「子育て・教育」は異口同音の選挙戦
今回の選挙戦で、ほとんどの党が異口同音に主張しているのが、「子育て・教育」です。
確かに新しい国民が、生まれ、育ち、教育を受け、次代の日本を背負っていくのですから、子育て・教育に力を入れようというのは、大変結構なことだと思いますし、誰も多分反対する人はないでしょう。
日本では折に触れて語られるのが、長岡藩の「米百俵」の故事ですが、それだけ日本はかつてより教育立国の精神は確りしていたようです。
しかし、上杉鷹山然り、二宮尊徳然りですが、領主であっても民間人であっても、教育が成功した例は、教育の中身が優れていたからでしょう。
私の世代、昭和一桁といわれる世代も、時の政府は、尋常小学校を国民学校と改称、「生めよ増やせよ」とともに「少国民」の知育、徳育、体育に力を注ぎました。
しかし、教育の中身は、知育は「神国日本」であり、徳育は「尽忠報国」であり、体育は徴兵検査での「甲種合格」でした。
戦後の日本は全く違った教育を行うことになりましたが、そこでもいろいろな事がありました。企業に入ってきた後輩が、「社会科で企業は金儲けのために公害など悪いことばかりしているように教わりましたが、結構良いこともいろいろやっているのですね」などと真顔で言われたこともあります。
何かというと外国の例ばかり取り上げられ、日本人は自分の良い所は外国から言われて初めて解るといったことは最近も沢山あります。
こんなことを書くのも、「子育て・教育」はいいのですが、本当に大事なのは、その目的や中身だとつくづく思うからです。選挙戦では中身はあまり語られていません。
さらに問題なのは、「子育て・教育」にはそれなりのカネがかかることです。特に、良く考えなければならないのは、子育てや教育は、基本的は、対個人サービス、つまり「マン・ツー・マン」の仕事で、極めて生産性が上がりにくい分野だという事です。
こうした「対個人サービス」充実するための資金は、国民経済から言えば、生産性の上がる部門の付加価値(GDP)の増加の中から、その分野に所得再配分をしなければならないのです。
端的に言えば、製造業で生産性が10%上がっても、賃上げは5%にして、余った部分を「子育て・教育」の無償化に使うという形でないと基本的には不可能という事です。
ヨーロッパでは大学まで学費なしという国も多いのですが、そういう国の 国民負担率は日本よりずっと高いのが普通です。
企業減税を言ったり、消費増税を否定して、「子育て・教育」の支援ができるはずはないのです。出来るとすれば、民間のカネを国債で吸い上げて、借金で賄うことにならざるを得ません。財政再建は常に先延ばしでしょう。
選挙ですから、みんなの耳に心地よいことばかりが聞かれますが、日本国民は政治家が思っているほど愚かではないでしょう。しかし、異口同音で選択肢が無くては、選挙演説の裏を読もうと、迷いに迷うことになりそうです。
今回の選挙戦で、ほとんどの党が異口同音に主張しているのが、「子育て・教育」です。
確かに新しい国民が、生まれ、育ち、教育を受け、次代の日本を背負っていくのですから、子育て・教育に力を入れようというのは、大変結構なことだと思いますし、誰も多分反対する人はないでしょう。
日本では折に触れて語られるのが、長岡藩の「米百俵」の故事ですが、それだけ日本はかつてより教育立国の精神は確りしていたようです。
しかし、上杉鷹山然り、二宮尊徳然りですが、領主であっても民間人であっても、教育が成功した例は、教育の中身が優れていたからでしょう。
私の世代、昭和一桁といわれる世代も、時の政府は、尋常小学校を国民学校と改称、「生めよ増やせよ」とともに「少国民」の知育、徳育、体育に力を注ぎました。
しかし、教育の中身は、知育は「神国日本」であり、徳育は「尽忠報国」であり、体育は徴兵検査での「甲種合格」でした。
戦後の日本は全く違った教育を行うことになりましたが、そこでもいろいろな事がありました。企業に入ってきた後輩が、「社会科で企業は金儲けのために公害など悪いことばかりしているように教わりましたが、結構良いこともいろいろやっているのですね」などと真顔で言われたこともあります。
何かというと外国の例ばかり取り上げられ、日本人は自分の良い所は外国から言われて初めて解るといったことは最近も沢山あります。
こんなことを書くのも、「子育て・教育」はいいのですが、本当に大事なのは、その目的や中身だとつくづく思うからです。選挙戦では中身はあまり語られていません。
さらに問題なのは、「子育て・教育」にはそれなりのカネがかかることです。特に、良く考えなければならないのは、子育てや教育は、基本的は、対個人サービス、つまり「マン・ツー・マン」の仕事で、極めて生産性が上がりにくい分野だという事です。
こうした「対個人サービス」充実するための資金は、国民経済から言えば、生産性の上がる部門の付加価値(GDP)の増加の中から、その分野に所得再配分をしなければならないのです。
端的に言えば、製造業で生産性が10%上がっても、賃上げは5%にして、余った部分を「子育て・教育」の無償化に使うという形でないと基本的には不可能という事です。
ヨーロッパでは大学まで学費なしという国も多いのですが、そういう国の 国民負担率は日本よりずっと高いのが普通です。
企業減税を言ったり、消費増税を否定して、「子育て・教育」の支援ができるはずはないのです。出来るとすれば、民間のカネを国債で吸い上げて、借金で賄うことにならざるを得ません。財政再建は常に先延ばしでしょう。
選挙ですから、みんなの耳に心地よいことばかりが聞かれますが、日本国民は政治家が思っているほど愚かではないでしょう。しかし、異口同音で選択肢が無くては、選挙演説の裏を読もうと、迷いに迷うことになりそうです。