tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

原発か自然エネルギーか: 二元論は不毛

2011年07月13日 11時40分31秒 | 社会
原発か自然エネルギーか: 二元論は不毛
 原発対策は、多くの国民の目から見れば、迷走そのものです。いろいろな要素が重なっているのでしょうが、個人に関するような問題は出来るだけ避けながら、日本人らしい思考方法で、問題の本質と対応を考えてみたいと思います。

 多くの日本人は、原子力は化石燃料エネルギーの代替の旗手と教えられてきました。低コストのエネルギーとして、また、CO2を出さないエネルギーとしてです。
 今回の事件をきっかけに、その神話に明らかにひびが入りました。

 先ず原子力発電が低コストというのは、原子力発電の「安全神話」によって支えられたものでした。今回の災害時の代替電源確保の論議の中で「あらゆるケースを想定して安全を考えていたら、コストが上がってしまって不可能」という意味の発言がありました。

 不十分な安全対応、しかも巨大災害のコストは算入されていないことも明らかになりました。さらに、核廃棄物の最終処理まで見通したコスト計算はできていない(技術開発自体が未開発?)という問題も出てきました。原発は本当に低コストのエネルギーなのかが解らなくなりました。

 地球温暖化問題に関しては、原発はCO2は出しませんが、冷却が最も大事ということも広く知られるようになりました。以前、アメリカで「アメリカのエネルギーを原発で賄おうとしたら、アメリカ中の川(河川水で冷却)が干上がる」という論文が書かれたことがありました。
 日本なら海水の温暖化でしょう。原発50機の沿岸海水の温暖化効果はどのくらいでしょうか。

 こうして、原発はまだ開発途上の技術であり、特段の支障なく平穏無事に運転でき、将来、技術開発が順調に進展すれば、コストの安い、環境にもよい発電技術であろうという「見込み・仮定」を前提に成り立っていた面が明らかになりました。安全神話でそれを支えようとしたのですが、世の中はそう甘くはなかたのです。

 こうして、原発についての真実が解ってくれば、当然、もう原発は要らない。原発は止めて自然エネルギーに帰ろう。そのための不自由は、本来の人間のあり方を取り戻すことなのだ、といった論議が出てきます。

 現実に、私自身を含め多くの人は、「原発の持つ恐ろしさ」と「不自由な生活への不安」の間で戸惑うことになりました。

 この問題も、他の多くの問題と同じように、二元論(マルかバツか、神か悪魔か)では現実には解決が不可能な問題でしょう。日本人にはもう少し知恵があるように思います。