小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

グレードアップしたボッチの新居

2014-06-29 | 犬&猫との暮らし
 ボッチは夜中に絶叫するし、排便もたいてい夜中。排便したらしたで、身軽になってうれしいのか、部屋中走り回わる。そのうえ巨大結腸症のためキレが悪いらしく、床にお尻をこすり付けては、またバタバタと走り回る。

 なので、深酒をして爆睡していない限り、日々私の安眠は妨げられることになる。ボッチには「なんとかしてくれ」と言いたい。正直、犬たちより世話が焼ける。

 実際、ときどきそのように申し入れているが、聞く耳もたず。というか、「ボッチ~、うるさいよ~」と嘆いても、こちらも絶叫するくらいの勢いじゃないと、耳が遠いのでボッチには聞こえないらしい。

 それでも最近、なんだか妙に甘えて、まとわりついてくるので、それも受け取ってあげねばと思う。

 ボッチのダンボールハウスの上にくっ付けた爪とぎが、かなり汚れてきたので、思い切って(というほどの額でもないが)新築してあげることにした。

 今度の家は木造一戸建て。ダンボールハウスよりグレードアップしたのである。屋根に今までどおり2種類の爪とぎを設置してあげた。


新居でドヤ顔

仲間意識を示すように、カヤの水皿から水を飲み、

しばし瞑想するぼっち

 今のところ特別療法食によって、かろうじて糞詰まりは回避できているけれど、ボッチももう9歳。ボッチの老後の体調の変化が一番心配だ。
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猛烈な雷雨

2014-06-26 | つぶやき
 昨日の雷雨はもの凄かった。台風とも、また少し異なる降り方だったように思う。

 埼玉県和光市では、東上線高架下の坂道で車3台が水没したというニュースが流れたけれど、私はあのようになる約20分前にちょうどそこを通ったのだった。

 そのとき既に激しい雷とワイパーも効かぬほど猛烈な雨が降っていて、高架下の道にも水が溜まり始めていた。高架を抜けた辺りに信号があり、赤で高架下に停車することになったら、マズイなと思った。

 朝霞市内にも1カ所、高架下の道路で水が溜まりやすいところがある。そこは私が動物病院に通う道なのだけど、集中豪雨の際には要注意道路なのだ。やはり昨日はそこにも、あっという間に大量の雨水が溜まり、通行不能な状態になっていた。

 ザバザバと音を立てて降り続くゲリラ豪雨の中、川のようになった道路を慎重に走りながら、やっとの思いで駐車場にたどり着いたはいいが、バリバリと頭上で鳴り響く雷と稲光、横殴りの暴風雨で車から出られず、40分くらい車の中で待機することになった。だって、むやみに外に出て、雷に打たれるのはイヤだもの。

 帰宅して庭を見たら、チェリーセージが豪雨に耐えられずに倒れこみ、痛々しい姿になっていたのだった。いや~、本当に凄かった。


 一昨日は東京都内で雹が降り、これまたあっという間に路面を覆い尽くしたし、「記録的」なことが続いたこの数日。気象現象については、あまり激烈な記録を更新してくれなくてもいいのだけど。この夏もちょっと心配だ。
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伴侶動物へのハンドケア

2014-06-24 | 犬&猫との暮らし
 日本ホリスティック医学協会の次号会報は、身体心理学者である山口創先生の「手の治癒力」の講演録を柱にタッチケアを特集することになり、伴侶動物のケアについては、私がまとめることを依頼された。

 そこで書棚にあるペットのボディケアの本を引っ張り出してみたら、まあ、さまざまなジャンルのケアガイドブックが発行されていて、改めてその広がりに感心させられたのだった。

 フォックス博士の『犬マッサージ』と松江先生の『バランス・ドックマッサージ』は、日常的なテキストのようなものなので省くけれど、何冊か並べてみただけでもリフレから漢方薬、花療法、ツボ押しなどなど、実に多彩。

   

   


 私は、自分がやりやすく納得できる方法で、動物たちが嫌がらずに続けられるものなら、どのケア方法でもいいと思っている。

 特別なマッサージをしなくても、動物たちは体に触れられたり、さすられたりすることで、動物たちの体内で脳内分泌物質「オキシトシン」の量が増加することが、国内外の大学や研究機関における実験によって証明されている。

 オキシトシンは人間でも動物でも陣痛促進剤に使われるホルモンであり、産後は母乳を押し出す働きをするためにたくさん分泌されるのだけど、出産や母子の絆に関係するだけでなく、オキシトシンには相手を信用したり、共感したりする作用があること、さらにストレスを軽減する働きがあることも報告されている。

 動物をなでたり触ったりすると、人の脳内でもオキシトシンの分泌量が増加することが判明している。ということは、なでる人間もなでられる動物も、お互いに気持ちを寄せ合い、リラックスできるというわけですね。

 アンドリュー・ワイル博士も『ナチュラルヘルス』の中で
「ペットを飼っている人は飼っていない人より、病気にかかりにくいということを裏づける研究はたくさんある。飼っている人は重症の病気になっても治りが早いというデータも出ている」
 と語っているくらいなので、動物とともに暮らし、慈しみ合いながら触れ合う機会をもつことは、人にもペットにも非常によいことなのです。

 飼い犬や飼い猫にマッサージをしてあげることで、飼い主も癒されるのだから、こんなに簡単なセルフケアはないわね。
 カヤはマッサージ好きらしく、すぐにうっとりするので、とてもやり甲斐があります。

 
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無事に戸外で冬越し

2014-06-22 | 植物
 昨年の夏、立ち寄った園芸店で真っ赤なサンパラソルを見たときに、真夏の直射日光に映える情熱的なその色にドキッとし、猛暑にも負けない風情が頼もしくて、つい買ってしまったのだった。

 ギンギラの日光を味方につけて、秋口まで花を楽しむことができたけれど、サンパラソルの育て方などを調べると、「亜熱帯性の植物なので、戸外での越冬は困難です」とか「冬は室内で管理しましょう」とか、極めつけは「春から秋にかけて楽しんだあとは消えるものと思っていたほうが気楽」などと書いてあった。

 けれど、鉢物を室内に入れると、ボッチが葉っぱを食いちぎり、土をほじくり返すのである。切り花を活けた花瓶も、ボッチが届くところに置くのは危険なのだ。仕方なく期待半分、諦め半分で、花が終わったサンパラソルにはテラスで冬を越してもらうことにしたのだった。

 なるべく風雨にさらされない日当たりのよい場所に置いてはみたが、冬が来て年を越すと、最低でも必要だと書かれていた10度を下回る日も多かったし、かなり雪も降った。

 にもかかわらず、サンパラソルは常緑のまま、無事に戸外で越冬してくれたのだった。エライ、エライ。


 今日のような、ぼんやりした薄陽の雨模様の日には、真っ赤な色がくどいほどに見えるけれど、「よくまあ、ご無事で」と思いながら愛でている。

 ネットなどにある「○○の育て方」というものは、もしかしたら、ある園芸家さんが何年も前に書いた書籍か何かから、流用もしくはリライトし回して掲載されていて、とっくに改良品種が出回っていれば、書かれていることとは違う現象も起こり得るし、植物にも当然個性があろうから、子育て同様マニュアル通りではないことも、ままあるのでしょう。

 もうひとつ、やはり「越冬は室内で。霜に当たると枯れてしまいます」と注意されていたペラルゴニウムも、戸外で越冬。霜に当たり、早春には枯れ果てた茎をさらしていたのに見事に蘇り、鮮やかな濃いピンクの花を咲かせた。


 ペラルゴニウムは挿し木でもどんどん増やせるので、意外と強い植物なのではないかな。
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カヤが来て丸1年

2014-06-21 | 犬&猫との暮らし
 今日でカヤがうちにやって来て丸1年経つことになる。引き取った日をカヤの誕生日にしたので、カヤは今日で9歳になった。  


 カヤとの出会いをきっかけに、拝金主義の繁殖業者の存在や遺棄される犬や猫の現状を知ることになった。Twitterなどを見ていると、全国の動物収容施設に引き取られた犬や猫たちの救出依頼が後を絶たないし、殺処分を実行する保健所も猛烈に非難されている。

 安楽ではない無意味な処分、ああ、処分などという人間側の身勝手な言い方もおぞましいですね。そうした非情な行為が一日も早くなくなることを願ってやまない。

 けれど、血の通わないやり方でペットを生産し続ける繁殖業者や、殺処分数が減らないのはなぜかと考えたら、その大元とはまでは言わないけれど、いのちのある犬や猫を安値で安易に買い取っては終生面倒を見ない飼い主や、一度はともに暮らしたペットを簡単に手放してしまう飼い主が多いことが、明らかにその一因だと思うのだ。

  ペットショップのチラシで「特価0円」というのを見たことがあるけど、そりゃあ、ないだろと思った。“ただ”の売り物(生き物なのに!)にも値札をつけるやり方に胸やけがした。すなおに「里親募集中」と書いたほうが、まだ気持ちが救われる。

 犬種や猫種にブームがある国なんて、おかしいと思っているが、今がペット産業やペットを取り巻く社会環境が改善されていく過渡期だと思いたいな。

 ところで、カヤ、ここでの暮らしに慣れたかい? 安心して暮らしているかな? 寝起きのカヤのボサボサ顔、私は好きだよ。


 今日は同居1周年の記念日であり、誕生日だから、カヤの夕ご飯は普段より豪華な内容にしてあげ、私はビールで乾杯(これは単に便乗)するのであります。

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この歯は繁殖犬の宿命?

2014-06-15 | 犬&猫との暮らし
 カヤの顔を正面からじいっと眺めてみると、口が曲がっているのが分かる。

 カヤを引き取ってから口の中をじっくり見たとき、あまりのひどさに思わず眉をひそめたのだった。こんなにひどい歯をした犬は、これまで見たことがなかったから。

 ペットショップ出のクリは乳児期の栄養状態が悪く、生え変わった歯がヤニっ歯のように茶色がかっていたが、晩年歯周病にはなったけれど、若いうちから、こんなにひどい状態ではなかった。 

 カヤの下口唇をぺろっとめくってみると、明らかに受け口だ。上下とも切歯が2本ずつ欠損していて、おまけに切歯も犬歯も健常な形ではないうえに、あっちこっち好き勝手な方向に生えているので、噛み合わせもへったくれもない。


 よく犬の年齢は切歯の摩耗状態から推定できるといわれている。カヤは里親会の人から「7~8歳」と聞いたので、引き取った日を8歳の誕生日にしたけれど、こんな歯では年齢の推定は不可能だろう。歯槽骨がとけているというか、歯の土台がしっかり形成されていないのだ。

 
 発情のたびに繰り返された乱暴な繁殖が、これほどまでに雌犬のからだを痛めつけるとは、カヤの摘出された卵巣や子宮、口腔内を見るまで実感できなかった。

 
 度重なる出産の影響で、歯が生え変わった後に抜け落ちてしまったのか、よくわからないのだが、子犬を産ませる道具としてしか犬を扱っていなかった繁殖業者が手放した親犬には、口腔内の状態がよくない子が多い。歯がない子、鍾乳石のように歯石が堆積してしまっている子、歯周病がひどく歯がグラグラの子……。

 手足の障害さえ放っておかれ、化膿した傷口が治りきらなくても帝王切開で子犬を取り出すようなことも平気でするのだから、口腔ケアなんて考えもしないのだろう。

 カヤもどの歯が分からないけれど、いずれ抜歯が必要になるかもしれない。歯だけは再生しないからなあ。尿漏れ対策同様、口腔内のケアももっと本格的にしていかないと。

 
 
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「死の体験旅行」というワークショップ

2014-06-12 | つぶやき
 先日、日本ホリスティック医学協会のAさんから、「お寺で行われるイベント情報を掲載している寺子屋ブッタというサイトで、面白そうなワークショップを見つけたので行きませんか」と誘われた。

 いつも代替療法関連のいろいろなことを教えてくれるし、中先生の気功セミナーに誘ってくれたのも彼女だから、二つ返事で「いいよ~」と私。
 それがなんと「死の体験旅行」と題されたワークショップだった。

 開催された場所は、西新宿にある浄音寺という浄土真宗本願寺派のお寺。ファシリテーターは浄土真宗倶生山なごみ庵の浦上哲也住職。お坊さんに対して、横文字で「ファシリテーター」というのもなんだか妙だけど、そう書いてあったので、そう書く。

 なんでもこのワークショップは、アメリカの牧師さんがホスピスに勤めるスタッフのために開発したもので、原題は「Death Simulation Game」。患者さんの苦しみや悲しみに寄り添い、死にゆく人たちにどのように向き合っていけばいいかを、自分に問いかけるためのメソッドだそうだ。

 内容を簡単に言うと、ある人が重い病気にかかって、やがていのちを終えていく物語を追体験し、その追体験を通して自分にとって何が本当に大切なものなのかを再確認するワークショップなのです。

 今後受講される方のために「詳細な内容は伝えないようにしてね」ということなので、この程度の説明しかできないのだけど、後半4人グループになって体験をシェアした後、全員が再確認した“最後に残った本当に大切なもの”が伝えられた。

 一番大切なものが、普段思いもかけずにいたものだったり、「やはりこれです」と揺るがない気持ちのままの人もいた。当然のことながらそれぞれに異なるバックボーンがあるわけで、それが一瞬映し出されるようで、とても興味深かった。

 参加者は20名。男女半々か、若干女性の方が多かったかな。私はこう見えて(どう見える?)人見知りをするし、「シェアする」とかグループで何かするということが苦手なので、大丈夫かなと心配だったが、終わってみればいい経験だったと思う。

 寺子屋ブッタが運営している「まちのお寺の学校」では、こうしたワークショップのほかに、お寺でヨガや日舞をやったり、写経をしたり、和ろうそくを作ったり、ジャズの生演奏をやったり、多彩な催しを行っているみたいですよ。




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青虫クンに差し上げます

2014-06-10 | つぶやき
 連日の雨で庭に出ずにいたら、キャベツの苗が無残な姿になっていた。

 近所の畑を借りて、有機栽培で野菜を作っている知り合いから、キャベツの苗をいただいた。うちの庭の土は質が悪いので「地植えでのキャベツの栽培は無理」と辞退したのだけど、「コンテナでも作れるわよ」と言って置いて行ったのだ。

 私にキャベツのコンテナ栽培は無理だろうなあと思っていたのだけど、一応、野菜栽培用の土を買ってきてコンテナに植えておいた。

 始めの頃はニームオイルを噴霧して、一応は気を付けていたのだけど、梅雨前にモンシロチョウがひらひら飛んできたのを見て、「やっぱり来たか」と思った。キャベツといえば、モンシロチョウの幼虫の大好物だもの。

 案の定、卵が産みつけられ、卵から孵った青虫クンたちは旺盛な食欲でもって、若い葉っぱを食べ尽くしていた。


 防虫に何が一番いい方法かといえば、やはり割り箸などを使って青虫を1匹ずつ捕まえることだそうで、「短時間で駆除したいのなら素手で取り除くのが効率的で効果的」だと、あるサイトに書いてあった。そ、それはちょっと……。

 きっとモンシロチョウがやってくる前に、防虫ネットで覆ってしまえばよかったのでしょうが、自分でキャベツが育てられる気がしなかったので、最初から対策がぬるかった。

 これだけ食べられてしまったのだから、もういい、キャベツの苗は青虫クンたちにあげます。

 こうなったら虫かごに入れて、サナギの観察しようかな。
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カヤのオシッコ臭

2014-06-10 | 犬&猫との暮らし
 雨続きで湿度が高く、室内もじと~、どよ~んとした感じ。それは毎年この時期には仕方のないことだけど、今年はこれまでとは違う犬臭が……。

 入居時にリフォームしなかったので、仕事部屋の床はずっと建築当初のまま絨毯敷き。ボケてしまったブナがオシッコをしてしまったこともあったけれど、亡くなるまで数回のことだったから、そのつど丁寧に拭き洗いをして乾かしてきたので、オシッコ臭が気になることはそれほどなかった。

 しかし、今年は梅雨に入って、カヤのオシッコ臭が鼻をつくようになった。

 カヤはうちに来た当初から尿漏れがあったけれど、トイレが定まるまでおむつをしていたので、あまり気にしていなかった。ところが、おむつをはずせるようになると、エサを食べている時にポタポタと垂らしたりと、やはり尋常じゃなかった。

 一般に言われている尿道筋の虚弱による尿道括約筋機能不全なんだろうけど、これが先天的なものなのかどうかは分からない。

 卵巣と子宮の摘出手術前から尿漏れしていたから、エストロゲンの不足による尿道括約筋機能不全かもしれない。子宮がボロボロになるまで子どもを産ませられたのだから、それはあり得ると思った。


昨年8月、エサを食べながらポタポタとオシッコを垂らしていた

 冷静にオシッコを垂らしている写真を撮っている場合じゃないのだけど、カヤの病歴が分からなかったので、主治医の酒井先生と今後の対処を話し合うためには、異変があるつど目に見える形で記録に残しておく必要があると思い、糞尿の状態から吐瀉物まで、慌ててすぐに片づけず、しかと観察し、記録してから片づけるようにしているのだ。

 さすがに今は何もせずに立っている時に、オシッコをポタポタ垂らすことはなくなった。それは、運動(ささやかな散歩だけど)するようになったり、食事の内容であったり、複合的な理由によるものと思う。

 ただ、トイレで用を足した後の切れの悪さは相変わらずだ。先生が言うには、オシッコをした後、膀胱は完全に空になってしまうわけではないらしい。それは人間も同じで、どれくらいの量かは分からないけれど、膀胱にはたえず尿があるらしいのだ。

 普通は正常に尿道括約筋が働いていれば、漏れ出てくることはないのだけど、カヤはその機能が低下しているんだな。


姪っ子のベビーベッドに敷いていた防水シーツは重宝している

 尿道括約筋の働きが万全じゃないから、何かの拍子にちょろっと出ちゃう。敷布や絨毯にそれが付くから、匂ってくるのだ。

 敷いているタオルやカバーはすぐに洗えるからいいけど、絨毯はねえ、お天気の良い日に大々的に洗浄しないといけないなあ。

 だからといって、切れの悪い“ちょろっと”のためだけに、四六時中カヤにおむつをさせるのは気が進まないのだ。尿漏れの改善策をもう少し積極的に検討してもいいかな、まだ先があることだし。とりあえず赤ちゃん用の防水シーツも何枚か買い足そう。

 絨毯や床の洗浄・消臭・除菌には、定番の「オレンジエックス」のほか、有用微生物群蘇生型消臭液という「デオバイオスマイル」や、ユーカリオイルが入った「ユーカリプタススプレー」を使っている。消臭に効くと聞いて作ったミョウバン液は、あまり効果がなかったような気がする。
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「法隆寺-祈りとかたち」展で

2014-06-07 | つぶやき
 先日、東京藝大美術館で開催されている「法隆寺-祈りとかたち」展を見に行った。

 

 なぜ「祈りとかたち」かというと、この展覧会が東日本大震災から3年、新潟県中越地震から10年を迎える節目の年に、復興を祈念して開催されるということと、法隆寺が聖徳太子の偉業を後世に伝え続けている祈りの場である、ということによる命名のようだった。

 展示物には聖徳太子に関わりのないものはひとつもなく、何百年という時を経てもなお、聖徳太子への畏敬の念を持ち続ける人々の思いに触れて、圧倒された。まさに“祈りのかたち”がそこにあった。

 除災や国家安穏を祈って造られた精緻な仏像や、色鮮やかな織物などの工芸品には目を奪われたが、一番印象に残ったのは、鈴木空如という仏画師の話だった。

 鈴木空如が模写した法隆寺金堂の原寸大の壁画を眺めている時に、知った空如の生涯。

 明治、大正、昭和を生きた仏画師・空如は、画壇とは一切関わりを持たず、後世に伝えるためにひたすら古い仏画を模写し続けたのだそうだ。

 生涯に5,000尊に及ぶ仏画を模写し、法隆寺金堂の壁画12面は原寸大で3度も模写しているという。5歳の愛娘を亡くし、悲嘆と貧しい暮らしの中で法隆寺に通い詰めた、その熱意はどこからきているのだろう。

 何に、どんな思いに突き動かされて、空如は仏画を模写し続けたのだろう。

 帰ってから、空如の写真を見る機会があった。信仰と清貧の仏画師と呼ばれる空如の表情は、どの写真も穏やかだけど、瞳には哀しみを湛えているように見える。選ばれた者の使命が宿る眼差しに胸揺すぶられ、空如の生涯に思いを馳せた。
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薦められた本『死との対面』

2014-06-06 | 
 大先輩の小説家のAさんから、
「直腸癌になったので、明日手術します。その手術で逝ってしまう恐れが万に一あるので、生還できたかどうかは、妻にお問い合わせください」
 という手紙を受け取ったのは、その手術の日だった。それが2月半ばのこと。

 以前「前立腺癌らしいんだけど、気にしない」などと言って、結局、克服してしまった方ではあるけれど、今回は直腸癌に加えて「心房細動と弁膜症という二大欠陥が見つかった」と書いてあり、直腸癌の告知も青天の霹靂なら、心臓疾患にも驚いてしまった。

 84歳という年齢からすれば、あることながら、心臓が苦しくなったなどという話は耳にしたこともなかった。相変わらず毎日犬の散歩に4~5キロは歩き、ゴルフにもせっせと通っている方なので、なんで急にそんなことに……と面食らった。

 その後、奥様ともなかなか連絡がつかず、本当にハラハラしたが、結果的には手術は長い時間がかかり、人工肛門を装着することになったものの、無事生還された。
 手紙に、勝浦市にある病院の住所や病室番号が書かれていたので、退院も間近であろう頃にお見舞いに行った。

 かなり痩せてしまっていたけれど、「オオタケさん、このざまだよ」などと大きな声で言いながら、ニコニコしていた。ああ、よかった。
「あんなお便りをもらって、本当にドキドキさせられました」
 となじると、
「いや~、悪い、悪い。でもね、今回のことで、僕は人生観が変わったよ。これからはどんどん東京に出て行くから、一緒に美味しいものを食べよう!」
 などと、こちらの目がまん丸になることをおっしゃる。

 Aさんの家は九十九里浜のほうなので、東京に出るにはかなり時間がかかるのに、すごいなあ、癌を人生観が変わる体験として捉え、84歳になっても良い意味でアグレッシブになるなんて。

 で、その時に薦められた本が、安岡章太郎著『死との対面 瞬間(とき)を生きる』だった。


 正直、すぐに言葉が出なかった。だって、生還できないかもしれないと、一時は死と向き合った人から、病院で告げられる題名にしては重かったんだもの。まあ、副題を見て、少し息継ぎができたけれど。

 でも、そこがAさんらしいところ。Aさんだからこそ、なのかもしれない。しかもこの本は、病室と同じ階にあるロビーの本棚に置いてあった1冊だったそうだ。偶然というか、必然というか。
「何気なく手に取って読んだら、とても面白いんだよ。いい本だから、オオタケさんもぜひ読みなさい」
 と言うのだ。

 帰宅後に注文して、すぐに読んだ。
 安岡さんは青年期に結核性脊椎カリエスを患い、痛みに耐えかねて、何度も自殺を考えたというが、
「自分はなんのために生きるとかそういうことではなくて、生きるという本能は、個人個人が意識できないところにあって、無意識のうちに体のあらゆる部分が生きようとしているんだな」
 と思い至る。

 いくら死のうと考えても、生きようとする本能がそれを許さなかったというのだ。軍隊経験や病によって死を間近に感じながらも、
「理性は僕らの行動を律するごく一部分にすぎず、大部分はほかのもので生きている。僕らの本能は、たいてい理性の利かないところに黙ってひっそりと棲んでいるのではないだろうか」
 と、生命力の不思議を綴るのである。きっとこういったことが、Aさんにも響いたのかもしれない。

 遠藤周作さんや吉行淳之介さんとの交流や、私が傾倒していた島尾敏雄さんの言葉も綴られていて、胸がきゅんとした。晩年、安岡さんはカトリックに入信する。遠藤さんも島尾さんもクリスチャンだ。

 遠藤さんの名作『沈黙』にも触れられていた。遠藤さんは、
「踏絵を踏んで、その良心の呵責に苦しむことも殉教だ。自分がどんなに弱い人間かを悟って、命長らえるために踏絵を踏む弱さを、神は許すに違いない」
 と言っていたそうだ。『沈黙』はカトリックの中でも評価が分かれ、場所によっては禁書になったというが、『沈黙』も再読したくなった。

 そういえば、Aさんが退院して1カ月余り経ってから、美味しい天ぷらを食べに行こうと名店に誘っていただき、その翌月には鰻を食べに行った。
 検査の結果、心房細動と弁膜症という二大欠陥は消え失せていたというのだ。端から誤診だったのかしら。そんなバカな。

 人工肛門もなんのそので「絶好調だよ、ゴルフも再開したし、自慢したくなるくらい」とおっしゃる。ひとつ齢を重ねて85歳になられた。85歳! そして、「今度はあの洋食屋のバターピラフを食べた後、カフェでゆっくり話をしよう!」ですって。脱帽である。
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『呼吸はだいじ』

2014-06-06 | 
 「生きる(いきる)」という言葉は「息(いき)」から派生したといわれているけれど、それは息をすること、つまり呼吸が生きるために必要不可欠な生命活動だからだ。

 その生きるために必要不可欠な呼吸を、私たちは普段、無意識にしている。
 無意識にしているけれど、動揺したり、怒りがこみあげたりして、ストレスが溜まってこころが乱れると、呼吸も乱れ、早く浅く、不規則になってしまう。ドキドキ、ハアハアというヤツですね。自分では気付かないかもしれないけれど、そうなっているのだ。

 逆に、こころが落ち着いていて平安な時は、深くて静かな呼吸をゆっくりとした一定のリズムで行っている。意識していないけど、おそらくそうでしょう。

 このように呼吸は、こころの状態と深く関わっているということが分かる。だから、「息」という漢字が「自」らの「心」と書くのだと教わった。なるほど。

 普段は無意識にしているけれど、呼吸を考える時に大事なことは、呼吸が消化器系や循環器系などの器官と異なり、唯一私たちが意識してコントロールすることができるという点です。

 気功や太極拳でも呼吸を大事にしているが、ヨガでは呼吸や気息を「プラーナ」と呼んで、とても重視している。
 プラーナは単に息を意味するのではなく、からだの内外に存在する生命エネルギー、宇宙のエネルギーと同一なものとみなしている。深い呼吸をすることは、生命エネルギーをからだの隅々にまで行き渡らせ、すべての細胞を活性化させ、本来の自分を覚醒させることにつながるとされているのだ。

 そんな呼吸に「注目!」と言っているのが、帯津良一先生著『呼吸はだいじ』である。これまでも帯津先生は呼吸に関する本を出しているが、これは総集編みたいな1冊かな。


マガジンハウス発行、1,300円+税

 私たちは1日におよそ2万1,600回もの呼吸を無意識にしている。そのうちの一部でも意識的に行うようにすれば、からだもこころも変化するということで、『呼吸はだいじ』には「呼吸とはなんぞや」から始まって、さまざまな場面、例えば眠れない時、手足が冷える時、腸を活発にしたい時、絶望を感じた時などなどに対応する呼吸法が紹介されている。

 帯津先生は「心臓のドキドキや冷や汗は自分でコントロールできないけれど、ハアハアと浅くなっている呼吸は、意思の力でゆっくり深くすることができる。深い呼吸をすることは緊張をほぐすために、とても有効な手段」と語っている。

 なので私は、ムッカ~!とかカッチ~ン!ときた時や思わずへこんだ時などは、なるべく「まあ、まあ、まあ」と言いつつ、すごく意識して、長くゆっくりと息を吐くようにしている。そういう呼吸を続けているうちに、確かに少しずつ落ち着いてくる。よしよし。

 息をゆっくり吐くことで副交感神経が刺激されるというから、ゆっくり長く吐くことに意識を向けることが大切なようですよ。ふぅぅぅぅぅ~。
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待望のじゃがいも届く

2014-06-05 | 食・酒
 長崎のぽてと倶楽部さんから、待ちに待ったじゃがいも「デジマ」が届いた。わ~い。

 

 年に2回の贅沢。今回も15kgお願いしたが、それでも芽が出る前に(出てしまったらくり抜いて使うけれど)、旬の味をせっせと楽しむことにしている。

 千恵ちゃんにもおすそ分けしているが、「ほくほくとしっとりの両方を絶妙のバランスで持った、本当に美味しいじゃがいもだね」と絶賛してくれる。兄嫁さんや妹にも至って好評である。私が生産しているわけじゃないのに「美味しい」と言われると、うれしくなる。

 うちでもっともよく作るのが、千切りにしたものをフライパンの上で円形にまとめ、バター、もしくはオリーブオイルで丹念に焼き上げる大判のハッシュドポテトである。
 これは、ドイツの南部地方やスイスでは「ロスティー」と呼ばれている、じゃがいもを使った代表的な郷土料理だそうだ。デジマが届くと、これが朝食になることが多い。


 味付けはシンプルだけど、デジマのモチモチ感とホクホク感が引き立つ。ビールのお伴にも最高なんだな。チーズを乗せて焼くのもオススメ。
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目の見えない飼い犬のために

2014-06-05 | 犬&猫との暮らし
 カヤと私が出会ったのは、ちょうど1年前の今日。

 糞尿で汚れたケージの中で、ぐしゃっと伏せていたカヤが、何かがケージの中で動いたことに気づいて、ぐいぐいと身体を押し付けてきたのだ。その何かが私だった。
 ほかのボランティアさんが掃除に入っても、カヤはきっと同じようにぐいぐいしたに違いない。

 でも、カヤのそのシグナルに私が感応できたから、今、カヤがここにいるのだ。きっとカヤと私の「気」が合ったんだな。
 「出会った」ということだけでは、結ばれない縁もたくさんあるのだから、そういう意味ではちゃんと敷かれたレールに乗れたのだと思う。

 カヤが全盲であることを、ことさら哀れだとか悲惨だとか言うつもりはないけれど、それでも何かあったとき、例えば震災に見舞われて、万が一私とはぐれてしまうとか、私が外出時に被災して、すぐに戻れないといった緊急時のために、他の人にカヤが目が見えないことを知ってもらわなくてはいけないと思い、首輪には名前や連絡先とともに「この子は目が見えません」と書いてある。

 カヤが誰か知らない人に保護されることになっても、目が見えないことが分かっていたら、そういうつもりで対応してもらえるのではないかと思うから。


 そして、私のお財布には常に自作のペットケア依頼カードが入っている。
 外出先で事故にあったり、意識を無くしてしまって何日も帰宅できなければ、カヤやボッチは放置されたままになってしまう。
 それが心配なので「どこそこに連絡して、ペットの世話を依頼してください」というお願いカードを携帯しているのだ。ここにもやはりカヤの目が見えないことを記してある。


 右目は小さくなってきたけれど、見えないとはいえ両目とも潰れてしまっているわけではないので、傍目には全盲には見えない。私との日常生活では特段問題がなくても、非常時を想定するとやはり健常な子より気遣いが必要だと思うのだ。


 
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八重咲きのガクアジサイ好き?

2014-06-04 | 植物
 梅雨入りの便りが届くようになり、あちこちでアジサイを目にするようになった。
 私はたびたび「こんもりとした花房をつけたアジサイ」と書くけれど、花びらのように見えるものは、正確には花びらの形をしたガクである。

 花粉を運ぶ虫たちに「ほら、ほら、花が咲いたよ~」とアピールする装飾なのだそうだ。そのため「装飾花」と呼ばれているのだが、本当のアジサイの花はその中心にあり、花びら状のガクより地味に咲く。
 私なんぞはガクが開いたことで「アジサイが咲いた」と喜び、本物の花がいつ、どのように咲いているのか気にも留めてこなかった。

 今年も「“隅田の花火”と“カシワバアジサイ”が咲いたわ」と喜んでいる。ガクが開いたんだけどね。
 カシワバアジサイは葉っぱが柏の葉に似ていることから命名され、秋には紅葉する珍しいアジサイだ。実家のお隣のお姉さんが「珍しいから」と言って、株を譲ってくれたものである。


ガクアジサイの新品種として登場した当時に小さな株を買って植えた「隅田の花火」。
もう10年以上経つので、かなり大きくなった


「カシワバアジサイ」は北アメリカ東部原産のアジサイ。
花が終わったら、そろそろ植え替えが必要だな


「美方八重」はタキイ種苗のヤマアジサイ・シリーズの一品種

 庭にあるアジサイは3種類とも、紫陽花寺などで見られるような、装飾花がこんもりと丸く集まった手まり型のホンアジサイと呼ばれる種類ではなく、しかも全部八重咲きの品種だ。


隅田の花火の装飾花。よく見ると真ん中にぽちっと花が開いている


美方八重の装飾花。アジサイの本当の花って、不思議な形


カシワバアジサイの本当の花も咲き始めたみたい

 あえてこだわって、八重咲きのガクアジサイを集めたわけでもないんだけど、色彩的にも少々物足りない気もするなあ。

 ちなみに薄紫やピンク色のポピュラーなホンアジサイは、日本固有のガクアジサイがヨーロッパに渡り、かの地で品種改良されて出回ったものだという。ううん、少し色の濃い手まり型の品種をひとつ植えようかなあ。

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