<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



昨夜、仕事から帰ってきてテレビをつけたら、なにやら懐かしいい歌声が聞こえてきた。
柔らかく、そして透き通った声の主は八神純子。
NHKのSONGSという番組で、八神純子が歌っていたのであった。

私が中高生だった頃。
日本の音楽シーンはニューミュージック。
アリスやツイスト、さだまさし、渡辺真知子やサザンオールスターズといった今では大御所と呼ばれるような人たちが活躍していた時代だった。
独特のサウンドと、魅力的な歌詞、嫌味のない個性、それでいて印象深いバンドやシンガーたち。
人気番組「ザ・ベストテン」とも相まって、私たち当時のティーンエイジャーはニューミュージックに魅了されていた。
ちなみにこの人達は今のように「アーティスト」とは呼ばれていなかった。

八神純子はこのニューミュージックというジャンルにおけるトップシンガーのひとりだった。
「水色の雨」
「ポーラスター」
「パープルタウン」
などなど。

ピアノ弾き語りの八神純子スタイルは、なんとなく洗練されていて、歌のテンポも小気味良かった。
私のようなファンではない人でも、強く脳裏に記憶されることになった。

ニューミュージックのブームが一段落すると、知らない間に八神純子は結婚してアメリカに行ってしまった。
気がつくと「あの人は今」のカテゴリーに入る元有名人のひとりになってしまってのだ。
少なくとも私の中では。

その「あの人は今」であった八神純子が水曜深夜のNHKの歌番組で歌っていたのだから驚いた。
しかし、驚いたのはその人が八神純子であることに驚いたばかりではなく、最初テレビのスイッチを入れたとき、
「誰かわからんけど、めちゃ声が綺麗で歌のうまい人やな」
と思ったことが驚いたことだった。
なぜなら八神純子がマイクを持って立って歌っているとは思わなかったのだ。
カメラがアップに迫って初めて「お。八神純子や」と気づいた。
しかもその驚きは実にショッキングで、かつ爽快なものなのだった。

というのも、放送されていたのは昔のビデオ映像ではなく、今のもの。
ハイビジョンの画面に映し出される彼女の姿は、明らかに年代を重ねた女性の表情そのものであったからだ。
もしかすると、すでにお孫さんがいるのかも知れない。
明らかに、おばさんだ。
ハイビジョンでシワも気になる。
でも、昔とちっとも変わらない歌声は、しばし彼女の歌に耳が釘付けになる若々しさと、なぜか新鮮味に溢れていたのだった。

八神純子。
30分番組は短すぎる。

思わず聞き惚れたSONGSなのであった。


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アメリカへ初めて行ったとき(1978年)、コカコーラが1本1ドルなのを知った。
当時1ドル確か180円。
コーラ1本が180円もしたのだ。

それが今や81円。
どうなっとるんだ?

本3年ほど前、海外旅行をするので会社の近くの三井住友銀行で両替をしたら1ドル125円。
500ドルほど交換したのだが、今なら20000円も得をするという勘定だ。
なんとなく、納得できない。
損した気分になってしまうのはいったいどういう訳か。

さらに、これだけ円高になっているのに、輸入品に割安感がまったく出ていないのが、さらにしゃくに障る。
ガソリンは多少安いが微々たるもの。
もしかすると円高にならなくてもこんな値段なのかもしれない。
石油元売りとしては値上げは簡単だが、値下げはご免だ、というスタンスなのだろう。
円高差益は会社のもの。
円安損益は顧客のもの。
そんな雰囲気が漂っている。

マスコミは円高不況を声高に叫んでいるが、今のところ不況は不況のままで変わらず。
最下位のチームがいくら点を取られても最下位は変わらない、というのに似ているようなきもしないではない。

で、1ドル81円。

実感がわかない、為替相場の世界なのだ。

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今日の朝刊によると菅直人首相は、
「小中高校の英語教師のレヴベルアップを図るため、毎年優秀な若い教師を1000名ぐらい米国へ語学研修に送り込む」
つもりだという。
なんでも、
「アメリカとの友好関係も強化することができる」
副次効果もあるとか。

まったくもって、いまどき語学留学でアメリカへ行くというのはどういう感覚なのか。
正直言って英語をマスターするには日本国内で十分な環境が整っていて、わざわざ米国へ習いに行く必要など無いように思う。
この感覚は、修学旅行で東京ディズニーランドへ出かけるパープー中高校とよく似ており、さもありなん、と納得していしまうところもあるが、総予算が年間100億円もかかるとなると、「ちょっと待て」と言わざるを得ない愚鈍なアイデアだ。

そもそも、小中高校で英語を教えることのできる優秀な先生なら、米国に英語を習いに行かなくても、近所の英会話スクールで十分なレベルまで学ぶことができるとおもう。
米国留学するとしても一週間か二週間くらいの短期で十分で、しかも、わざわざ国家が予算化して送り込む必要もあるまい。

これが英語ではなく、例えばウィグル語だとか、クルド語、チン語、コロ語なんかだと、国家がお金でも出さないと、なかなか学ぶことが難しい言語だ。

私の知人で大学時代にインドネシア語を専攻していた人がいるのだが、
「そらね、インドネシア語勉強しましたけど、社会に出てもほとんど役に立ちませんで。ほんま」
と困惑しながら後悔している、というのが現実だ。

これと比べて英語など、わざわざその国に学びに行くなど愚の骨頂。
ミナミやキタ、渋谷や六本木のパブに行くだけでナチュラルな英語を学ぶことができるので、これほど手軽な外国語はない。
むしろ米国に学びに行くのなら語学留学ではなく、医療分野、情報技術、バイオ、天文、航空宇宙、金融、農業などの先端技術や映画、絵画、舞台などの芸術を学びにいくべきであり、それでも語学留学したいというのであれば「アパッチ語を習いたい」というような場合に限るべきであろう。

ということで、菅直人という日教組ともつながり深い総理大臣が日米友好の強化を叫びながら、オーランドのディズニーワールドやニューヨークのブロードウェイに日教組組員の出来損ないの先生方を国費で遊びに行かせる、というのが、本音なのかもしれない。



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私はギャンブルが好きではなく、これまでの生涯でギャンブルをプレイしたのは数えるほどしかない。

パチンコは計3回。
(子供向けお菓子がもらえるパチンコは除外)
麻雀は0回。
(だいたいルールを知らない)
カジノは1回。
(ラスベガスを訪れたときに25セントのスロットマシーンにはまり、150ドルを逸失)

程度なのだ。

一方私の周囲にはギャンブルを趣味としているものも少なくなく、会社でも何人かはパチンコマニアなのだ。

そんな私が最近気になっているのが、パチンコの機械の広告。
アイドルやアニメキャラ、あげくの果てには米国製テレビドラマの主人公なんかも、パチンコ台のキャラクターとして取り上げてくるのだ。
そんな中、ついに現れました「水戸黄門」。



初めこの吊り広告を見たときはテレビ番組の広告かと思った。
でもよくよく考えてみると東野英治郎は鬼籍に入って久しいので、英二郎黄門様はあり得ない。
それに、よくよく見てみるともっと変で、スケさんカクさんが、東野バージョンの水戸黄門とはまったく異なることに気がついたのだ。

なんであおい輝彦と伊吹吾郎なのだ?
バージョンがごちゃごちゃではないか。

「しょせんパチンコのことだから構わない」、では済まされない時代劇ファンへの冒涜行為であると感じたのだ。
「パチンコに精出す高齢者が対象だから、どうせ東野英治郎時代に誰が格さん助さんをやったなんて覚えているもんか」、などとメーカーに思われていたらもっと心外に違いない。
尤も私はパチンコをしないので、そんなことはどうでもいいけれども、このポスターは納得しがたい。

やはり、助さん格さんは横内正と里見浩太朗であろう。

もしかすると現役黄門様を演じる里見浩太朗を起用することにメーカー側に躊躇があったのかもしれないが、問答無用。

このポスターは歴史のねつ造。
どこかの国の人が作ったポスターなのか納得できないものがあったのだ。

そういえば、パチンコ業界って歴史ねつ造、改変が得意な国の出身者が多かったことを、今、思い出しました。


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ここのところ、小遣いが危機を迎えていて昼食のグレードを落とすという緊急手段に訴えて生活をしている。

これは私の会社では私の所属している部署は絶好調なのに、会社全体の業績が振るわず収入源になっているのが最大の原因だ。
このため、小遣いを切り詰めなければならなず、「映画鑑賞はテレビで」「読書は蔵書か図書館で」「雑誌は極力図書館か、もしくは今は少ない喫茶店で」という具合になっている。

とりわけ昼食はグレード、または量を削減して金額的負担を減らす絶好の対象になってしまっており、畢竟、安物のファーストフードを食べることになる。

まず、マクドナルド。
ここは社長に谷村有美の旦那さん原田泳幸氏が就任してからというもの、あまり割安感はなくなってしまったものの、それでも他のファーストフードに比べると安い。
しかし、マクドナルドはなんとなく「健康に悪そうな」イメージがつきまとっているため、ランチに食べることは少ない。
むしろ朝のコーヒーをスタバやタリーズはもちろん、ドドールさえも控えてマクドにする、ということが増えている。

そこへ行くと牛丼はスタミナもつくし、安いくて食べる時間が短くて済むので重宝している。

吉野家
すき家
なか卯
松屋
などなど

この中でも最もお気に入りなのが「なか卯」の和風牛丼なのである。

この和風牛丼。はじめて食べてみたのは都内のなか卯だったのだが、すき焼き風に調理された牛肉と糸こんにゃくが絶妙で「なるほど~、これが和風なんか」と感心したことしきりなのであった。
とりわけ笊蕎麦とのセットは、満足感も大きく、私の勤務先のひとつ東京オフィスの近くにはなか卯があることもあり、昼食はよくお世話になっている。

このなか卯の和風牛丼を意識して登場したのが吉野家の牛鍋丼だろう。

この牛鍋丼。
テレビのコマーシャルで見てから、是非とも和風牛丼と比較してみたいと思っていたのだが、なかなか食べる機会がなかった。
先週、これも都内の吉野家に入る機会があり、早速「牛鍋丼」を注文して味見することにした。

で、結論を述べると、味は明らかに「なか卯」の「和風牛丼」の勝ちなのであった。

吉野家の「牛鍋丼」は焼き豆腐などが入っていて一見リッチなのだが、やはり他人のマネは否めなく、味は和風牛丼に遠く及ばない。
「次は和風牛丼」
という気持ちにさせる味なのであった。

しかし、吉野家の名誉のために断っておくと、牛丼はやはり吉野家がナンバーワン。
少々高いけれども、吉牛の味は牛丼のベーシックなのであり、ただし、ランチ予算削減の中なので、吉牛よりもすき家で食べてしまう、私は悲しい。

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ノーベル平和賞が中国の民主活動家劉暁波氏に授与されたニュースが放送途中中断されるという事件があったそうな。

放送を中断させられたのはCNNとNHK。

なんでも中国政府が自国民に劉暁波がノーベル平和賞を授与されたことを知られたくないので中断させたということだが、これって国家のすることなのか。

ちなみに私もテレビの中継が中断されて欲しいと願うことがたびたびある。
とりわけ阪神タイガースの試合で我がタイガースがリードしているにも関わらず、救援で藤川球児ではなく久保田が登場してきたりすると、思わず放送を中断して欲しい、と願うことがある。

中国政府の行為はプロ野球ファンと大して変わらないレベルであると言えるのかも知れない。


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久々にノーベル賞受賞者が日本から選ばれた。

めでたし、めでたし。

ところで、どうしてノーベル賞を受賞すればめでたいのか、真剣に考えてみると私にはわからない事が多い。
確かに化学賞だとか物理学賞なんてのは、科学の世界では最高峰かもしれないが、平和賞なんていうのは文化勲章と大して変わらないような気がするし、こと文学賞なんかだと言語の違いを無視するノーベル賞よりも直木賞や芥川賞の方が権威があるように思えるのだが、それってヘン?

ともかく、権威だけはしっかりとあるわけなので、喜んでいいのかもしれない。

でも、科学の実績という点に於いては、私はイグノーベル賞の方が大好きなのだ。

何といってもイグノーベル賞は肩が凝らない。
対象になる技術や学問も、なぜか笑えるものが多い。
しかし笑えるからといってふざけているのかというとそうではなく、大いに真面目な研究であるところが、やけに人間臭くて感動的なのだ。

日本人の受賞も少なくない。
今年も公立はこだて未来大学とハンガリーの研究チームが粘菌で交通網を整理するという、わけのわからないアイデアで授賞。
それ以外にもこれまで資生堂が足のニオイの素を証して授賞したり、タカラが犬との通訳機バウリンガルの発明で授賞したりしているのだ。

昨年のオバマ大統領の平和賞のように「灰色」の授与があったりすると、そのうち、どっちが権威あるプライズなのか、分からない日が訪れるかも知れない。

で、結局、京大の山中先生はどうなった?
ビッグビジネスを生み出すiPS細胞は、日本人一人に賞を授与するのは惜しいかな。

こういう政治的、人種的偏見がつきまとうところも、ノーベル賞よりイグノーベル賞の方が優れているポイントだと言えるだろう。

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ジャン・ピエール・ジュネ監督の新作「ミックマック」は、最初から最後までまったく退屈することのないアイデアいっぱいの映画だった。

あの「アメリ」の監督の作品だからと、期待して劇場に足を運んだのだったが、こういうときはえてしてコケることも少ない。
けれども、期待は一切裏切られることがなく、むしろ「アメリ」よりも面白い作品に仕上がっていた。
期待に反していたのは劇場の入がいまいちであったことで、「アメリ」の監督にしてはずいぶん寂しい雰囲気ではあった。
もっとも作品の魅力は相当なもので私なんぞはもう一度見てみたい、と思っているくらいなのだ。

独特の色調の絵作り。
魅力ある音楽。
そしてなんといっても個性あふれるキャラクターたち。
こんな人たち、フランスに行ったらホントにいるのか?
と一瞬信じてしまいそうになるくらい、独特のリアル感。
実に面白い。

ほのぼのとしたストーリーのように見えるこの映画は、実際はかなり早いテンポで、「とん、とん、とん」と進んでおり、息つく暇もないというのが実際のところだが、一つ一つの要素がどことなく「ぽけ~」「ホンワカ」としているため、刺激は少なく、見ていて疲れない。

先月で超ド級の忙しさであった私もようやく仕事に一息ついて「映画でも見に行こ」と観に行ったのが本作だった。
正直、疲れているときにフランス映画はいささか「濃い~い」ものがあるのだが、あのアメリの監督作品だけに見ておきたかったという感情が優先して、結果的それは大きな成功だったということだ。

ところで、一般のロードショー劇場、いわゆるシネコンではアメリカ映画が日本映画のメジャー作品が上映されている。
映画館の数も私が中高生だった1980年代と比較しても多いように思う。
ところが上映作品はどの劇場に行っても同じような作品ばかりで、正直詰まらない。
しかも最近は3Dを使用した飛び出す映画が増えてきたり、洋画でも「日本語吹き替え」なる「テレビの洋画劇場か」と思うような作品が多い。
これらの上映方法や作品群は映画の魅力という意味に於いてもキワモノ的で、見たあとドドドと疲れることになる。

素朴な感覚で「楽しかった」「気分転換になった」「もう一度みたい」などと思うことが少なくなってしまった。

ミックマックのようなCGや3Dに頼る部分がなく(CGは使用しているかも)、ストーリーと登場人物の魅力で訴える映画を観ると、ミニシアターの存在はますます大きくなるような気がするのだ。

シネコンあふれる全国の映画館はもっと上映する作品を厳選し、映画の魅力を消費者に伝えなければ劇場映画は大画面テレビに圧倒され、やがては姿を消すことになるのではないか、とも思うのだ。

ミックマック。
映画の魅力たっぷりの缶詰映画なのであった。

ミックマック公式HP

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コテコテ。
ディープ。
ケバイ。
土足で上がりこんでくる。
コナモン。
吉本。
などなど。

大阪を表現する数々の言葉がテレビやラジオで溢れているが、大阪人たる私は、どういうわけかこれらの言葉大嫌いなのだ。

コテコテという言葉からは脂ぎったネッチリとした感覚を連想し、ディープには何か如何わしく喧騒な感覚を連想し、ケバイは汚い、土足は失礼、コナモンはパサパサ、吉本は芸無しを連想する。
どれもこれも大阪にとってはネガティブなイメージでしかないように感じられるのだ。

例えば、むか~しのハリウッド映画で、出っ歯で目バネをかけたチビ、というステレオタイプ的日本人が描かれていたのに非常に似ている。
ムカつく話だ。

だいたい、大阪がこのような言葉で表現されなければならないのも、大阪人に問題があるからだと思う。
なぜなら大阪人自体が「コテコテ」や「ケバイ」などと言う言葉で自分たちを表現し、喜んでいるフシが見当たるからだ。
しかし、現実は例えば、大阪の料理、いわゆる上方の料理は京料理も含めて脂っこい料理は極めて少なく、繊細で重厚さのある味付けが中心である。
一見薄味に見える出汁にしていも、化学的には関東の濃口より多くの塩分を含んでいることが知られているように、様々な味工夫を用いた食のシンフォニーというのが本当だ。

芸能にしても全国区の吉本の笑いはむしろ本筋ではなく、これも例えば上方落語ひとつとっても人気があるのは笑福亭や桂文枝一門のそれではなく、米朝一門や春団治一門のものが人気を博している。
こういうところを見てみても、もともと全国で喧伝されるドタバタな印象とは異なるものが大阪の主流なのだ。

このような大阪の街の形。

そのひとつの論議を提起しているのが江弘毅著「街場の大阪論」(新潮文庫)だと私は思う。

この本を読んでいて大阪の人に関する印象や思いが少し自分の感覚とは違うなと思うのは、この人が先週岸和田出身の人であり、私が堺市出身である土地柄なのかもしれない。
だが、この異なる見解は大阪ひとつとっても岸和田と堺が異なるように個性が様々で、一絡げにできない面白さを持った都市、あるいは地域と言えるのかもしれない。

一般論かもしれないが、首都圏の人と関西圏の人とを比べていつも思うのは、首都圏の街ひとつひとつはどうして皆個々の個性を主張しないのだろうか、ということだ。
千葉も埼玉も神奈川もみなんな一絡げに東京になっている。
駅前の光景など、まったく街としての顔が存在しない印象がある。
東京のモノマネ。
それも山の手文化や下町文化という、東京における最も魅力ある文化の影響ではなく、渋谷だとか、銀座だとか、ある意味、東京における最もつまらない部分の模倣に終始している印象の強いのが、寂しさを感じさせる時がある。

それと比較して、関西がその地域最大の街、大阪の模倣をしている部分があるかというと、まったくない。
各街は個々の個性を最も重要視するばかりか、大阪の模倣は恥ずかしい、とばかりの文化がある。
それが半径50km以内に空港が3つも4つもあるというバカげた状態につながっているわけだが、こと都市文化という意味では大阪人の私が言うのも偏り過ぎかもしれないが、関西のそれは非常に魅力的だと思うのだ。

ということで、街場の大阪。
関西のタウン情報誌ミーツリジョナルの元編集長が執筆した大阪論だけに、想像や伝聞だけで書かれたものではない、リアルさがあって、かなり真面目に面白いのだ。

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インテックス大阪で開かれていた「LIVING & DESIGN展」を訪れてきた。

仕事でお付き合いしているデザイナーさんに招待状をいただいて、付き合いで訪問してきたのだが、正直なところ、行ってよかった展示会なのであった。

これまた正直に述べると、招待状をもらった時は「え~、大阪の展示会~」という感覚と「しかも2号館の一館だけの展示会~」という印象がダブルで増幅され、心のなかでだ「見ごたえないんやないか」と思っていたのだった。
しかし、そこは大阪の展示会。
生半可な内容ではなかったのだ。

まず、予想を遥かに超える人の入りがすごかった。
なんといっても、「ガラガラ」ではないか、と勝手に思い込んで訪れているだけに、通路を多くの来場者が行き交っているのを見ただけで衝撃を受けた。
さらに、展示に手抜きがないことだ。
大手企業も小さな工房も、しっかりとツボを抑えた展示内容になっており、家具業界やデザイン業界とは関係の無いものにも、楽しめる内容になっていた。

とりわけ驚いたのはフランスから5企業。
アメリカからも数企業が参加し、フランスなんかは大使館職員が出張ってきて強く自国企業をアピールしていたのが印象に残った。
しかも、フランス人の職員さんが日本語ペラペラで説明してくれるのは驚いた。
ヨーロッパ各国の大使館の職務の一つが自国企業のサポート。
そういうことは私もある国の大使館の商務担当の人と親しくさせていただいているので知っていたが、その人は日本人なので日本語ペラペラはあたりまえだが、フランス大使館のフランス人職員さんも日本語ペラペラとは恐れいった。

自国企業の社員が公安に不当に4人も拘束されても、もたもた土下座ばかりしている我が国の役人さんたちとは大きく異なると思ったのであった。

さらにさらに、2号館だけの展示会なので大した規模でもない、と思っていたのも大きな間違いだった。
2号館だけとはいえ、面白いユニークで優れたデザインの家具が並んでいるため、すべてを見るためには優に5時間ぐらいかかってしまい、終わってみると、東京ビッグサイトの東館と西館をすべて回ったのと同じくらい、体力を消耗していたのだった。

インテックス大阪の展示会、恐るべしなのであった。

ということで、展示会に招待してくれたデザイナーさんには大感謝。
またまた新しい仕事をお願いせねば、と思う次第なのであった。

ん?

思うつぼになっているって?
かも、しれませんね。

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