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小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

ピンクのカサブランカ

2010-01-27 | 植物
 トチへのお悔やみの手紙とともに頂いたユリが咲きました。大輪のカサブランカ。カサブランカは白一色だと思っていたのに、調べたらピンク色もあり、ちょっと驚きでした。

 甘い香りが部屋中に漂っています。

 自分では買えないような花束が届き、今はまだ華やかですが、いずれみな枯れていったら、急に淋しくなってしまう。自分ではボリュームのある花束は買えないけれど、少しでもお花は買い続けようかな。
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てんかん発症を防ぐタンパク質の解明

2010-01-27 | 犬&猫との暮らし

 昨日、神経細胞を接合しているシナプスで分泌される「LGI1」という特殊なタンパク質による、てんかん発症防止のメカニズムの一端が解明されたという報道がありました。解明されたのは、てんかんの中でも遺伝的な要因が指摘される「家族性特発性部分てんかん」の発症メカニズムだそうです。

 「てんかんは脳神経細胞の異常な興奮によって起こるとされるが」という説明にものすごく納得してしまう。クリの脳の中は見たことがないけれど、本当に彼の突発的な興奮状態は見た目にも異常だと思うもの。

 家族性特発性部分てんかん患者の何人かは、シナプスでLGI1をつくる遺伝子に異常があることが分かっているといいます。
 LGI1がほかの2つのタンパク質と結び付くことで、シナプスの伝達機能が正常に保たれ、てんかんの発症が防げるらしい。それが分かったことで、治療薬開発の道が開けたというけれど、今、クリに飲ませている抗てんかん薬と、どのように違うものができるのかなあ。

 犬の場合、てんかんを発症した血統の犬は繁殖させないという、暗黙の掟があるのだけど、拝金主義のブリーダーや注意力のない自家繁殖者たちは、遺伝的な疾患などおかまいなしに繁殖するケースがよく見られるし、手放してしまったらそのあと自分の犬舎から出た犬が、どんな病気を発症したかなど気にもしないのでしょう。

 クリの隣のショーケースに入れられていたのは同じ胎のメスの黒ラブで、やはり小さくて貧弱でした。クリより1カ月先に買い取られて行ったけど、あの子もてんかんを発症しているのではないかと、あとあと心配になりました。健康に暮らしていればいいなあ。

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トチが亡くなって1カ月

2010-01-26 | 犬&猫との暮らし
 この1カ月、早かったと思います。仏教でいうと、今日は「月命日」ということになりますね。

 今朝2頭で散歩していると、自転車に乗った初めて見るおじさんが自転車を止め、「あれ、もう1頭は?」と聞いてきました。

 今まで挨拶もしたことがない人。自転車の前後のカゴに、お茶やミネラルウォーターや2.5リットル入り焼酎の空のペットイボトルをいっぱい積んでいます。どこかに水を汲みに行くのでしょうから、もしかしたら、このおじさんは河川敷に勝手に小屋を建てて住んでいる人かもしれません。

 「1カ月前に亡くなったんですよ」という私に、「ああ、そう」と表情を曇らせて言いました。そして「何歳だったの?」と聞くので「もう15歳でしたから」と言うと、「ああ」とうなづきながら哀しそうな顔で言う。「お気の毒に」と言わんばかりの表情と口調に、何だか温かい気持ちになりました。

 私は全然知らない人でしたが、向こうは毎日のように私たちのことを見ていたのでしょう。

 聞けば、近くに公園があって、そこで水が汲めるのだそうです。聞いた後に、急にいけないことを聞いてしまったような気がして、「じゃあ、いいですね」などとトンチンカンな対応をしてしまった。

 雲ひとつない河川敷の空を見上げて、「トチ、お前のことをみんなが心配してくれているよ」としみじみ言った月命日の朝でした。
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ラップ現象?

2010-01-24 | つぶやき
 夜中に「ピキッ!」というか、「パシッ!」というか、「パンッ!」というか、そんな音で目が覚めました。「ん? 何?」と思っていると、もう1回もっと大きくクリアに「パキッ!」と鳴ったので、さすがに飛び起きて音のした方、ベッドの横に置いてある折りたたみテーブルの方を確認しましたが、何かが割れたとか倒れたとか、変わったことは何もなかった。

 時計を見ると午前3時。あまりにも大きな音でびっくりしてしまった。何だろう、よく言われているラップ現象というものかしら。トチのいたずらとも思えないし。
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映画『扉をたたく人』

2010-01-23 | つぶやき

 『西の魔女が死んだ』を読み終えてから、映画化されて随分宣伝していたことを思い出し、DVDを借りて見てみようという気になりました。映画を借りて見るなんぞ、どれくらいぶりだろう。

 夕食後、駅近くのTUTAYAに出かけ店内を物色。せっかくなのでほかの映画もと思い、ふと手にしたのが『扉をたたく人』でした。解説を読んで、何となく借りてみたのでした。

 『扉をたたく人』は、愛妻を亡くし、心を閉ざして無気力に暮らしていた大学老教授ウォルターが、シリア出身の移民青年タレクと出会い、彼が演奏するジャンべというアフリカ発祥の民族楽器を通して、次第に心を通わせていくという物語なのですが、中盤、タレクが不法移民として逮捕されてしまいます。タレクを助けるために奔走するウォルター。タレクの美しい母親も登場し、心に触れる交流が生まれます。

 9.11以後のアメリカの、移民に向ける厳しい眼差しが暗々裏に描かれており、公園で打ち鳴らされるアフリカの楽器の軽快なリズムがそれをさらに印象付けていました。

 仕事にきりをつけ、夜中にワインを飲みながら鑑賞。ハッピーエンドではなく物哀しい幕切れなのですが、また観たくなる深い余韻はなんだろう。久しぶりにいい映画を観ました。

 主演はリチャード・ジェンキンスという男優で、私は知らなかったのですが、名脇役として名が知られているらしい。この作品で2009年第81回アカデミー主演男優賞候補にもなったそうです。

 『西の魔女が死んだ』のほうは、初めに原作を読んでいたため、配役はだれだろうな程度の関心で、それほど違和感はなかったものの、感動を覚えたというわけではありませんでした。すでに自分の中で想像した世界があったせいかな。

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『差別と日本人』

2010-01-23 | 

 電車の中で読む本がないと、何か心許ない気持ちになります。疲れているときは揺れる車内で活字を追っているだけで気分が悪くなるので、「ああ、疲れているんだなあ」と思い、休息時間に変えることにしていますが。

 かなり前ですが、行きの車内で持っていた本を読み終えてしまったので、途中の本屋で買ったのがこの本『差別と日本人』でした。

 出身者で元自由民主党幹事長の野中広務氏と、有名な人材育成コンサルタントで在日の辛淑玉さんの対談集で、日本における差別問題について二人が対談し、その社会的背景や状況を辛さんが注釈として加える形で構成されています。

 辛さんは注釈に「差別は、古い制度が残っているからあるのではない。その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない。差別とは、富や資源の配分において格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する(自分がおいしい思いをする)ための理由は、実はなんでもいいのだ。だから、外国籍だから、朝鮮人だから、沖縄だから、女だから……。自分たちの利権を確保するために資源配分の不平等を合理化さえできれば、その理由などなんでもいい」と書き、「差別は享楽だ」とばっさりと切り捨てています。

 そして「自分たちが行っている差別と向き合うのではなく、ただただ糾弾されることを恐れて、自主規制に走ったり、問題について過剰に萎縮した態度を取ったりする教育関係者や行政のみっともない姿を、被差別者による激しい糾弾のせいにするのは、二重の悪意の表れだろう」とも。
 
 官庁の広報誌を制作している関係で、この「過剰に萎縮した態度を取ったりする教育関係者や行政のみっともない姿」にはたびたび遭遇し、「それは逆差別ではないだろうか」と何度か言ったこともありますが、ことなきまま済ませたいという姿勢を貫いていました。

 そのあとに、これもたまたま本屋で手にした曽野綾子さんの『貧困の光景』(新潮文庫)で、曽野さんは差別語について触れています。

          

 曽野さんは20年以上にわたり、日本財団とJOMAS(海外邦人宣教者活動援助後援会)の仕事で、援助資金が有効に使われているかどうかを確認する目的で、多くの発展途上国を訪れ、実に多くの貧困の実態を見てきました。

 彼女は「世界の多くの土地で、乞食は生業である。そのような現実も知らず、日本の新聞や出版社は、乞食という言葉は差別語だから使うな、と注意して来る所がほとんどである。もし今皆が好きな「人道」とか「人権」を考えるなら、第一にやるべきことは、それらの現実がある、ということを認めることだ。だからこういう差別語にこだわる人々は、人道にも人権にもそっぽを向いた人たちである」と皮肉を込めて書いています。

 「『差別はいけない』と言う時、日本人は、ほとんどが、差別する側に立ってものを言っているのはおもしろいことである」とも書かれていました。ドキッとさせられます。

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雨にも負けない盲導犬の詩

2010-01-20 | 犬&猫との暮らし

 資料を整理していたら、10年以上前、友人にもたっら詩が出てきました。何の本のコピーだと言われたか、すでに記憶になく、紙もだいぶ黄ばんでいますが、そこにはこんな詩が書かれていました。

 雨にも負けず
 風にも負けず
 雪にも夏の暑さにも負けず
 丈夫な足腰でしっぽを元気に振り振り
 欲はなく
 決して吠えることなく
 いつも静かに待っている
 一日にボール一杯のドッグフードと
 少々のミルクを飲み

 あらゆることを
 自分の感情に入れずに
 よく嗅ぎよく聞き
 主人のために尽くす
 玄関先の小さなベッドを
 やすらぎの家として

 東にうるさく吠える犬がいれば
 無視して通りすぎ
 西に喧嘩する犬がいれば
 馬鹿なことは止めておけと言い
 南に主人が行きたいときは
 疲れていてもしっぽを振り

 北にボランティアにいくときは
 盲導犬として恥じないポーズで歩く
 主人がかなしいときは慰めてあげ
 主人がうれしいときは共に笑う

 たとえ人にいじわるされても
 苦にもせず吠えもせず
 ただ寝るだけで忘れてしまう
 そういう盲導犬に
 わたしはなりたい

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トチは母犬です

2010-01-20 | 犬&猫との暮らし

 河川敷へと渡された小さな橋のたもとに、タクシー会社の駐車場があります。運転手さんたちはそこの自分の車で乗り付け、代わりにあてがわれているタクシーに乗って仕事に出るわけです。

 毎日のようにその脇を通るので、顔見知りになった運転手さんもいて、挨拶を交わすようになっていました。

 「あれ、今日はお父さんはいないの?」と明るい声がしました。

 お父さんって、だれ? と一瞬思いましたが、すぐにトチのことだと分かりました。トチはメスの割に体格がよかったからね。よくオスと間違われたものです。
 今朝もトチが天に帰ったことを知らせたマンション内の知人から、「トチ君は残念でした」という書き出しの手紙がポストに入っていた。トチ君じゃないってば~。

 運転手さんにもきっぱりと「あの子はお母さんです。この子のお母さん」とブナを指差して言い、「暮れに亡くなってしまったんですよ」と私。

 運転手さんの驚いたような顔がみるみり曇り、「ああ、そう~。元気そうだったのにねえ」。「ええ、亡くなる朝も一緒に散歩しましたよ。でももう年でしたから」「何歳?」「15歳です」「そうだったの、可哀想に…」

 可哀想に、か…。ちょっぴり思考回路がもつれちゃいました。

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でかした、ボッチ!

2010-01-14 | 犬&猫との暮らし

         ソファーで仲良く眠るブナとボッチ

 排泄話が続きますが、生きていくためには食べなくてはならず、食べれば当然出すものは出さなくてはいけないので仕方ない。

 その「当然出す」ということを、一昨年の秋、当然のようにできなくなったボッチ。なぜそんなに強固な便秘になってしまったのか。動物病院の先生は「便秘になる猫は多いし、年になると便秘になる子もいる」と言うけれど、ボッチはまだ6歳だし、それまでは便秘猫じゃなかったのだから、ねえ。

 預けられた先々で強いストレスがかかったことで、幼猫の時の事故が引き起こした骨盤狭窄による巨大結腸症が悪化してしまったのか、究明もされていないので、便秘の原因は分かりません。

 食事で何か気にしてあげることはないか、食事療法はないかと先生に尋ねたのですが、「それは別にないですね」ということでした。

 が、しかし、食べて出すわけだから、「食べて」の部分で何かもう少し手立てがあろう、と私は思っていました。いくつかのフードメーカーで特別療法食を出しているしね。

 で、いろいろ調べたら、やはりありました。 
 猫が嘔吐、下痢、ガス、便秘などの症状を示したときなどや、大腸炎(結腸の炎症)、膵炎(膵臓の炎症)、
食あたりや炎症性腸疾患などの栄養学的管理に適しているというフードが。

 それが
アイムスの食事療法食で「ベテリナリーフォーミュラ」というシリーズの「
腸管アシスト(猫用)」というフードです。

 ボッチのウンチを絞り出してもらいに行くたびに、先生が必ず「この処置は手が痛くなって大変なんです」と言うものだから、もう恐縮しちゃって、足も遠くなりがちだったときに見つけ、朝晩処方されたオイルベースの薬を飲ませることと療法食の2本立てで、何とか通院から逃れようと決めたのです。

 そのフードを与えるようになって丸2週間。今日ブナ&クリの散歩から戻ると、ボッチのブツがこんもりと! 飛び上がるほど嬉しかった。「でかした、ボッチ!」と声を上げたほどです。この調子でいってほしい、もう病院へは薬だけ買いに行けばすむんだもの。

 ちなみに、ブナ&クリのフードも、
老齢性変化に伴う機能低下を補うための犬用の「エイジングケア」という療法食に変えました。トチの晩年もそうしてあげればよかった。 

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多飲多尿は相変わらず

2010-01-14 | 犬&猫との暮らし

 抗てんかん薬の副作用である多飲多尿は相変わらずで、私が家にいるとクリは日に何度も私に知らせに来ます。パソコンを打っている私の右肘辺りを鼻で突いて知らせるわけですが、急に肘を突かれ、あらぬところをマウスでクリックしてしまったり、キーボード操作を誤ったりするので、つい「なによ、急に!」などと言ってしまう。

 突かれるたびに仕事を中断して、犬トイレを見に行ってペットシーツを交換したり、ウンチの始末をしたり(クリはウンチも日に何度もする。消化吸収力が弱いのかもね)。

 仕事が乗っているときに間をおかずそうされると、「またオシッコ~?」とつい面倒臭さそうに言ってしまったりする。そのあと決まって後悔します。クリだって、好きでそんなしょっちゅうオシッコに行くわけじゃないんだもの、ちゃんとしつけた通りに教えにくるんだから、褒めてあげなきゃいけないのに。

 トチは老齢になって多飲多尿になり、ものすごくペットシーツを使うようになっていました。1回の量が半端じゃなくて、シーツから溢れ出してしまうので、ワイドシーツの両サイドに縦にふたつ折りにしたフェイスタオルを堤防のように置き、床に流れ出すのを防いでいました。一日に何度かそれを洗わなくてはいけないくらいに。

 ただトチの場合は、クリほど頻尿ではなく、日に数回する量が多かっただけ。クリの場合は体が小さいせいもあって頻繁にするんですね。トチにかかったそういう手間がなくなり、ワイドサイズのペットシーツの消費量も極端に減ったけど、投薬量を減らしたことで、クリの頻尿も少し改善されるといいのだけど。

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クリの発作

2010-01-13 | 犬&猫との暮らし

 クリのてんかんの発作は年々確実に減っており、今年はまだ発作を起こしていません。発作を起こすたびに、私はすぐに時計を見ながら時間を計り、発作が収まるとどういう状況で、何時何分から何分まで、どんな状態のどんな程度の発作が続いたか、その日の気象条件とともに書き記してきました。

 2005年 8回
 2006年 4回
 2007年 3回
 2008年  2回
 2009年 2回

 いい調子です。投薬を始めた年など年に14回も発作を起こしていたのだから、フォノバルビタールの血中濃度も安定し、すっかり体になじんでいるのでしょう。

 でも、私の最終的な目標はクリを薬なしの生活にしてあげることで、それが無理なら、せめて今飲んでいる朝晩2錠ずつ1日計4錠を、朝晩1錠半の1日計3錠にしてあげたい。ゆくゆくは1日2錠を目指したいと思っています。

 クリも今年もう11歳になるので、肝臓への負担をできるだけ減らしてあげたい。投薬を始めて血中濃度が安定するまでの数週間の記録を読むだに恐ろしいです。副作用で廃人(廃犬)のようになってしまった日々を思うと、必要とはいえやはり薬はちょっと恐ろしいと思ってしまう。

 昨年、「今年は1回で収まってほしかったのですが」と獣医さんに言うと、「これくらいならいいじゃないですか」と言っていた。先生は薬を減らしたいという私の意向には賛同せず、「このままでいいと思う」と言ったけど、先生には老犬に対して少し投げているところが見受けられます。

 「もう年なのだから(いいじゃないですか)(仕方ない)」という言葉を何度も聞く。6歳のボッチにさえ「もう若くないですから」と言う。犬にだってQOLを確保してあげたいじゃない。犬や猫は年を取るほどに命が軽くなっちゃうのかしら。

 技術や医療機器を駆使し、腕をふるえる治療には前向きなんだけどねえ。飼い主の精神的なケアには配慮がないと言っていいかもしれません。

 抗てんかん薬の投与は急にやめてはいけないので、私はクリの薬を昨年の11月22日から朝晩1錠半ずつに減らしてしまいました。毎日丹念にクリを観察している飼い主の私の判断で、薬を減らしました。

 クリの神経の過敏さも年を取って少し衰えたというか、緩やかな機能低下とともに反応が鈍くなったろいうか、薬を減らしてからもまだ発作は起きていません。気圧の影響を受けやすい冬季を乗り切れば、この3年間暖かくなってからの発作は一度もないので、「なんとかいける!」とひそかに思っています。

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『永遠の贈り物』

2010-01-09 | 
 マニマル・コミュニケーターのローレン・マッコールさんが会話をした動物たちからの魂のメッセージがつづられている本。副題は「旅立ってしまった動物に訊きたい5つのこと」。

 ローレン・マッコールさんが講義をしているアニマル・コミュニケーションのCDで学んできたし、トチとのふれあいが続いていたので、とてもよく理解できる。

 魂だけではさまざまな体験ができないから、体験をして成長するために肉体を持つんだなとぼんやり思った。「死」というものを理解するのによいテキストだと思います。中央アート出版、1600円+税。
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自然農法家の須賀さん親子

2010-01-09 | 旅先でのお話

 6日、埼玉県上里町に住む自然農法家、須賀一男さん・利治さん親子を取材で訪ねました(写真撮影/カメラマンの沢海さん)。
 一男さんは自然農法ひとすじに50余年。有吉佐和子著『複合汚染』にも登場する、無農薬・無肥料で栽培する自然農法の先駆的存在です。

 昭和8年生まれの一男さんは江戸時代から続く農家の8代目。幼い頃から病気がちで、体はあまり強いほうではなかったといいます。高校卒業後にすぐに就農したのですが、農作業はひどく身にこたえたそうです。
 当時、須賀さんの家では養蚕と米麦栽培を行っていたのだけど、常に体調は思わしくなくて、医者にも見放された形になったのでした。

 さまざまな健康法を試すうちに食物が健康に与える影響を知り「医食同源」「身土不二」に基づいた自然農法に取り組むことを決心したのだとか。9代目を継いでいる長男・利治さんが産まれた昭和32年、本格的に無農薬・無肥料による栽培を開始。
 「植物が朽ちてバクテリアや土壌生物によって分解された自然の土には力があります。そういった自然の土の養分があれば、作物は健康に育つはずです」と一男さん。

 農薬はもちろん化学肥料も除草剤も一切使わず、土手の雑草を主体に発酵させた植物性の自家製堆肥のみで栽培しています。失敗の中で積み重ねてきた経験から、虫がつく時期を外して苗を植えることを学び、それぞれの畑の土壌に合った作物を季節ごとに連作している。どの畑でも連作障害は起きていないといいます。それはスゴイことだ。

 須賀さん親子が大切にしているのは、四季折々の新鮮な野菜を消費者に届けることで、畑では30~40品種の野菜を栽培。多品種を栽培することで、どの季節にも旬の野菜を届けることができるのです。

 「農食連携」「農医連携」も実践している。「自然界の恵みを得て、その時期に育つべくして育った旬の野菜は生命力に溢れています。安全で安心して食べられる野菜作りを通して、みなさんの健康維持に貢献したい」という須賀さん親子。
 食の安全が揺らぎっぱなしの日本で、安心して食べられる「旬」の食材は貴重だよね。

 周年野菜を安定供給できるという完全人工光型の植物工場も取材したけれど、作られているものはレタス類など葉物野菜数種だけだし、たとえ安全でも別に一年中同じ野菜がなくてもいいと思っているので、ピンとこなかったな。

    
     完全閉鎖の室内で蛍光灯で育てる、ある植物工場
                   (写真は沢海厚さん撮影)

 ちなみに須賀さんの野菜料理は『キリンシティー』で食べられるというので、農水省での会議のあと、編集者ゆうさんと2人で銀座の『キリンシティー』に寄ってみました。京菜の蒸し煮を肴にビールをグビリ。美味しかった!

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トチの愛に包まれている感じ

2010-01-08 | 犬&猫との暮らし
 トチが亡くなって、その不在感は大きいはずなのに、日に日に心が落ち着き「満たされている」という気がしています。トチの愛に包まれている感じがする。淋しい気がしないのはなぜだろう。魂がつながっているような感じとでもいおうか……。
 トチのことを思うと「いなくて哀しい」という気持ちがせず、幸せな気持ちになる。不思議だなあ。
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ふしぎがり屋のまどさん

2010-01-05 | 
 「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」などの童謡を書いた、私の大好きな詩人のまど・みちおさんが、昨年11月に100歳を迎えたのを記念して、『ネバーランド』という児童文学の同人誌的商業誌12号で特集を組みました。
 寄稿を依頼され、私もまどさんから送って頂いた詩画集などについて原稿を寄せました。

 3日、夜9時半からNHKで「ふしぎがり」というタイトルで、まどさんの特番を放映していました。まどさんは100歳になられた今も、毎日車椅子での散歩で見かけた風景や森羅万象の不思議を言葉につづり、独自の世界観がある抽象画を描き続けています。

 生きとし生けるもののどんなに小さな命をも慈しむまどさんの眼差しの、なんと深く温かいことか。まどさんはもう神様のようでした。
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