tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

新形コロナウィルスに勝つのは革新と創造

2020年05月25日 21時38分51秒 | 経営
新形コロナウィルスに勝つのは革新と創造
 新型コロナウィルスが社会に与える影響については、故なき楽観的な見方がある一方、大変悲観的な見方もあるようです。
 
 楽観的な見方の代表的なのは、安倍総理なのかもしれません。膨大なカネをかけて国民に配りつつあるマスクが、あまり役に立たないのはご承知なのでしょうが、非常事態宣言を全国的に解除して、日本方式は大成功と自画自賛しています。

 一方、悲観論の方では、経済予測のケースが多く、今後数年にわたって経済は異常な停滞をし、失業率は、リーマンショックの時の最高5.5%を超えて、其の2倍にも達するうる可能性があるといったもの、また、新型コロナウィルスは、人間の本性である、人と人の接触、大勢で集まるという行動様式(例えばお祭り)を否定するので、人間らしさを否定して、社会を崩壊させる可能性があるといった評論です。

 政治家が楽観的なことを言うのは、ポピュリズム化した最近の政治行動の中では、当面の国民からの評価を得るために取る当然の行動という可能性もあるでしょうから、実態を注意深く見ておく必要がありそうです。

 新型コロナウィルスが人間社会を崩壊させるという見方については、治療薬やワクチンが開発されて、新型コロナがインフルエンザ並みになれば解決してしまう問題なので、そちらに注力すればいいでしょう。今までも人間は、パンデミックを経験し、解決して来た道です。

 難しいのは経済問題でしょう。経済問題というのは、人間がより効率的に付加価値(GDP)を作って(生産性を上げて)より豊かで快適な生活をするという活動ですから、経済成長がマイナスになったりすると、生活が立ち行かなくなる人が出てきます。

 理由は、GDPの国民への分配は「雇用」され[賃金」を得ることによって行われるのですから、新型コロナで売り上げがなくなって、付加価値生産が不可能になった産業や企業では、雇用が維持できなくなり、当然賃金も払われないことになります。

 そして、最近の世界各国の経済成長は、国際間の連携によって可能になったのですから、国際間の人間の往来が不可能になると、いわゆるサプライチェーンが分断されて、生産が止まったり、国際的な観光客はストップして、関連業界は収入の道がなくなります。

 日本が経済成長しようと思っても、原材料や部品の輸入、部品や製品の輸出が思うようにいかなくなれば製造業も商社も仕事が減りますし、インバウンドで持っていた観光産業は売り上げゼロになりかねません。

 ですから、雇用も賃金もなくなり、生活できない人が増えることになるという訳です。しかも日本だけで新型コロナの制圧が出来ても、海外で出来なければ、回復は、長期に亘り、遅々としたもののならざるを得ないという事になるという訳です。

 これに対して、今政府は、雇用・賃金への補助金を出して、当面を凌いでいますが、政府のカネは無尽蔵ではありません。さて、そうなったらどうしますかという事です。

 いずれにしても大変なことですが、坐して困っているわけにはいきません。これまでも不況の時、日本企業がやって来た事を見れば、何かヒントがあるようです。

 日本企業の強みは、従来、労使が一緒になって取り組める柔軟な労使関係があることと言われてきました。
 「雇用は確保するから、何かみんなで飯のタネを探そう」という姿勢です。戦後の不況期には、鉄鋼産業が鍋釜まで作って売りに歩いたなどという逸話もあります。

 プラザ合意で円高になった時には、鉄鋼会社や電力会社が、温排水を利用してウナギやアワビの養殖をして凌いだこともあります。技術革新が盛んな時期には、繊維産業が化繊、合繊に、更には化学分野に、その他多様な製品転換をしています。
 こうしたことが可能なのは、日本の雇用システムが、職務中心ではなく、「人間」を雇用するという人間中心のシステムだからです。

 今でも、シャープ、アイリスオーヤマといった企業はマスクの生産をしていますし、地場の繊維産業も、高級マスクの生産をしているところが多いようです。
 機械産業では、新型コロナ治療用の医療機器の部品製造に注力してがんばっている中小企業の話も聞きます。
 
 海外進出していた部門を、改めて国内に持ち帰り、国内生産によるサプライチェーンの安定を確保しようという、リスク対応、長期的視点に立った経営を重視するところも出ています。
 
 新しい環境変化は、必ず新しい何かを必要とします。そうした新規需要に向かって革新と創造で何らかの道を切り開いていくことが、サバイバルに必要というのが、こうして変革時の現実なのではないでしょうか。

 日本的経営の根幹である「人間中心の経営」が、こうした企業の創造と革新を可能にするというのは、このブログでも、富士フイルムとコダックとの比較でみてきたとおりです。

 企業の大小はあっても、革新と創造が企業生命の基本であることは同じでしょう。悲観論を述べる評論家は、恐らく、こうした企業の新たな取り組みを促すために発言しているのではないでしょうか。

 日本企業のバイタリティーが、新型コロナ問題の企業、経済面においても、改めて、その力を発揮するであろうと確信しながら、あえて、こんなことを書いてみた次第です。 
 

 


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