小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

戴き物の青山椒

2014-08-31 | 食・酒
友人のカサハラさんから「今年は育てている山椒の実が豊作だ」と電話で聞いたとき、
「いいな、いいな」を連発し、垂涎状態を訴えたら、
「では、機会があったらお分けしましょう」と言ってくれた。

私はすっかり忘れていたのに、
昨日、映画上映の会場に忘れずに持ってきてくれたのであった。

ビニールに密閉されていた青山椒は、それでも鞄の中から香り立ち、
和のスパイスの威力を放っていた。
ああ、なんだか、しゃんとする香り。


今日はさっそく下茹でしてから水にさらしてアクを抜き、
酒、醤油、黒糖などで、コトコトと佃煮にしたのでした。


ピリッとした心地よい辛みと後から黒糖の甘味が追いかけてきて、
アツアツのご飯に混ぜ込めば、それだけでお惣菜いらずの上等な一品。

アボガドに添えると、アボガドのこってりさとマッチするし、
シラスと和えた和風パスタも美味でありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『遺言 原発さえなかったら』を観て

2014-08-31 | つぶやき
今朝起きたら、まぶたが重かった。あれっ? 

ああ、そうだった、そうだった、昨日はずいぶん泣いたのだ。
昨日は東村山公民館ホールに『遺言 原発さえなかったら』を観に行ったのだ。


福島県飯館村の酪農家さん、屠畜業者さんの
我慢に我慢の果ての男泣きにもらい泣きしたのだ。
仕事を奪われたうえ、家族と離ればなれに暮らすこととなり、
うつ状態になって自死してしまった酪農家さんのお姉さんが
地元議員にぶつけたやり場のない怒りに涙したのだ。
一時帰宅を許されて帰った自宅のそばで、
焼身して逝った妻の姿を語るご主人の瞳に、
いかんともし難い憂いを見て、胸塞がれて嗚咽したのだった。

あれほど「原発は安全だ」と言い募られて、安心を託していたのに、
一瞬のうちに平穏な暮らしをもぎ取られ、避難誘導もなく、
最も放射能汚染が深刻な地域に取り残されていた人たち。

「原発は危険だ」という、その人たちの声でさえ、
そういう福島の人たちを擁護する声でさえ、
口汚くそしるヘイトスピーチと、同じ次元の訴えだと断じる議員がいて、
空恐ろしくなるのでした。

抗議デモの音量によって「仕事にならない」という前に、
訴えずにいられない福島の農家さん、漁業者さんたちの仕事の現状を
察する気にはならないのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人のために働く犬たち

2014-08-29 | 犬&猫との暮らし
『フロックスはわたしの目-盲導犬と歩んだ十二年』


子どものころから弱視だった著者の福澤美和さんは、
40代半ばにとうとう失明してしまい、
1976年からラブラドール・レトリバーのフロックスと一緒に暮らし始めます。

24年も前に発行された本だけど、
盲導犬の訓練や暮らしぶりが丁寧に描かれていて、
胸を打たれた、オススメの1冊。
この本によって、ラブラドールという犬種にも魅せられた。

フロックスとの最後の日々について新たに綴ったエッセイを加えた新装版が、
2003年6月に文藝春秋社から発行されていたことをつい最近知った。
最後の日々か…、読んだらきっと泣いちゃうな。

ここのところ盲導犬のオスカー君が何者かに
腰部をフォークのような鋭利なもので刺されるという事件がおき、
視覚障がいのある人たちや盲導犬の利用者さんを大変悲しませている。

福澤さんのパートナーだったフロックスも、
わざと蹴られたり足を踏まれたことがあり、
その後遺症で坐骨神経痛になったのだそうだ。
タバコの火を押し付けられたことのある盲導犬もいるとのこと。

足を踏まれても、タバコの火を押し付けられても、
刺されても、彼らは吠えたてたりしない。

そういう特質に付け込んで、手をかけるなんて卑劣極まりない。
己の憂さを言葉が話せない幼子や
動物に向けるのは、本当に卑怯だと思う。

広島の災害現場でも救助犬の力を借りている。
人にはない力を発揮して、人の目となり、手となりして働く犬たちを、
もっと慈しんでもいいのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとり出版社フェア

2014-08-21 | 
 岩波ホールで映画の当日券を買ったあと、開場まで時間があったので、久しぶりに神保町を歩いた。

 相変わらず理解力は乏しいのだけど、小中学生の頃から本が好きで、お話や詩を書くことも好きだった。浪人時代は駿台予備校に通っていたので、神保町は徒歩圏内。本屋街をブラブラするのが面白くて、授業をさぼってはよく神保町に足を伸ばしていた。

 あの頃、御茶ノ水界隈には長居できる名曲喫茶があちこちにあったし、神保町には「さぼうる」や「ラドリオ」をはじめ、味のある喫茶店がたくさんあった。喫茶店で本を読んだり、何か書いたりする時間は、私のとって至福の時だったのだ。

 本屋さんでバイトしたいという思いを叶えて、書泉グランデでバイトもした。バイト店員でも7掛けだったか8掛けだったか忘れたけれど、本が安く買えたのがうれしかった。

 そんなことを思い出しながら、すずらん通りを歩いたのだけど、すずらん通りもだいぶ様変わりした。昔ながらの洋食屋さん「キッチン南海」や天津餃子の有名店「スヰートポーヅ」は健在だけど、百均の「ダイソー」や「ガスト」「セブンイレブン」が看板をあげている。

 以前そこにあった書店のたたずまいを思い出しつつ、「仕方のないことなんだろうな」とつぶやき、東京堂書店に入ると、一角に「ほんのみらいをつくる ひとり出版社の100冊とそれをつくった100冊」フェアのコーナーがあった。

 「厳しい、厳しい」と言われ続けている出版業界にあって、ひとりで出版社を興して奮闘している版元を集め、自社書籍10点と好きな書籍を10点ずつ選書してもらって陳列してあったのだ。なんとステキな企画だろう! 

 

 紹介されていたのは、夏葉社、クレイン、DECO、共和国、土曜社、インスクリプト、菊谷文庫、港の人、群像社、タバブックス、景文館書店の11社。

 活版印刷で美しい詩集をつくっている詩の出版社「港の人」が出展していて、うれしくなってしまった。

 最近はついamazonで本を買うことが多くなってしまったけれど、やはり本屋さんはワンダーランドだ! ちゃんと足を運んで、この目で、この手で、書籍に触れないといかんな。東京堂書店に立ち寄って、本当によかったと思った。

 ひとり出版社フェアは昨日で終わってしまったのだけど、紹介されていた出版社の本を丁寧に調べてみると、どの出版社も志向がはっきりしていて、とても面白かった。心意気を感じ、おおいに刺激されました。夏葉社を興した島田潤一郎さんが書いた『あしたから出版社』も読んでみようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『大いなる沈黙へ』を観た

2014-08-20 | つぶやき
 昨日、岩波ホールで上映中の『大いなる沈黙へ―グランド・シャルトルーズ修道院』を観た。連日混雑していると聞き、最終6時半からの当日券が買えないと困るので、1時間以上前に出かけて行った。


 映画の舞台は、長く内部が明かされることのなかったカルトジオ会修道院の総本山「グランド・シャルトルーズ修道院」。カトリック教会の中でも戒律が厳しいカルトジオ会の男子修道院として、およそ900年前に建造されたそうだ。

 フランス観光開発機構のサイトの「グランド・シャルトルーズ修道院」を読むと、その歴史や概要がよく分かる。
 http://jp.rendezvousenfrance.com/ja/discover/67639

 修道院に撮影を申し込んでから、その承諾が下りるまで待つこと16年。限られた条件のもとで半年にわたって撮影された映像は、5年の歳月をかけて3時間弱の作品にまとめあげられた。ヨーロッパでの公開は2005年。それから9年の時を経て、今回の日本での公開となった。

 俯瞰の映像を見ると、切り立つ崖に囲まれた山塊にポツンと建っている。そんな山中であるのもかかわらず、立派な建物であることに驚いた。信仰の力がなすことの大きさに胸ぐらをつかまれた気がした。

 BGMもナレーションもない。自然光で撮られた映像はどれも美しかった。ただ神のみと向き合う修道士の、静寂に包まれた祈りと瞑想の日常を記録したドキュメンタリー。

 見えざる偉大な何かに、能天気に感謝しながら、ゆるい多神教の世界でぬくぬくしている私には、ちょっぴり整理がつかない課題が残された深い映画でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵本『かないくん』

2014-08-17 | 
 先日、新宿の紀伊國屋書店で絵本『かないくん』を買った。発行は東京糸井重里事務所。文を綴ったのは谷川俊太郎さん、絵を描いたのは、詩人・工藤直子さんの息子さんで、漫画家の松本大洋さん。

 

 『ほぼ日刊イトイ新聞』に連載されていた「『かないくん』ができるまで」を読んでいたので、谷川さんが一夜で文章を書いたのに対して、その文章を読んだ松本さんが、絵を仕上げるのに2年かかったということは知っていた。

 谷川さんは若い頃から、作品の中で「死」を頻繁に扱ってきたように思う。数か月前に読んだ、谷川さんと野の花診療所の徳永先生の『詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡』でも、谷川さんは死を比較的身近なものとして考えていると綴っている。


 同書でも谷川さんは「死は終わりではない」というようなことを語っているから、そうした思いをまとめるかのように、『かないくん』の原稿もすらすらっと書き上げたのではないかと思った。 

 一方、このストーリーを絵にするのは、本当に大変だっただろうと思う。絵本を手にして改めて、そう思った。谷川さんの原稿を読んだブックデザイナーの祖父江慎さんも「これを絵にするのは、そうとう難しいねえ」とおっしゃったというから、プロの目から見ても、そうだったのでしょう。

 けれど松本大洋さんは、それを見事に形にしたわけですね。印刷工程でこだわったという「白い色」は、どのページでも印象に残る使い方がされていた。
 ことさら重く描く必要もなく、かといって軽々なものではない「死」へつながる世界の温かみや孫の女の子の心情が、そのさまざまな白色で表現されている。

 
 『かないくん』に描かれた死の確からしさや白い色の存在感は、文章、絵、デザイン、印刷、進行それぞれを担当した、すべての方たちの妥協のない仕事ぶりの賜物なんですね。脱帽でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンカラ決行

2014-08-15 | つぶやき
 昨年「ワンカラ」「ヒトカラ」という言葉を聞いたとき、流行に疎い私は何のことだか、すぐに分からなかった。何のことはない、1人カラオケのことだったのだけど、そうか、やはり気ままに1人で出かけたいというニーズがあるのだなと思った。

 ここ数年は、老いた病気の犬たちに留守番をさせて、友人と約束してまでカラオケに行くということはなくなり、行くにしても、歩いてすぐに帰宅できる駅前のカラオケ店に、年に数回、妹を誘って行く程度だった。

 ただ「ちょっと歌いたいなあ」と思っても、小学生の子どもがいる妹を年中、誘い出すわけにもいかないし、友人とは飲みながらのおしゃべりに夢中で、カラオケに誘ったことがない。なので、その「ワンカラ」をいつか決行してみたいと思っていた。

 でも、1人で外食することは平気なのに、おかしなもので、なぜか1人でカラオケに行く勇気(?)がなかったのである。

 今年に入って妹と駅前のカラオケ店に行った際、何度か60代、70代とおぼしき女性たちが1人でカラオケを楽しんでいる場面に出くわし、ヤヤヤ!と思った。このようなおばさま方にもワンカラは浸透しているのか。

 
 考えたら、1人でカラオケ店に行く勇気と、下手な歌を仲間に平気で聞かせる勇気を比べたら、本当は後者のほうをよほど勇気のいることじゃないか? そう思ったら、我ながらちょっと笑えた。その日から1人カラオケは「今年やってみたいこと」のひとつになったのである。

 今年のお盆休みは、本腰を入れる仕事の下準備に当てるつもりでいたのだけど、思いのほかそれが早く整ったので、2日間ばかりのんびりすることにした。そして、昨日とうとう意を決して1人でカラオケ店に行ってみたのであった。

 お盆休み中ということもあり、いつも利用する駅前のカラオケ店は昼間なのに混み合っていて、受付で「10分ほどお待ちいただくことになります」と言われた。初めての1人カラオケなので、最初からオドオドしていたため「待ってまでしなくても…」と気弱になりかけたところ、奥から「歌い終わりました~! ああ、スッキリ!」という感じで、満足気な面持ちのおばあさんが出てきたのである。

 私はその人を見て、心を強くした(って、そこまでビビること、ないのにね)。仲間だあ!と思った。

 多分、そのおばあさんが歌っていた部屋が空いたのだ。入れ違いに、そのワンカラ先輩が使っていた部屋に入った私は、1人調子っぱずれの愛唱歌を熱唱したのであった。

 そのカラオケ店の会員カードも作ったことだし、この先、歌いたくなったら、ちょこっと出かけて行っちゃうもんね。1人でももう大丈夫!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猟犬の血が騒ぐの?

2014-08-12 | 犬&猫との暮らし
 時々私は小汚いアヒルの人形とベッドを共にしていることがある。朝起きるとピヨちゃん人形が、私の横で寝ていたりするのだ。カヤの仕業です。


 カヤは初めて買ってあげたアヒルのピヨちゃん人形が大のお気に入りで、毎日何度もくわえて歩き回ったり、土を掘り返す代わりに敷物を剥ぎ取り、獲物を穴に埋めるようにピヨちゃん人形を布で隠そうとしたりする。猟犬の血が騒ぐのかしら。

 ラブも猟犬だけど、あの犬種は獲物の回収が主な仕事とされているからだろうか、トチ、ブナ、クリともにおもちゃやガムを隠すということがなかった。ラブは水猟犬だしね。

 トチが子犬の時に一緒に飼っていたダイスケはビーグルのミックスだったから、こちらは追い詰めていくタイプの猟犬なのだろうけど、そういえばダイスケは食べ切れなかった自分のガムをいろいろな所に隠していた。
 間抜けなことにダイスケは、隠したことを忘れることがしばしばあって、実家の仕事の出荷用の段ボールの中から、食べかけの牛骨が出てきたこともあった。

 ピヨピヨ鳴るカヤのおもちゃはアヒルの人形以外にもあるのに、なぜかカヤはアヒルのピヨちゃん人形にご執心で、ソファの隅っこや布団を掘って隠そうとするのは、決まってこの人形だ。そして、くわえながら「ウゥ~」と、まったく威嚇にもならないほど弱々しく唸っているときもある。唸るなら、もう少し気合を入れて唸ればいいのに……。

 数日置きに洗っていても、もう汚れが落ちず、元の色が分からないくらい汚くなってしまったのだけど、カヤがあまりに大事にしているし、これと同じ人形をなかなか見つけられないので、捨てるに捨てられないでいる。


宝物を探して、くわえてきました


さっそくソファの隅っこに隠すつもりです


鼻先で土(じゃないけど)をかけ、穴(じゃないけど)に押し込んでいるつもり


「やれやれ」と作業を終えました。隠したつもり、頭隠して何とやら状態だけどネ

 1日に何度もこの作業を繰り返す。ピヨちゃん人形がソファやベッドの上に出ているのが気になるらしい、見えないのに分かるのね。

 夜はきちんとピヨちゃん人形を隠さないと気が済まないらしく、毎晩必ずタオルケットや座布団、クッションを掘りまくる。時々間違えて、私を掘ろうとすることがある。

 よだれで濡れたピヨちゃんを押し付けられるとギョッとするし、前足で引っかかれるのはとっても痛いので、思わず悲鳴をあげるのだけど、カヤは非常に冷静に「ここじゃなかったらしい」という態度で、人形をくわえて隠す場所を探しに行くのでした。

 カヤ~、そんな(小汚い)人形、盗らないってば~。




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虚構の世界

2014-08-12 | つぶやき
 以下は、河出書房新社から発売された『福島第一原発収束作業日記 3.11からの700日間』の書き手であり、今も福島第一原発で働く原発作業員の方の、昨日8月11日のつぶやきである。

 「今日は、東日本大震災から3年5か月、41回目の月命日。1F作業は相変わらず思うように進まず、やってみなきゃわからない試行錯誤の現実。地域除染も現実的に元に戻すような除染は困難だと、国は汚染度や核種は公表せず、住民や地元企業の早期帰還を促すために、線量基準値を引き上げようとしたり金銭的な優遇措置をぶら下げ幻の世界を作り出し引き戻そうとしてる。

 オイラ東京に来るたび、この場所じゃ福島の現実は見えないんだなあって…つくづく実感する。ここ東京では自らが積極的に現実を知ろうとしない限り国の作り出そうとする虚構の世界しか見えない。現実の東北復興はまだまだ先が見えて来ない。

 それでも多くの人たちが未来に向け未来を信じ頑張っている。オイラも微力ながらコツコツと前を向き進んで行きたい。そんな想いを抱きながら東日本大震災関連で亡くなられた多くの犠牲者に対し14時46分、東京から東北の空に向かい黙とうを捧げます。」

 このつぶやきのどこに引っかかったかというと、「東京では福島の現実は見えない。ここ東京では自らが積極的に現実を知ろうとしない限り、国の作り出そうとする虚構の世界しか見えない」という件。

 数カ月、ある巨大組合組織の出版部門である出版社の仕事を手伝う機会があった。そこでは、ある省庁の広報誌の制作を委託されているのだけど、編集サイドは取材だけ外注に行かせ、記事は机上で物語に作り上げ、そのストーリーに添うよう、外注ライターのテキストを書き替えて作っているらしい。

 私が福島県の、とある被災農家さんに取材した内容も、取材先の方が言ってもいないような内容に書き換えられていた。
 福島では放射能汚染問題が尾を引き、たとえ生産が再開できても、売り上げられないという厳しい状況が続いている。その農家さんは「国が定めた暫定規制値を下回った物だけを、消費者のみなさんに届けているということを理解してほしい。選ぶのは消費者の方だけど、市場に出る前にはじかれるのは辛い」と苦しい胸のうちを語っていたので、せめてその思いは発信して差し上げたいと思い、そう綴ったところ、その出版社の編集者がびっくりするような内容に書き替えていたのである。

「全国のみなさんのおかげで、ようやくここまで復興できました。その恩返しのためにも、福島産のおいしい果物をお届けしたいですね」と、その農家さんが語ったことになっていた。

 目を疑いましたね。「放射能のことを書くと読者の不安を煽る」という理由で書き替えたと言うのだけど、被災地の方が「みなさんのおかげで」と言ったならまだしも、取材した方とはそんな話はしなかった。被災も免れて、東京で何に不自由もなく暮らしている人間が、どういう神経で「恩返しのために」などと被災農家さんに言わせるのだろうか。よくそんな傲慢なことが書けるものだと呆れ果てた。

 このような操作はクライアントである省庁のご機嫌取りにほかならず、不愉快至極。抗議したけれど、中に入っている制作会社も下請けゆえ、強く言えないなどと言って及び腰だった。

 まず、クライアントに満足してもらうためのシナリオありきなのだ。しかも編集担当者は前もって「取材先にこういうふうに言わせてほしい」的な発言までするのだ。もってのほかですね。現場はそんな都合のいいストーリーに当てはまるほど簡単じゃない。

 実際の現場の声よりインターネットからの情報を取り込んで、都合のいい誌面を作り上げようとする人たちと対峙しなければいけなかったので、余計に「自らが積極的に現実を知ろうとしない限り、国の作り出そうとする虚構の世界しか見えない」という、前述のつぶやきが響いたのである。

 取材させてもらった方たちの発言をねじ曲げたり、言ってもいないことを言わせたり、ドラマチックに仕立てるために脚色(捏造)するのは、まったくもって不実な行いである。
 たとえ取材した相手が非情な殺人を犯した極悪人でも、その人の発言をこちらの都合のいいように書き替えたり言い替えることは、決してしてはいけないことだ。

 あまりにも誌面づくりに対して誠意がないので、その出版社の仕事からおりることにしたのだが、そうしたら中に入っていた制作会社がとんでもないことを言ったのである。

 「ライターがいないので、ページ単価を倍にするから続けてくれないか」って、おいおい。
 最初に提示されたページ単価は、悲しくなるくらい少ないもので、初めて付き合う制作会社でもあり、当初もこの仕事を受けるべきか、かなり迷った。
 
 ただ、どんな現場にせよ、真摯に取り組んでいる方たちからは学ぶことも多い。だから、引き受けたのである。ページ単価を2倍にできるのなら、最初からさっさとそうしてほしかったよ。

 原稿料が安かろうと、これまでも仕事に手を抜くことはもちろんしてこなかったけれど、これ以上、虚構の世界を作り上げることには加担したくないので、制作会社の申し出もきっぱりお断りした。あの版元にして、この制作会社……、まったく「ばかっちょ!」と思いましたよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カヤ、いじられるの巻

2014-08-11 | 犬&猫との暮らし
 勤め人ではないので、盆暮れ正月・大型連休といった休暇が、自分の生活や仕事に変化をもたらすわけではないのだけど、往来に社用車が少なく、周囲が全体的にのんびりした雰囲気に包まれると、何となく自分も休暇気分になってしまう。

 巷はお盆休みに入り、周辺の道もすいている。妹のパートナーも有給休暇を加え、少し長いお休みに入ったということで、昨日はうちで晩酌をしながら夕飯を共にした。

 カヤは人好きなので、来客は大歓迎。特によく遊んでくれる妹と姪っ子のことが好きらしい。妹のパートナーも動物好きなので、よくかまってくれる。


姪っ子にかまってもらおうと膝に乗ったのに、ゲームに夢中の姪っ子


「それなら」と妹に甘えるカヤ
 

「よし、よし、じゃあ、ボクが遊んであげよう」と妹のパートナー。久しぶりにカヤと遊ぶ彼は、面白がってカヤをいじり始めた。

カヤはこんなことをされたり


変顔にされたり


ダンボにされたり


「きゃあ、可哀想にねえ」とあとの2人が引くほど、ムギュっと抱きしめられたり


ハアハア、私、もう疲れました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足場が組まれた庭

2014-08-11 | つぶやき
 ほとんどの植木鉢を避難させた翌日から、いよいよ改修工事のための足場が庭に運び込まれ、組み立てが始まった。

   

 ちょっと足場を歩いてみたくなった。

 でも、足場を伝って作業員以外の人間(つまり空き巣狙いなどですね)が侵入しないように、足場の至る所に防犯カメラが設置され、認証のない人が通ると、すぐさま反応して本部に知らせるセンサーが取り付けられるというから、作業員の人たちが帰った後も、下手に試したりできないのだ。

 もっとも私は高所恐怖症なので、すいすい足場を伝っていくことはできないのだけど。

 工事現場と化した庭に唯一彩を添えてくれているのは、もともとマンションの共有物として植えられていなかった百日紅(サルスベリ)。すっかり根付いてしまったために、植え替えることもできず、今が花盛り。


 よく見ると、不思議な形をした花だなあ。6枚の花びらはフリルのよう。樹皮が剥がれた部分はツルツルしていて、猿も滑って登れないことから「サルスベリ」という名前がついたそうだ。

 ただ、猿も滑るほど大きく育っては困るので、冬になるとこぢんまりとした形になるよう、せっせと剪定している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『遺言 原発さえなければ』上映情報

2014-08-10 | つぶやき
 3.11後、3年にわたって福島で記録された250時間のドキュメントリー映画『遺言 原発さえなければ』が、8月30日に東京都東村山市立中央公民館ホールで上映されるそうだ。


 友人のカメラマン・カサハラさんが教えてくれたのだけど、3.11後、彼は自分のできることをできる範囲で粛々と続けており、頭が下がる。今回もきっと「遺言 原発さえなければ」を上映する会@東村山の活動に携わってきたのだと思う。

 これまでポレポレ東中野などで上映されてきたこの映画を、観たいと思いながらも見損なっていたので、早速カサハラさんに前売り券を予約した。


 チケットは前売・当日ともに999円(学生500円)ととてもリーズナブル! しかも当日は監督のトークもあるそうです。そうそう、前売りにはささやかな特典が付くらしい。

「遺言 原発さえなければ」公式サイト http://yuigon-fukushima.com/
「遺言 原発さえなければ」を上映する会@東村山の連絡先 
 https://www.facebook.com/yuigon.higashimurayama

 未だ収束には程遠い事故後の福島原発。今回の事故に限らず、原発がもらたす悲劇に目をつぶらず、同じ大地で生きる私たちが、それをどう考えて、何を選択していくことがベターなのか。この映画はそういった問題提起に、改めて向き合う機会を与えてくれるものと思う。

 カサハラさんが「多くの人に観てほしい」と言っていたので、非力ながらここでPRする次第です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クールマットの上で眠るカヤ

2014-08-05 | 犬&猫との暮らし
 朝起きて、カヤの居場所を確認すると、ソファーに置いてあるクールマットの上で寝ていることが多くなった。

 

 毎晩熱帯夜だしね、私がベッドをしつらえる、ソファーのある部屋には扇風機しかないので、カヤも寝苦しいのでしょう。

 ならば、エアコンをかけているリビングの床にでも寝そべればいいのに、私の近くにいたいのか、何かの上で眠りたいのか、理由は分からないけれど、それはしないのだ。

 小さな犬だとこういう備品をあてがってやれるのがいい。3頭の大型犬には体格に見合ったクールマットなんて買ってやれなかったもの。

 もっともあの子たちは、自分から少し涼しい床の上に寝に行っていたからなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緋玉マユミだったのか…

2014-08-05 | 植物
 マンションの外壁改修工事の足場を組むため、庭の植木を移動しなくてはならず、重労働だった。まめに手入れをしてくれるであろう実家の母に、10鉢くらい植木を預けに行き、そのほかやはり10鉢くらいは、近くに妹が仕事場として借りているアパートの前に置かせてもらうことになった。毎朝そのアパートに行って、植木に水をやっている。

 4種類のバラと名前が分からなくなっている低木は鉢が重いし、私の車に積めないくらい高さがあるので、庭先で面倒を見ることができるよう、足場の外側に何とか置いてもらえることになった。

 日曜日にはテラスに設置してある物置を解体し、収納していたものを運び出したのだけど、その中にあった園芸ボックスに、なんとたくさんの名札が……。

 これまで買ってきた花や草木の名札が保管してあったのだ。ああ、すっかり忘れていた。

 それによって、名前が分からなくなっていた低木の名前が判明。確か小さな赤い花が咲いていたのが愛らしくて、ポット苗を買い求めたのに、買った翌年から全然花を付けなくなり、葉っぱの形状だけでは名前を調べることもできずに、今日に至っていたのである。

 それが「緋玉マユミ」。赤い花だと思っていたのは勘違いで、白い花が咲いた後、濃い紅色の実をつけると書いてある。昔、弓を作るのによく使われたことから「真弓(マユミ)」の名前があるらしい。


 名札の裏に「雄木があると非常によく結実します」とある。そうか、うちの緋玉マユミは雄木がなくて、淋しかったのかな。というより、名前も分からなくなってしまったズボラな持ち主のために、実を付ける気もなくしていたのかもしれないね。

 緋玉マユミだけでなく、「メヌエット」だと思っていたバラが「マジックキャローセル」というミニバラだったことも分かった。

 メヌエットを調べてみると「四季咲きの中輪」と書いてあった。確かにピンクの縁取りがあって似てはいるけれど、私の目を楽しませてくれるピンクの縁取りのバラは中輪ではなく、いたって小さな花房だもの。

 怪我の功名というか、なんというか…。

 今、庭の中を、作業着姿の屈強な男性たちが足場のパイプを担いで、盛んに行き来している。何となく落ち着かない。目が合うとバツが悪いので、カーテンを閉めたのだけど、薄暗く秘密めいた感じの室内。ちょっと息苦しい。

 植木鉢の搬出も大変だったし、しばらくのびのびと庭に出ることもできず、窮屈な思いはするけれど、これを機に古い植木鉢やプランターを処分したし、庭木を整えることができた。不明だった植木の名前も分かったことだし、めでたし、めでたしなのである。

 ああ、だけど、まだ重労働が残っている。解体した物置をまだクリーンセンターに持ち込んでいないのだ。粗大ゴミとして収集してもらうにも、外に出さなくてはいけない。毎日暑いし、グズグズ先延ばしにしているのだけど、少しずつ運び出さなくちゃ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石浦漁協のうたい競り

2014-08-04 | 旅先でのお話
 先日、仕事で明石浦漁協に行き、競りの様子を見学する機会があった。明石といえば鯛やタコが有名で、時速約14~15kmの明石海峡の潮流が育む、身のしまりが身上。特にタコは潮の流れに負けないように育つため、足が太く短くたくましく、立っているように見えるそうだ。

 明石浦漁協では、お休みの日以外24時間、水槽に海水とエアーを対流させ、水揚げした魚を競りの時間まで生かしておく。競りは活魚が基本で、実際に競り場にあげられる魚はピチピチと踊っていた。

 構内には浅いプールのような生簀がいくつもあり、たくさんの魚が水揚げされてはケースごとプールに浸かっているのだけれど、ほとんどが生きているので、聞かされていたとおり競り場も構内も生臭い魚臭がなかった。

 魚の競りというと「早朝」のイメージだけど、明石浦では11時から行われている。これがまた、感動的にカッコよかった!

 これまで魚の競りは築地市場や銚子港、気仙沼港などで見てきたし、青果や花卉は大田市場でも取材してきた。これまで見てきた競りの中で、明石浦漁協の「うたい競り」が一番感動した。

 競り人が何を言い、どんな指符を出しているかは素人の私にはまったく分からなかったけれど、活魚を扱っているのだから当然なのかもしれないが、ものすごいアップテンポで手カギを動かし、独特な口調で魚とその値を告げ、緊迫する雰囲気の中、真剣な面持ちで仲買人たちがも素早く競り落としていく。

 漁協参事のお話では「まず値を付けるのは競り人。競り人主導の競り」で「競り人は漁協の花形」なのだそうだ。それには納得。写真を撮るのも忘れて、見入ってしまった。ほれぼれした。

 それでも近年、こうして人出もかかる昔ながらのやり方は合理的ではないから、機械化したほうがいいといった意見もあるらしい。そういえば大田市場の花卉の競りは、ボタンひとつで競り落とす電光掲示板による方法だった。

 でも、この「うたい競り」は後世に残すべき文化だと思った。歌舞伎が伝統芸能なら、うたり競りは水産業の伝統技能だと思う。口伝と経験によって培われる技術だもの。

 合理化を目指して一度機械化してしまえば、そこで途絶えてしまうのだもの、もったいないと思った。

 お話してくださった参事も実は15年くらい競り人を務めていたという。競り人になることが決まったときは、車を運転しながら競り口調を練習し、場数を踏みながら値付けする目を養っていったのだそうだ。大柄な方だし、きっと迫力があったでしょうね。見てみたかったなあ。

 組合長も生粋の漁師で、男前な方だった。地域全体を活性化しながら、水産収益を上げて、うたり競りは何とか残していく方向で考えているようでした。

 あの競りは、写真だけでは伝わらないのが残念(写真もないけど)。競り人が手カギを叩く音、値を告げる独特な符丁、思い出すとわくわくする。音源だけでも取ってくればよかった。

 仕事が詰まっていたので、帰りはそそくさと新幹線に乗ってしまったけれど、「せめて」ということで遅いお昼ご飯のために、タコ壷を模した容器で有名な「明石ひっぱりだこ飯」を買い、車中で食べたのだった。

  
 やわらかく煮付けられた大きな明石タコが乗っていて、いつ食べても「美味しい駅弁だなあ」と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする