメリカやヨーロッパで流行しているなんて言われようが、CMで愛くるしい仕草をしようが、そんなことだけで犬を飼う気になってはいけませんと言いたい。

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『第三次世界大戦』

2009-02-18 | 
 16日、ジャーナリストの坂本衛氏に会い、楽しい酒を呑みました。何とか終電に間に合って帰ったのですが、こんなに遅くまで外で人と酒を飲むのは珍しい。何せ坂もっちゃんとは十数年ぶり、いや、20年近く会っていなかったと思うので、つい昔話やら近況やら、あえこれ話すうちにあっという間に時が流れていったのでした。

 坂もっちゃんも私も草柳大蔵氏が命名した『花も嵐も』という雑誌の立ち上げ当初に、山河社という編プロに席を置いていたのだけど、私はいったい何をやっていたんだか、本格的な編集作業には関わっていなかったように記憶しています。そのよく思い出せない若かりし日々の不思議な時間の中で、坂もっちゃん家族との交流だけはやけに鮮明に覚えていて、久し振りの再会にも私には何の違和感もありませんでした。

 彼が構成した最新刊の本を2冊くれました。田原総一朗×佐藤優対談集『第三次世界大戦 世界恐慌でこうなる!』と『第三次世界大戦 新・帝国主義でこうなる!』であります。

 写真では分かりませんが、この2冊は同時刊行で「右巻」「左巻」とされています。上巻・下巻でも1巻・2巻でもない。「対で買って読め」ということでありますね。興味のある方はぜひ左右巻同時に買って読んでください(と、坂もっちゃんも思っていることでしょう)。ここで感想などを鋭く述べたいところですが、ははは、残念ながらまだ読んでおりません。 

     
            アスコム刊・各1,700円+税
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犬の服

2009-02-13 | 犬&猫との暮らし

              困惑気味のトチ

 「要らない、要らない。うちは着せないから」と言っているのに、半ば強引に持たされた犬の服5着。「高齢犬だし、体温調節のために」とか言われましたが、多分うちの犬たちは歳を取ったからといって、室内で打ち震えるほど虚弱ではないと思う。病気のときは毛布でもかけてやります。

 友人が「うちの子、あまり服を着るの、好きじゃないみたいなの」と言いながら着せているので、思わず「じゃあ、やめてあげなよ~」と言うと、「だってえ~、可愛いじゃない」と言う。  
 
 実は、外を歩いている洋服を着た犬を、今まで一度たりとも「可愛い~!」と思ったことがないんですね。毛が抜けるからという理由で室内だけで着せているお宅もありますし、盲導犬、介助犬がレストランや施設内でやはり同様の理由から着衣しています。それは別です。それとて「可愛い」と思うわけではなく、「ご苦労さま」という気持ち。

 またグラッシーにあげようかしらと思案しながら、大きさを確認するために面白半分に3頭に着せてみました。

 似合わな~い! ぜ~んぜん似合わない。笑ってしまいました。

 トチは困って頼りなげな眼差しで私を見やるし、ブナなどふてくされて突っ伏すし、クリに至っては、また何かのお仕置きかと思ったらしく、微動だにできなくなり、本当にみな迷惑そうでした。

 
    突っ伏したブナ           固まったクリ

 野外で遊ばせる時に体を守ってあげたいという理由から、大型犬の運動用の服も売り出されているようですが、多少の傷は「舐めて治しなさい」で終わってしまう我が家では、やっぱり犬の服は不要ですな。 

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慣れてきました

2009-02-11 | 犬&猫との暮らし
               ブナのそばで

 ボッチもだいぶ犬たちに慣れてきました。

 懸命に「シーッ!」と威嚇しても、犬たちが知らん顔を決め込んでいるので、いよいよボッチも威嚇するのに厭きたらしく、最近ではかなり近くでくつろぐことができるようになりました。

 添い寝できるようになるまでには、もう少し時間がかかるかもしれませんが、遠からずそんな微笑ましい光景が楽しめることでしょう。
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ジャーナリスト坂本衛氏のこと

2009-02-11 | つぶやき

 坂本衛氏は、早稲田大学政治経済学部在学中から週刊誌、月刊誌などで取材執筆活動を開始し、「GALAC」「放送批評」の編集長を務めた後、現在は放送批評懇談会理事であり、同ギャラクシー賞報道活動部門委員長で、また田原総一朗氏が責任編集長を務める「オフレコ!」という雑誌の副編集長、日本大学芸術学部放送学科非常勤講師、「琵琶湖塾」副塾長と、輝かしい肩書を持つジャーナリストであります。

 ジャーナリストと紹介はしましたが、「ジャーナリストって何ですか」と突然、中学生(じゃなくてもいいけど)に尋ねられたら、おそらく私は正確に答えられないかもしれません。
 だいたい編集の仕事だって、正確に答えられるかどうか怪しい。フリーランスでライターをしていると、往々にして「編集業務も込みで」という場合がありますゆえ、名ばかりではあるにしろ編集者として仕事もこなしているし、専門誌の編プロをやっていたときは、編集作業がメインの仕事だったのですが、やはり今「編集者って何をするのですか」と中学生(じゃなくてもいいけど)に聞かれたら、何と答えればいいのやら…。

 今は(昔も!)こんなにぼんよよよ~んと無責任に生きている私ですが、前述の輝かしい肩書を持つ「放送にも詳しい」ジャーナリスト坂本氏は旧い知人であり、かつて私が坂もっちゃん(と坂本衛氏を呼んでいる)に、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』3巻を差し上げたことをよく覚えていてくれて、彼のホームページ「すべてを疑え!!」の“あれこれ疑って、My Way”にそんな記述を残してくれています。

 そうそう、私はあの頃、『ゲド戦記』にいたく感動していたのです。

 『ゲド戦記』は1976年に第1巻「影との戦い」が出版され、一昨年だか、スタジオジブリが映画化した名作です。現在は「影との戦い」のほか「こわれた腕環」「さいはての島へ」「帰還-ゲド戦記最後の書」「アースシーの風」「ゲド戦記外伝」の6巻が刊行されています。

 映画を観ただけで『ゲド戦記』を知った顔をしてはいけません。原作はもっと深い。

 坂もっちゃんがホームページに記してくれた『ゲド戦記』のくだりを読んで、再び『ゲド戦記』全巻が読みたくなりました。
 読まなければ…。「読み直しなさい!」と誰かが(神様?)言っている。

 坂もっちゃんは肩書通りの忙しい生活のようで「読みたい本をゆっくりじっくり読んでいる時間がない」みたいだけど、私にはあるんです、幸か不幸か…。

 いいや、「幸」に決まってます。

 私は『ゲド戦記』によって、(人間ではない)動物の智慧を強く意識するようになりました。『ゲド戦記』を読んで、何の動物でもいい、かたわらで意思を通わせることができる動物とともに生きていきたいと強く思ったのでした。常に共生するべきだとさえ思ったのでした。

 その通りになっているのに、今、しなければならないことを見失っているような気がします。なので、やっぱり今、『ゲド戦記』を読まなくちゃ、なのです。

 『ゲド戦記』について書くことで、そういうことを示唆してくれた坂もっちゃんに、ひっそりと感謝するのでした。

●ジャーナリスト坂本衛のサイト
メディアとつきあうツールすべてを疑え!! MAMO's Site
 
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/

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三日月につれられて

2009-02-10 | 犬&猫との暮らし

 山口県在住の、カヤックビルダーであり著述家の洲澤育範さんが寄稿してくれたエッセイをご紹介します。

「三日月につれられて」

 年末の三日月の夜、家族が揃うのを待ってポンタは死んだ。14年生きたハスキーの雑種男犬だ。

 昨年の夏あたりから、急に老けてきた。散歩につれて行っても、悪い右後ろ足を引きずるし、秋には耳もずいぶんと遠くなってきた。食欲はあるのでと安心していたが、師走の声を聞いたころから、食べるには食べるのだが、ほとんど栄養を吸収しないようで、首輪の留め金の位置はどんどんと小さくなった。
 女房は野菜や肉を細かくきざんでとろとろに煮て食べさせていた。ぼくは下の世話で、洗ってやったり、消毒してやったりしていた。
 だんだんと、横になって虚ろに過ごすことも多くなったが、それでも鎖を外すと散歩に行こうとする。右後ろ足を引きずり引きずりふらりふらりと歩く。疲れて歩けなくなると、悪い足をぷるぷるとふるわせ立ち止まり、ゆらゆらと倒れる。抱えて家まで連れて帰る。寒さが厳しいので家のなかへ入れてやりたかったが、おもいだしたように歩き回るのでそうもいかなかった。

 そのうち、好物の豚足を煮ても食べなくなった。
 いよいよ自分で小屋にも入れなくなり、外に敷物を敷き、毛布を掛て過ごさせた。僕は医者には連れて行かなかった。

 ここで暮らしはじめて20年、2匹の犬を亡くした。
 1匹目は急に容態が悪くなり、医者に連れて行った。死に目には会えなかった。2匹目も急に容態が悪くなり、カヤックの上で訃報を聞いた。
 いずれも死因は毒物を食べてか、ヘビかハチに噛まれたのではないかとの診断だった。後々その死因はわかったが、どうやらダニによる腎不全らしかった。
 この2匹の経験から、病気や怪我ならいたしかたないが、年老いて死ぬぶんには、医者には連れて行かぬと決心していた。
 そりゃ、医者に連れて行けばなんらかの延命処置はとってくれるかもしれないが、人工呼吸器や点滴の管につながれて、味気ない空間に横たわり、命を長らえる姿はたえがたく、ポンタが死を迎えるときは、ぼくが看取る覚悟をしていた。
 医者に不信感をもっているわけではないが、人間勝手な思いかもしれないが、ぼくは人工呼吸器や点滴よりも、ぼくの掌(たなごごろ)をポンタに施し、生と死の間際をともにすごそうと決めていた。

 クリスマス過ぎには、自分で水も飲めなくなった。注水器で口に水や流動食を流し込んでやると体を起こそうとする。
「もうええ、もうええ、もう起きんでええが…」
 そのたびに、僕も女房も涙があふれでた。
 生と死が行き来しているのが、はっきりとわかる。
「もうええ、もうええが、もう動かんでええが…」
 僕も女房もポンタのそばで日がな涙を流し、世話をした。

 とうとう立ち上がれなくなったので、家の中の火のそばに寝かせてやった。ときどき、苦しそうに体を動かし、呼吸も荒くなる。掌を施すと、すやすやと息をする。生と死が行き来している。
 だんだんと、荒い息と静かな息とが入れ替わる間隔も短くなってきた。生と死が行き来している。彼岸と此岸を行き来している。
 もう、ぼくも女房も涙がとまらない。ぼくはポンタのそばに寝袋を敷いた。一晩でも二晩でも三晩でも、役にたたないかもしれない掌でポンタの体をさすり、なで続けるつもりだった。

 涙も鼻水もとまらない。嗚咽で背中のふるえるもとまらない。
 「もうええが、もうええが、もうお往き…」
 苦しそうに息をして、体を動かす。なでてやる。さすってやる。
 首輪は死んでから外すつもりでいたが、
 「もうええが、もうええが、もうお往き…」
 ぼくは首輪を外し彼を抱きかかえた。
 「もうええが…、もうええが…、もうお往き…」
 ポンタは大きくひとつ息をして、小さくひとつ息をして、ぼくの腕のなかで頭を垂れた。
 「ポンタ! ポンタ! ポンタ!」
 ゆすっても、名前を呼んでも、二度とポンタの頭は上がらなかった。
 小さく体が痙攣し、大きく体が痙攣した。ぼくの右足はポンタの尿と糞でびしょぬれになった。ポンタとは、はじめから終わりまで、尿と糞とゲロにまみれた付き合いだった。

 しばらく亡骸のそばで女房とふたり、われを忘れていたが、ぼくはまだポンタの気配を感じていた。
 「まだ、ポンタはここにおる。散歩につれて行けといいよる。遊んでくれといいよる」「ポンタはあんたが好きやったけ…」。
 ぼくは亡骸の横に敷いた寝袋にもぐり込んだ。尿と糞の饐えた、生臭いにおいのなかで「ポンタ! お前は死んだんじゃけ、あの世へお往き。泳ぎは覚えちょろうが、三途の川は渡れよう。いずれまた会ういや…」。それでもポンタの気配はぼくの枕元を飛び跳ねていた。
 
 心臓の鼓動はとまり、脈は波うつのをやめ、肉体が骸になっても、まだ生と死は行き来するのだな、生と死の境目はあやふやに、複雑に入り組んでいるのだな、と考えた。
 知らず知らずに、ぼくは手の指をからませ胸の前で組んでいた。指を曲げているうちは、右の手と左の手は離れようとしない。指を伸ばすと、右の手と左の手はするりと離れる。離れた右手には左手の感触が、左手には右手の感触が残っている。

 左手は肉体、右手は魂。
 その双方がなんらかの意志をもち指をからませている様が生。
 双方の意志がとぎれようとしたときが「いまわの時」、臨終。
 そして、からませた指が離れた様が死。

 生と死はこんなふうに結びつき、それが離れる間際はこんなふうなのかもしれない。
 また、生と死、体と魂は、別々の存在ではなく、両手のように一対の存在で、もとをたどればひとつの存在、そんなことを考え、両の手の指を見つめているうちに眠った。

 早朝、目がさめると、もうポンタの気配はなかった。三日月につれられて新しい生に辿りついたのだろう。

 女房とぼくはポンタの体を洗い、拭き、毛並みを整えた。子どもたち三人は、墓穴を掘った。墓穴は栗の木の横、グレートデンのタンタンの墓のそば、そしてポンタが好きだった女犬・クゥーの小屋のそばに掘った。

 ぼくたち家族は、ただ、泣いた。
 ぼくたち家族は、ポンタに、老いを生きる直向き(ひたむき)さを教えてもらった。
 ぼくはポンタの右足に、ぼくの右足の行く末を重ねていた。

 そしてわが家にはまたひとつ、主のいなくなった首輪が増えた。

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哀しいできごと

2009-02-08 | 犬&猫との暮らし

 イエローのラブラドール、その名もラブ君は、もう1匹のミックス犬とともに軽トラの荷台に乗せられて河川敷にやってきては、年配の飼い主さんがゴルフの練習をするそばを、つかず離れずしながら自由時間を楽しむのが日課でした。

 ラブ君はまだ5歳くらいだったと思います。彼がまだひょろこい幼犬のときから会っているので、うちの3頭にしたら、張り合う必要のない年下の友人といったところでした。

 昨年中は皮膚病に罹り、頬や四肢の関節部分に赤黒い肌を露出させた、かなり悲惨な状態のラブ君を見かけましたが(河川敷に生息していた皮膚病のたぬきから移されたらしいと飼い主さんは言っていたけど、ホントは何だかわかりません)、皮膚病が完治したあとは、散歩の時間帯がずれていたせいか、頻繁に会うことはありませんでした。

 今朝久し振りにラブ君の家の軽トラが河川敷にやってきたので、荷台の檻を覗き込んだところ、ミックス犬の姿しかありません。ラブ君の所在を尋ねると、「ラブは死んじゃったんですよ」と思いもかけぬ返答がありました。

 昨年末、食欲がなくなり、体調不良のようなので獣医さんに連れて行くと、腸捻転を起こしており、緊急手術が必要なほど切迫した状態だったそうで、すぐに手術をしたのだけど間に合わなかったといいます。紐状の物がついたプラスチック片を飲み込んでいて、それがラブ君の命取りになったのでした。

 吹き荒ぶ北風のせいか、泣き出すのを我慢していたのか、年配の飼い主の息子さんであろう若いお兄さんが鼻を赤くしながら「今でもラブの見上げる顔を思い出す」といったときには、思わずもらい泣きしてしまいました。だって、飼い主に向ける犬の眼差しが、どれほど温かいものであるかは百も承知だし、5歳で逝くなんてまだ若過ぎるもの。

 中・大型犬に限らないけど、犬がうっかり異物を飲み込んでしまうことは、比較的よくあることです。

 トチは1歳9カ月のとき、穴が開いたゴムボールをうっかり飲み込んでしまったことがありました。穴が開いていたので、くわえているうちにぺしゃんこになるのに、壊れたわけじゃないのでそれで遊ばせていたのです。

 投げてやったのに持ってこない。「探せ」とか「持ってこい」と言っても、トチはキョロキョロするばかり。思わずゴクリとやってしまった自覚がなかったようで、一生懸命周囲を探していました。投げたはずのボールがどこを探しても見つからなかったので「もしや」と思い、獣医さんへ。

 悪い予感は的中しました。レントゲン写真には、半月型のボールがしっかり胃の中に収まっているのが写っていました。食塩水を飲ませるなど、いろいろ試みたけれど吐き出さなかったので、開腹手術と相成りました。

     

 
 上の写真は、トチの抜糸後の傷痕の写真です。術後は絶食に始まり、食事の管理が大変でしたが(何しろ食い意地が張ってますから!)、ラブ君のことを考えると、誤飲でトチが命を落とさずに済んだことは本当に幸いでした。

 昨日は『奇跡のいぬ』グレーシーの最期を読んで泣き、今日は朝からラブ君の訃報で泣き、毎日泣きっぱなしだわ。

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『奇跡のいぬ』

2009-02-07 | 

 犬に関連する本は、写真やイラスト付きの症例解説のある犬の病気の専門書から、トレーニング、しつけ関係のテキスト、エッセイ、ドキュメンタリーなどなど、犬本専用の書棚に200冊近く詰め込まれています。

 今日読み終えた『奇跡のいぬ』は、訳者が『動物はすべてを知っている』を翻訳した上野圭一さんだったので、迷わずすぐに買い求めた本です。著者のダン・ダイさんの文章の巧みさに舌を巻きながら読んだのですが、おそらく上野さんの訳文も秀逸なのだろうと思います。

 物語は、アルビノで聴覚がなく、片目も弱視というグレートデーンを飼うことになった著者が、拒食症になったその子を救うために作ったクッキーでビジネスを成功させるお話なのですが、ハウスシェアしている友人で、のちにビジネス・パートナーとなるマークとの関係が本当にステキで羨ましく、マークの飼い犬2頭(ダルメシアン1頭、ラブのミックス1頭)とグレートデーンのグレーシー、この3頭との暮らしぶりが愉快で、とても心温まるものでした。

 獣医師と相談しながら「ヒトによくないものはイヌにもよくない」という理念のもとにグレーシーのために作られた自然食のクッキーは、やがて愛犬家の間で評判となり、全米で受け入れられることになります。
 その収益でダンとマークは恵まれない犬たちのための「イヌの赤十字」をスローガンに活動する財団を作るなど、
このお話が単なるビジネスのサクセス・ストーリーとして終わっていないところが、犬好きの人間が犬のためにやった純粋な行為を裏付けていますね。
 
 読み出したら止まらなくなり、グレーシーとのお別れのシーンではぼろ泣きしました。障害をもった1頭のグレートデーンがもたらしてくれた時間、風景、絆、愛…、どのページを開いても胸に迫ってきます。

 うちではトチにもう聴覚がないので、ついグレーシーとダブらせてしまいましたが、本書でも描かれているように、聴覚がない分、ほかの知覚を研ぎ澄ましていく生き物の逞しさと、そうして補えるように作られた生命の設計図に感動します。これは犬に限りませんね。

 「訳者あとがき」で上野さんは「〈純粋無垢な生き物〉たちは、人間という〈さほど無垢ではない生き物〉のなかに眠っているスピリチュアリティ(霊性)をゆさぶりおこすだけの力をもっているようです」と書いていますが、まったくその通りだと思います。

 2001年が初版なので、かなり前の本ですが、力をもらえる本でした。

 この本が発行された当初、ダンとマークが創業した、グレーシーと2頭の置き土産である「スリードッグ・ベーカリー」は、東京・代官山に第1号店がオープンしたばかりでしたが、今では犬の自然食だけでなくウエアやグッズも扱っている直営店やFC店が日本全国にあるようですよ。http://www.threedog.co.jp/

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節分の豆

2009-02-04 | 犬&猫との暮らし
 犬猫との暮らしではありますが、歳時記を彩る行事はなるべく大切にしようと心がけてきました。

 というわけで、昨日は節分。子供の時から関東地方には節分に「恵方巻」を食べる習慣がなかったので、コンビニやスーパーで宣伝している「恵方巻」には、いまだに見向きもせず、もっぱら豆まきであります。

 ワンコと暮らすようになってから、まいた豆の後始末を心配することがなくなりました。「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまくそばから、床に落ちた豆はきれいに掃除されていきます、ワンコたちの口で。

 鼻っ面を床にこすりつけんばかりに、わらわらと部屋中を駆け回っておりました。彼らにとっては、節分の豆まきは楽しくて美味しい行事です。

 もうすぐ桃の節句に向けて、お雛様を飾るわけですが、雛あられも毎年、3頭に少しだけ分けてあげます。クリはオスですが、すでに去勢済みなので、このときばかりは「女の子の節句」に便乗させてあげることにしています。

         

  トチとブナはしないのに、なぜかクリはよくこうして前肢を組んでいます。
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迷子の犬猫の電話検索サービス

2009-02-03 | 犬&猫との暮らし

 埼玉県では、1月30日から県内13の保健所などで保護している犬猫の情報を電話で検索できるサービスを開始しました。併せて飼い主さんからの「迷子届け」も受け付けたそうです。

 2007年の統計だと、埼玉県の保健所で保護した犬は2,996匹、猫は3,847匹ということですが、この数、どう考えたらいいのでしょうか。迷子だけでこれだけの数にはならないでしょう。そのうち飼い主さんの元に帰れた犬はわずか694匹。猫に至ってはたったの7匹だといいます。

 飼い主さんに引き取られなかった犬猫がどうなるかは周知のはず。

 日本では二酸化炭素による殺処分を行っている自治体がほとんどですが、埼玉県では子猫や子犬、老齢の犬猫に対して麻酔薬を併用しています(平成19年10月末現在で神奈川、埼玉、茨城、新潟、鳥取、福井、北海道が麻酔薬を併用)。

 二酸化炭素による殺処分の方法は、犬猫を密閉式のボックスに入れ、空気を抜いて二酸化炭素を送り込むことで窒息死させる方法ですが、窒息死ですから当然苦しむわけで、これは決して「安楽死」とは言えませんね。

 子猫や子犬、老齢の犬猫は心肺機能が未発達、あるいは低下しているため、酸欠状態でも長く息絶えることができません。そのため麻酔薬による処置が取られるわけですが、これとて獣医師で行われる静脈への投与でない限り、安楽死とは言い難い。

 自分が飼っていた犬猫がこんな逝き方をさせられるのに平気でいられますか。平気でいられるから保健所に持ち込む人や捨てる人がいるんでしょうけど…。

 自発的な遺棄ではなく、万が一、犬猫が逸走してしまった場合のために、埼玉県内にお住まいの方は「迷子電話検索サービス」があることを覚えておかれるといいでしょう。

専用ダイヤル℡048-824-2170、土日祝日を除く午前9時~午後5時
 

 

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