小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

ねこのうた・犬のうた

2014-07-31 | 犬&猫との暮らし
 NHKは「何やっとるか!」と思うことはしばしばだけど、Eテレの「0655」と「2355」は好きで、つい観てしまう。

 そのタイトルどおり6時55分、23時55分からの、たった5分間の番組。特に「0655」を欠かさず観てしまうのは、「ねこのうた」「犬のうた」が実にほのぼのしていて、よいからです。

 投稿された飼い犬、飼い猫の写真とともに、それがメス猫、メス犬なら「わたし、ねこ」「わたし、犬、いぬ」の歌が流れ、オス猫、オス犬なら「おれ、ねこ」「わが輩は犬」の歌が流れるのだけど、飼い主と一緒に写っている写真の時に流れる歌詞がいいのだ。

 自分はねこ(犬)だから、人の言葉は分からないけれど、自分はねこ(犬)だけど、飼い主の気持ちはなぜかよく分かる~という内容の歌詞が流れ、犬猫が飼い主と添い寝している姿なんかが大写しになると「ああ、こんなに可愛がってもらって、こんなに可愛がることができて、犬も猫も飼い主もなんて幸せなんだろう」と、朝からしみじみしてしまうのだ。

 同時に、犬や猫と人はこんなに安らげる関係を結べるのに、なんで辛い目に遭わなければいけない犬猫がいるのだろうと切なくもなるのだ。

 いつもは犬か猫1匹しか紹介されないのだけど、今週は「犬のうた」「ねこのうた」スペシャルウィークらしく、毎日いろいろなバージョンの投稿作品が数編紹介されるので、楽しみにしている。

 犬猫の歌のほかには、ブラックマヨネーズがおばちゃんの格好をして歌う「電車で化粧はやめなはれ」もお気に入り。これ、爆笑ものです。
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土用の丑の日だから

2014-07-29 | つぶやき
 朝刊に折り込まれていたスーパーのチラシのすべてに、「うなぎ」の文字が躍っていた。土用の丑の日だからね。

 ニホンウナギは『レッドリスト』に絶滅危惧種として掲載されてしまい、完全養殖への期待がさらに高まっているようだけど、数年前、うなぎの養殖研究に携わっている方が「完全養殖を叶えるために研究費をつぎ込むのもいいけれど、河口堰を取り壊すことも考えたほうがいいのではないか」とぼそっとつぶやいていたことを思い出した。

 地中海一帯でマグロの幼魚をごっそり捕獲して蓄養したほとんどが日本に輸出されることを揶揄し、「海外では『日本人の胃袋が世界の水産物を食い尽くす』と言われているのだ」と、水産庁の方が言っていたことも思い出される。

 何でもかんでも安く大量に消費しよう、消費させようとせずに、希少なものは高価なのは当然なことで、それならそれを年に数回のご褒美として食べる程度でいいのではないかしらね。天然資源には限りがあるのだから。

 
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水辺が恋しい季節

2014-07-26 | つぶやき
 最高気温が35℃などという日が当たり前のように続いているけれど、「ただ暑い」ではなくて、私がきちんと「気温の高低」が分かるような年になった頃は(昭和40年代のお話ですね)、気温が30℃度を超えると、日本中が「もう大変!」という感じだった。

 それが近年は「30℃」なんて別に驚く気温じゃなくてって、日が昇り始めると途端にぐんぐん気温が上昇し、「今朝はすでに30℃を指しています」などとニュースで言っている。

 そんな中、庭の片づけを始めたら、もう大量の汗をかいた。

 マンションの正面玄関は道路から少し高い位置にあり、エントランスホールに行くには階段とその脇にあるスロープを利用することになる。このスロープはちょっと勾配が急で、車椅子や荷物を載せた台車の上り下りには、かなり難儀をするのだ。晩年ブナもこのスロープでたびたび立ち往生していたものである。

 ちょうどうちのマンションは外壁の修繕をする時期でもあることから、併せて勾配の緩やかなスロープに作り変えることになった。8月から工事のための足場が組まれることが決まり、そのために庭にある植木鉢やテラスの物置などを、すべてどかさなくてはいけなくなったのだ。こりゃ、大変。

 そういうことがあり得ることも考えずに植木を増やし、どうしたものかと悩ましい。植木鉢の半分は実家に、半分は妹が借りている事務所の前に置いてもらうにしても、運び出すのもよいじゃない。

 しかも裏庭にはカヌーを置きっぱなしにしていた。ダガーのホワイトウォーター用のシングル艇。

 実はこれは、兄が知人から貰い受けたもので、当時、実家に置く場所ないということで置いてあげていたのだ。いつか機会があれば、私も乗ってみたという気がなかったわけでもないが、多分私のスキルでは乗りこなせなかったろう。

 庭の私物は工事期間中、とりあえず撤去しなくてはいけないので、午前中にカヌーを運び出すことになり、兄が来る前に一人でズリズリと裏庭から引っ張り出してきたのであった。


 ちょっと動くだけで、汗がポタポタ落ちてくる。久しぶりにカヌーに触ったら、なんだかワクワクしてしまった。水辺が恋しくなってきた。
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何とかしなくちゃいけないのは

2014-07-19 | つぶやき
 19日未明に、福島第一原発5号機の使用済み燃料プール近くの床下に、汚染水約100リットルが溜まっているのが見つかり、採取して分析した結果、コバルト60などが検出されたというではありませんか。相変わらず汚染水は漏れ続けているのだ。台風や豪雨のたびにドキドキする。 

 
 先日は南相馬の25年度産のお米から国の基準値を超える放射性セシウムが検出され、福一のがれき撤去作業との関係が取り沙汰されている。「全量廃棄」するって、希望を持って生産を再開した農家さんはどれだけ辛いか。

 安倍さん、「川内、なんとかしますよ」じゃなくて、まず何とかしなくちゃいけないのは福一のほうです。
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「それでも明日に夢を見る」田中優さんのメルマガより

2014-07-17 | つぶやき
 以前、長野県の家具職人の方にお話を聞く機会があった。今日の配信された田中優さんのメルマガを読んで、その家具職人さんがそれぞれの樹木の性質を熟知していることに驚き、感銘を受けたことを思い出した。

 日本ホリスティック医学協会の会報の仕事で私が一番初めにさせていただいた仕事が、中部支部が開催した田中優さんの講演録をまとめるというものだった。それ以来、田中さんのメルマガを読ませていただいている。

 森や樹木と向き合う人たちの生活には、私たちとは違う時間が流れている。田中さんのメルマガは“転送転載大歓迎”ということなので、素晴らしいなと思った箇所をここに転載させていただこうと思う。

「それでも明日に夢を見る」http://www.mag2.com/m/0000251633.htmlより

 先日山口県に講演に招かれ、主催者にぜひ会って欲しいという人とお会いした。森の再生や木材の活用の話をしたのだが、その人の年齢に驚く。94歳なのだ。それなのに耳の衰えもなく、新聞も裸眼でそのまま読むそうだし、驚いたのはぼくの本を渡されて、面白くて一晩で読み終えたというのだ。
 お名前は木村菊人さんという。

 驚くのはさらにインターネットやフェイスブックまで利用し、友人が山口周辺が大雨・洪水に遭った時に「大丈夫でしたか?」と聞くと、「ルーターが壊れてしまったので買いに行かなくちゃならない」と言っていたそうだ。「ルーター」という言葉が出てくるところが驚きだ。

 菊人さんの家に訪ねると、ヒノキの一枚板で作った日本地図のパズルを見せてもらった。精密にできていてとても面白い。思わず買ってしまった。
 それも作っているのだという。ちょうどネムノキが可憐な花をつける時期で、菊人さんは「虫がつきにくい木なんだが、まっすぐ育たないから」と言っていた。

 菊人さん自身が林業に携わり、生計の中心だった30年間を竹で暮らしたという。三か所の竹林を持ち、年に一か所ずつ刈っては売って生計を立てたという。最も大きな販売先は、海苔の養殖場に立てる竹だったという。

 家の近くには一時は2000万円の値がついたというケヤキの巨木があった。スギ・ヒノキだけでない森を育てている。

 林業者の時間は普通の人と違う。森が再生する時間は50年から100年だから、自分が植えた木が自分の収入につながることはまずないからだ。

 菊人さんが一番興味を持っていたのが木材の「低温乾燥炉」の話だった。ぼくの友人が開発してくれた低温乾燥炉は木材を傷めない低温で、しかも芯から乾かしてくれる。乾燥するまでの時間は従来の半分という優れものだ。

 菊人さんはそれを導入して地域の木材資源利用の起爆剤にしたいという。「これから先を考えると、新たな仕組みが必要なんだ。それによって地域の木材資源を活用できれば」とあくまで前向きなのだ。

 未来は誰にでもある。たとえ94歳であろうと、森を考える身からすれば自分の人生に終わりがあるとしても森に終わりはない。菊人さんは自分の生き死によりもずっと先を見ながら生きているのだ。

 こうした生き方をしたいと思った。

 人々は簡単に「その頃には生きていないから」とか「もう歳だから」と言う。人々はもっとつながりに責任を持った方がいい。人は一人という単位で存在するのではない。連綿と続いていく人の営為の間で、次のランナーにバトンを渡す存在なのだ。一人の死生観では自分が死ねばおしまいかもしれない。でももし主としてのヒトがその始まりから終わりまでの存在だとしたらどうなるだろう。

 森の仕事を手伝うようになってから、ヒトを単なる生物の一生として捉えるのは誤りのように思えてきた。次の時代につなげられなければ森を生かすことなどできない。それなのに人々が「自分の一生」ばかり大事にしていたのでは解決できない。

 ぼくは生物の種としてのヒトの、ごく一部のつなぎ役として生きられればいいと思う。逆説的だがそう考えたとき、明日に夢を見ることが許される気がするのだ。菊人さんの思いを実現したいと思う。可能なら菊人さんがご存命の間に。しかしそうでなかったとしても知り合えたことで、明日につなげられる思いを得た。

 生き方として「それでも明日に夢を見る」ことに敬意を覚えるのだ。
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詩「自分の感受性くらい」

2014-07-12 | 
 何となくしゃんとしないとき、自分に喝を入れるために読む、大好きな茨木のり子さんの詩。

 自分の感受性くらい

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ
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犬の眼差し

2014-07-12 | 犬&猫との暮らし
 なぜだろう、無性に会いたくなるのはたいていクリなのだ。車の運転中に思い出すのは、いつもクリのことだ。心の琴線に触れる曲がかかると晩年のクリを思い出し、声に出してクリの名を呼んでしまう。何度も名を呼びながら「会いたい」と連呼して、しゃくりあげることになるのだ。

 3頭の中で最後に看取ったのがクリだから? どうもそれだけではなさそうである。

 クリは幼犬の頃から心身にいろいろ問題を抱えていたので一番手がかかり、何かと世話を焼くことになったけれど、その分クリの私への忠誠心が大きくなったように思う。
 まるでストーカーのように付きまとい、必ず私の行動を目で追っていた。私は常にクリの眼差しを感じていたのだった。

 前に、犬をなでたり触ったりすると、人間と犬双方の脳内で「絆ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンの分泌量が増加することが分かってきており、それがお互いの関係性を深め、幸福感につながっているのだろうと書いたけれど、触れ合うことの効用のほかにも、興味深い実験結果がある。

 それが、麻布大学伴侶動物研究室のチームによる実験によって「犬が飼い主を“注視”したとき、飼い主が犬の視線に気づき、それをきっかけにやり取りが多くできるペア(飼い主と犬)ほど、両者の尿中オキシトシン濃度が上昇する」ことが分かったというものだ。

 犬は人からのシグナルを読み取る能力を持っている。この能力は狼にもチンパンジーにもないそうで、犬はこの能力を家畜化される過程で身につけたのだという。
 そして、人からのシグナルを読み取ろうとする際に犬がする行為が「注視」であり、注視は犬特有な行動なのだそうだ。

 絶えず注がれるクリの視線と目が合うと、私は何かと言葉をかけてきた。仕事中や散歩中なら、ただうなずくだけのこともあれば、エサの準備をしている最中であれば、当然次にするのはエサやりだし、なでる・さするという行為の前にも視線のやり取りが当然あるわけで、それはクリだけに限らないことだけれど、トチとブナに比べるとクリからの注視が圧倒的に多かったと思う。

 

 それだけクリは私からのシグナルを気にしていたのだ。自立できていなかったとも言えるが、私をボスだと認めて頼りにしていたのだ。

 私は犬たちの眼差しに癒され、支えられてきたんだなと改めて思う。尿中オキシトシン濃度は上がりっぱなしだったに違いない。あの眼差しによって私は自己肯定してこれたのだと思う。

 寝たきりになっても、何とか体勢を変えて、私のほうに顔を向けていたクリ。見える方の目をこちらに向けて、私からのシグナルをじっと待っていたクリ。そういう一瞬一瞬の眼差しを思い出すと、ふなっしーじゃないけれど「涙ブッシャー」である。

 私はきっとクリのあの眼差しを欲しているのだ。私がときどき淋しくなるのは、そんな眼差しが感じられないからなんだと思う。黒犬たちと違って、カヤとは眼差しによる交信ができないから。

 でも、カヤだって歯がゆいに違いないのだ。犬が持っているせっかくの能力を生かせないのだもの。

 注視はしてもらえないけれど、カヤはクリと同じように、家の中では私の行く所、行く所にくっついていくる。カヤは嗅覚や触覚を使って私の存在を確かめ、私からのシグナルを感じようとしているのだ。私もそれに応えていかなくちゃね。 
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ペットショップでの生体販売はやめる方向で

2014-07-11 | 犬&猫との暮らし
 犬や猫とともに暮らしたいのであれば、ペットショップからではなく保健所や保護施設から引き取る制度を作ってほしいと訴える、こんなキャンペーンがあります。

 カヤのような繁殖犬や保護犬を減らし、殺処分回避のためにもペットショップにおける生体販売を見直したほうがよいと考えている方がいたら、ぜひ目を通してみてください。

 「ペットショップでの犬猫の販売を禁止し、新しく飼う際には保健所や保護センターなどから引き取る制度を作ってほしい」

 以下のキャンペーンのリンクからネット上で署名ができる仕組みになっています。

 http://www.change.org/ja/キャンペーン/環境省-環境大臣および環境副大臣-ペットショップでの犬猫の販売を禁止し-新しく飼う際には保健所や保護センターなどから引き取る制度を作ってほしい-殺処分反対-動物愛護?recruiter=83849560&utm_campaign=signature_receipt&utm_medium=email&utm_source=share_petition 



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レジオネラ菌のせいで

2014-07-11 | つぶやき
 台風が去った途端に猛暑日。秋の台風一過のような清々しさはありませんね。

 ここ3週間ばかり太極拳のお稽古はお休み。というのもエクササイズルームがある市のスポーツ施設が休館しているからだ。

 6月下旬に施設内のリハビリプールほか数カ所で、基準値を超えるレジオネラ菌が検出され、当面全施設の利用が中止されることになったのである。

 レジオネラ菌は土の中や池、川、湖沼など、自然環境の中に普通に常在する菌なのだけど、例えば温浴施設とかプールとか、人工的に水を利用している施設や設備などで殺菌消毒が行き届いていない場合に繁殖しやすいらしい。

 抵抗力がある健康体の場合は、レジオネラ菌を肺に吸い込んでも肺炎を発症する確率はわずか数%らしいのだけど、抵抗力のない病人や高齢者、子どもなどが感染すると死に至る例もあり、楽観できないそうなのだ。

 で、件のスポーツ施設もしばらく休館。いつ再開されるのかしら。せっかく一連の型を再習得できそうだったのに……。カラダがなまってきた。

 昨日、兄と話していて、彼が「50歳を過ぎると、疲労の回復力が格段に低下するよ。からだを作っているのは食い物だから、もっと食い物に注意を払わなきゃダメだと思った」と言っていた。そのとおりだよ、兄。「食」の内容、食材の良し悪しは大事です。

 そして「若いときは体調が悪くても酒が飲めたけど、今、酒を飲みたくないと思う日があるんだ」とも。私は「酒を飲みたくない日があるなんて、それはよくないね。おいしく食べれて、おいしく飲める。それでこそ抵抗力がつくのです!」と高らかに言って、兄にちょっと引かれたのだった。

 まあ、いずれにしても日頃からレジオネラ菌にも負けない抵抗力は身につけておかなくてはね。
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詩「祈り」

2014-07-09 | 
 祈り

 手のひらにおさまるほど小さな
 赤ちゃんの靴下が片方
 道ばたに落ちていた

 今この靴下をはいている足が
 しっかりと立って
 ころばずに走りまわるころ
 どこかの国で
 ひもじくて泣いている子どもたちは
 いなくなっているだろうか

 今この靴下をはいている足が
 大人の革靴をはくころ
 どこの国からも
 戦争はなくなっているだろうか

 今このとき
 この靴下をはいている子は
 お母さんの温かいお乳を
 飲んでいるかもしれない

 この子の平和がずっと続きますように
 片方の靴下を
 そっと垣根にかけて
 祈った
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薄目を開けて舌出して

2014-07-09 | 犬&猫との暮らし
 確かクリも眠っているときに、よく舌先を出していたけれど、カヤのようにこんなダラっと出してはいなかった。


 薄目は開けているし、ずいぶん舌も出しているので起きているのかと思ったら、そのうちイビキが聞こえてきた。完璧に寝入っていたのね。

 カヤはあまり夢を見ないようだ。眠っているときに黒犬たちのように、「キャン」とか「ワン」「ウゥ~」とか寝言を言ったり、走り回っているときのように手足を動かしたり、何か食べているかのようにクチャクチャ音を立てて口を動かすこともない。

 幼少期からほかの犬と遊んだりできず、こころに刻まれた経験が少ないからだろうか。せめて夢の中では走り回ってほしいのに。
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詩「だれがどこでなんのために」

2014-07-08 | 
 だれがどこで何のために

 あの子どもたちの
 目をくりぬいたのは
 だれがどこでつくった武器なのか

 あの子どもたちの
 手足をもぎ取ったのは
 だれがどこでつくった地雷なのか

 あの子どもたちの
 肌をただれさせたのは
 だれがどこでつくった化学兵器なのか

 恋人と見つめ合うはずだった目
 つなぎ合うためにあった手
 好きな人に駆け寄るための足
 ぬくもりを感じるはずの肌

 おとなたちは
 何がほしくて武器をつくるのか
 つぶれた目が
 ちぎれた手足が
 はがれ落ちた皮膚が
 問いかけている

 だれがどこで
 何のために武器をつくり
 罪もない子どもたちが殺されていくのか

 つぶれた目が
 ちぎれた手足が
 はがれ落ちた皮膚が
 叫ぶ
 武力によって維持される平和など
 どこにもないことを
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架空記事はダメでしょ

2014-07-08 | つぶやき
 ある男性ファッション誌で、実際には寄稿がなかった作家の架空記事を掲載したことが発覚し、記事を書いた編集者が懲戒解雇処分になったというニュースが流れたけれど、何だろう、このような編集者の質の低下は。

 電話取材という指示だったので、電話取材しかしていない私の原稿に、編集者がさも現地取材したような文言を入れ、被取材者が言ってもいないことを書き加えてきた。
 不愉快なので訂正を申し入れているところなんだけど、この編集者はどこに良心を置き忘れてきたのだろう。保身? いったい誰の為に、何の為に媒体を作っているんだ?
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有意義だったグリーフケア講座

2014-07-05 | つぶやき
 7月3日で上智大学グリーフケア研究所主催の春期グリーフケア講座全10回の講義が終わった。多彩な講師陣で、講義を聞かなかったら出会わなかった書籍ともたくさん出会え、とても勉強になった。

 上智大学哲学科の大橋容一郎教授の講義では、難解なキルケゴールの文章と久々に再開して頭を抱え、京都大学こころの未来研究所の鎌田東二教授の、鎮魂の書としての『古事記』の解説や神と仏の原理的差異についての説明は目からウロコだった。
 鎌田先生は神道ソングライターとしても活動しており、それだけでも実にユニークだと思ったのに、講義の最後に石笛や横笛、ほら貝まで吹いてくれたのにはびっくりした。

 聖路加国際病院の小児科医として、子どものがん治療に長く携わってきた細谷亮太先生の、子どもの死とその尊厳にまつわるお話には胸を打たれ、『上を向いて歩こう』の作詞者であり、早稲田大学名誉教授である木村利人先生からは、日本で生まれた新しい学問「バイオエシックス(生命倫理)」について教わった。

 木村先生が言った「私たちは苦しみや悲しみを乗り越えて、この世の中で生きていくことを『許されている』のです」という言葉が心に残った。そう、私たちは生きていくことを許されているのだね。

 そして、最終日の講師は細川佳代子さんだった。細川護煕元首相の奥様といえば知っている人も多いかもしれないけれど、私はすぐにはピンとこなかった。

 けれど、知的障がいを持つ人たちのためのオリンピック「スペシャルオリンピックス」を日本で開催するために奔走してきたその熱意には並々ならぬものがあり、23年にわたる活動の中で体験した数々のエピソードにみな時間を忘れて聞き入っていた。

 現在でも細川さんは「障がいのある人も含め、すべての人がその人らしく暮らせる社会」の実現を目指して、さまざまな活動やイベントを行っているそうで、写真はそのパンフ。「興味のある方はぜひ“NPO法人ゆうきのつばさ”のホームページをのぞいてください」とのことだった。


 勇気の翼かぁ……。とりあえず「これ!」と思ったら、一歩踏み出すことは大事かな。この講座にも参加して本当によかったと思えるもの。
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吉田類さんにお会いして

2014-07-04 | つぶやき
 BSで放映されている「酒場放浪記」の主役、吉田類さんの講演に行くことになった。

 実家の母や兄などもその番組をよく見ているらしく、いつだったか兄の家で、ふいにテレビに番組の予告が流れた際、4歳の甥っ子が「なんで、この時間に吉田さんが出ているんだよぅ~」と言ったので、爆笑してしまった。
 彼がよく知っている、なじみの人を呼ぶように「吉田さん」と「さん」付けで呼んだのが、とても可愛くて、おかしかったのだ。

 私は「番組は見たことはある」といった程度の視聴者で、その「吉田さん」についてもそれほどよく知らなかったのだけど、彼が画家として活動後イラストレーターに転身し、旅とアウトドアをこよなく愛する、才長けた人であることは、この講演で初めて知った。酒場詩人かぁ、いいねえ。

 吉田さんの俳句も味があるけれど、彼が描くイラストは思いのほかステキだった。

 会場を見回すと吉田さんのファン層は実に幅広く、老若男女が集っており、顔見知りのファン同士「久しぶり~」なんて、挨拶を交わしていた。「吉田さんのメガネに憧れています」などという男性もいたりして、私にとっては日常とかけ離れた面白い世界だった。


 講演後には一緒に写真を撮ってくれるというので、せっかくだからお願いし、会場で販売されていた新刊『旅と酒場俳句』を兄のために買ったら、サインまでしてくれた。吉田さんは気さくでサービス精神旺盛な方なのであった。


 吉田さんと2人で撮っている写真は、甥っ子に「ほら、吉田んさんだよ」と言って見せてあげよう。今度はなんて言うかな、甥っ子の反応が楽しみ~。
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