<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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むかし読んだ井上ひさしのエッセイに面白いことが書かれていた。
それは銀座のホステスと祇園の芸者の相違について述べられたものだった。
それを読んだ時私はまだ高校生だったのでよく分からなかったが、最近そのことがなんとなく分かるようになってきた。

そのこととは、
「銀座のホステスと話をする時はお客の方がホステスに話題を合わせてあげなければならないが、祇園の芸者や舞子と話をする時は、向こうが巧みにお客の話題に合わせてくる。つまり銀座では客が店
に気を使い、祇園では店がお客に気を使う、という大きな違いがある。」
平たく言えば、銀座はつまらなくて、祇園は多いに楽しめる、という内容だった。

私は銀座で遊んだことはないけれども、西の銀座とも言える北新地にはたまに仕事で出かけることがある。
確かに、クラブやバーでは客がホステスに気を使うことが多く、とりわけママさん以外のホステスと話す時はショーモない気を使うことが多い。
例えば「この娘、どんな話ができるのやら」と考えながら会話をしなければならないことが多いのだ。
阪神タイガースやテレビ番組のバラエティ番組の話しかできない女の子がいたりするので、正直、ショットバーでバーテンダー相手に浮世話しながら飲むほうが楽しい。
それに安いし。

祇園で遊ぶ、というチャンスは未だに巡ってこないが人を介して耳にするところによると、やはり井上ひさしがエッセイで語っていたように、今もなお、こういうお座敷のプロ達は巷のよもやま話から国内外の政治、経済、芸術に通じていて、どのようなお客さんに対しても決して退屈させることはなく、気を遣わせず、貴重な遊興の時間を有意義に過させるのだという。

この日本文化のシンボルとも言える芸者さんや舞子さん。
その基礎を創り出したのが江戸文化の中心地とも言える「吉原」であることは私もなんとなくは知っていた。
だが、そんな重要な地域である吉原。
花魁の街、というその特殊な文化的位置にあるため、中学校や高校の歴史の授業で学ぶことがない。
もし吉原独特の習慣やシステムを知りたければ、ひたすらテレビや映画、小説の世界から学ばなくてはならない。

ちくま文庫「吉原はこんなところでございました」福田利子著は、吉原にあった引合茶屋松葉屋の女将が昭和61年に戦前戦後の吉原を語ったもので、今は見ることもできない古きよき吉原の雰囲気を生き生きと私たち読者に教えてくれる。

吉原遊女たちの店との契約。
遊女の教育。
芸事の鍛錬。
しきたり。
お客を楽しませるプロとしての心得。
さらに吉原が単なる歓楽街だけでは説明のできない芸者、幇間、料亭、お座敷といった洗練された芸と接客の妙。

女将の語りのひとつひとつが、今の色町と大きく異なり、つぎつぎと驚くことばかり。
読み進んでいいくうちに、この女将の証言も、大正、昭和の話でしか無いと気づき、300年有余年にわたる吉原の文化と風俗を知りたいと思うほどの魅力があるのだ。

今の吉原には女将が語る昔の吉原の片鱗も残っておらず、今や伝説の街でしかないのがかなり残念だ。


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