自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
Photo:「花ざかりの森」より
神宮の森
神宮の森は不思議だ
木々の枝という枝から
見えない手が伸びてきて
やわらかな陽だまりに
包まれたような
ぬくもりを感じる
ぴりぴりと冷えた冬の朝でも
ねっとりと蒸した夏の午後でも
わたしの中の癒える力を
だれかが後押ししてくれている
看取り
そこにたどり着くには
長い階段をのぼらなければならなかった
途方もないときが過ぎたような気がする
一方で、一瞬のまばたきの間に
過ぎたような気もする
時計の針は指からこぼれ落ち
いま、ここにある肉体さえ
不透明に思えた
けれど
いくどもの深い呼吸の果てに
震える唇が謳ったものは
死への悼みではなく
生を全うしたいのちの営みの
うつくしさだった
こころ通わせた魂は
いつのときも寄り添いあえるから
生きたという刻印は
こころの中にあればいい
カレンダーをまた1枚めくって、早くも4月。今日は久々に自宅でゆったりした休日を過ごせる日。朝の散歩もたっぷりと時間を取って、のんびり河川敷を歩いた。
桜の名所・東京上野公園では、もう桜が開花したようだが、毎朝散歩に行く河川敷の桜はまだつぼみだった。
そういえば、2月に桜のつぼみを眺め、はっとして詩を書いたのでした。
冬の桜
葉を落とし
幹に力を蓄えて
冬をやり過ごし
二月ともなると
もう準備している
固く小さなつぼみを
寒風にさらして
きっと来る明日に
命をつなげようと
天を指す桜の枝、枝、枝
取り巻く環境の変化を
強くしなやかに受け入れて
一年にたった一度の晴れ舞台を
毎年必ず成功させる
その息吹の
確からしさに触れるとき
自然の営みの偉大さを
思い知らされる
冬の桜に
生命の在り方を教えたのは
いったい誰?
理不尽の裏側に
思わず瞼を閉じてしまうくらい
まぶしいほどに清らかな海面の
下のその下の
ずっと底の方で
小さな魚たちが住処とする珊瑚のように
時を忘れてただひっそりと
生きていたいと思うことがある
自信に満ちあふれ
あまりに雄々しく朗らかな人たちは
声なき声にも真実があることを
知ろうともしないから
私は不安になって
いく度も
鏡を覗き込む
たとえ
たくさんの強い声に
かき消されていったとしても
静かな信念はたしかに存在するのだ
詩誌『帆翔』第48号が刷り上がってきた。私は震災後に書いた詩を寄稿した。ドジョウ総理はTPP参加に意欲的のようだ。考えると恐ろしい。彼が大切にしたいものは何なのだろう。日本は落日のまま、ズタズタになってしまいやしないか。
「過ち」
明けない夜があることを知った
海に浮かぶ墓標が
やがて心にしまわれる日がくるだろうか
行き場をなくした何千という魂は
どこを彷徨っているのか
見えない塵が土壌を汚し
借りものである自然を
あるがままの営みを残したまま
子孫に返すことができなくなった私たち
沿岸に建ち並ぶ破壊された建物から
人が作りだしたにもかかわらず
人の手では葬り去ることができない異物が
放出されつづけている
たくさんの人々の弔いもできず
自然に対して大罪を犯したまま
それでも陽はのぼる
けれどいまだ闇は去らない
いつになったら
夜明けを喜べるのか
清澄な空気を
だれもが同じように
胸いっぱいに吸い込める日は
くるのだろうか
ブラジルの詩人アデマール・デ・パロスの詩「神われらと共に」。題名としては別名の「浜辺の足跡」の方が好きなので、タイトルにはそれを書きました。
私はクリスチャンではないけれど、この詩を読んだとき何か救われた気持ちになった。被災地の皆さんだけでなく、苦しい局面に立っている人たちに捧げたい。きっとだれかがいつも見守っていてくれる。ひとりじゃないということを思い出してほしいと思う。
夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。
ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。
立ち止まって後ろを振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。
ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないことに。
私の生涯が走馬灯のように思い出された。
なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。
苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。
そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。
「あなたは、日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に」
ところが、主は私に答えて言われた。
「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」
『帆翔』第47号が刷り上がり、すでに発送も済んでいる頃と思う。小学館OBで、帆翔の会代表である岩井さんにおんぶに抱っこで20年余。編集や発送もすべて岩井さんに頼っている。
昭和4年生まれの岩井さんはさすがに息切れされている様子。「50号を区切りにしようか」という話も出ているが、前日お会いしたときには「やれるところまでやるか」とおっしゃてもいた。どうなるかなあ。
今回は久々に少年詩を掲載した。というか、現代詩が書けなかったからなんだけど。悪あがきなんだけど、谷川俊太郎×山田馨対談集『ぼくはこうやって詩を書いてきた』なんかを買って、奮い立とうとしているワタシ。ダメだなあ。
「水たまり」
知らぬ間に陽がさしていた
雨あがりの舗道
水たまりにうつる青い空
のぞきこめば
ゆっくりと白い雲が流れてゆく
ゆれているぼくの顔
よぼよぼのおじいさんのようだけど
ふと おとうさんに
似ていると思う
胸がキュンとする
大きな黒いドームのような
おとうさんの傘なら
空がとべると思っていた
幼稚園のころのぼく
とんでごらん
と 背中をおした
おとうさんの大きな手
水面のようにゆれた
おかあさんの笑顔
水たまりの中に
キラキラと光る
ふだんとはちがう世界が
ひそんでいた
今ぼくは
まっすぐあるいているよ
現代詩誌『帆翔』46号が発行され、その合評で5日に開催された同人会は、まずお茶の水の山の上ホテルにある「新北京」での昼食から始まりました。
というと、たいそうな感じですが、帆翔の同人会は「合評」とか「開催」などという堅い漢語とはかけ離れた会合で、小学館で学術書の編集に携わっていた岩井さんや時代小説家の赤木さんの、歴史の生き証人としてのお話は面白くて、時間がたつのを忘れます。
美味しいものを食べてから、小学館のOB会事務局の部屋に移動して、詩誌に寄せられた読後感が書かれた手紙を読んだり、テーマもなく歓談をします。他愛ないことのようですが、いつもずっしりと豊かな時間が流れます。
『帆翔』46号に掲載した詩です。
土手道の朝
犬と歩く河川敷の土手道で
毎朝
何人もの人とあいさつをする
おはようございます
おはよう
おはようございます
どこに住み
何をしている人かも知らないけれど
一日の産声のようなあいさつを交わす
犬を散歩させている人も
健康のために歩いている人も
顔なじみの人も
初めて会う人も
おはようございます
おはよう
おはようございます
広い川面や草むらに
朝の光がふりそそぎ
新しい命を迎えるような
わくわくした気持ちになる
そんな風景の中で交わす
朝のあいさつは
人のおかげで自分があるという
当たり前だけれど温かい
祈りにも似た気づきを
与えてくれる
こんなふうに、犬の飼い主さんたちとも言葉を交わしてきました。ダン吉君の飼い主さんとも。
ダン吉君が亡くなったことで、ナガイケさんはもう河川敷へは来なくなるでしょう。一人、朝の挨拶を交わす人が減ってしまうのは淋しいことだな。
同人誌『帆翔』45号が届きました。前号の発行からだいぶ経っていますが、同人も減り、気の置けない仲間しか残っていないので、あくせくせずのんびり発行している由。
なにしろ編集長の岩井さんは昭和3年のお生まれ。体調と相談しながら、編集作業を進めているようです。
今号に掲載した私の詩を読んで、昭和4年生まれだかの大先輩の女流詩人の方から、「石原吉郎の詩みたいで、よかったわよ」と電話があり、ちょっと嬉しかった。
輪ゴム
ささやかな夕餉の
総菜のパックを止めている輪ゴムが
人差し指にぶら下がっている
あくまでも輪ゴムは
無口なのだけど
わたしは その在り方に
小さく感動していた
使われて 使われて
カサカサになって切れるまで
小さなひとつの輪であろうとする
意志を全うする在り方
確かに
伸び切った輪ゴムはだらしない
それでも
ひとつの輪であることには違いない
輪ゴムはいつまでも
輪でなくてはならないのだ
自由に伸び縮みする心
こう在り続けようとする意志
カサカサになって切れるまで
輪ゴムの在り方を生きたい