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マイナス金利の功罪:4 金融緩和は為替レート変更の手段になった

2016年02月22日 10時31分43秒 | 経済
マイナス金利の功罪:4 金融緩和は為替レート変更の手段になった
 今回日本経済を復活させた金融緩和策を見ますと、まず2013年4月の第1回の「異次元緩和」は常識破りの巨額(2年間で140兆円)のお金を国債購入などで市場に流すというものでした。

 それだけお金を市中に流したのだから企業が喜んでそれを使って仕事を始めて経済活動が活性化するというのが、本来の量的緩和の意味ですが、現実は少し違ったようです。
 では何が起こったのでしょうか。起きたのは「円安」でした。

 異次元金融緩和で日本経済が復活したのは、お金が潤沢に回ったからというよりも、$1=¥80が、$1=¥100になったことです2割の円安は海外から見れば、日本の物価とコストが一律2割下がったことになります。
 そして円安になった原因は、国際投機資本が異次元緩和に驚き、円が下がったら大損だと慌てて円を売ったからです。異次元緩和は国際金融市場に「サプライズ効果」を持ったのです。

 プラザ合意とリーマンショックで1ドル240円が80円まで円高になり、製造業中心の日本経済は苦しみ続けましたが、ほっと一息です円安の為替差益で企業の利益は膨らみ、株価も回復です。
 しかしまだ企業はその効果がいつまで続くか半信半疑ですから、直ちに企業活動を活発化するには至りません。

 日銀はさらに2014年10月末、異次元緩和の第2弾を実施しました。今回は国債だけでなくETF(上場投信)やREIT(不動産投信)の買い入れも加えまさに異常な金融緩和を実行したのです。国際投機資本は「再度のサプライズ」でこれに反応、$1=¥120の円安が実現したのです。

 この2回の金融緩和は国際投機資本の意表を突いたものであったと同時に、それまで国際的に見ても無理な円高を強いられていた円レートを、いわば正常なレベルに戻したというものであったため、有難いことに目立った円高への揺り戻しはありませんでした。

 こうして1985年以降の円高時代は終わり、日本の製造業の国際競争力は回復し、インバウンド(国内市場向け)と言われる国内需要も、観光客増加や爆買いに象徴されるように様変わりになりました。

 確かに日銀の異次元金融緩和で日本経済は復活しました。しかし、これは、通貨の量が増えたことが経済活動を活発にしたのではなく、異次元金融緩和に反応した国際金融市場が円安を齎してくれたこと(為替レートの変化)によるものです。 本来の「金融を緩めれば経済活動が活発になる」という金融政策とは「似て非なるもの」でしょう。

 こうしたことが可能になった原因は、国際金融市場は常に短期のキャピタルゲインの極大化を追い求めているため、主要国の金融政策には極めて敏感に反応するという、変動相場制、それに加えて金融工学の異常な発達を逆手にとって巧みに利用したからです。

 バーナンキのFRBがやってきたことを日本も真似して、為替レートを正常なものに戻したという「今の国際金融システムだから可能」という為替レート変更策を「金融緩和」という形で実現したというのが正確な表現と言えそうです。

 それでは日銀が流したはずの巨額な貨幣はどうなったのでしょうか。実はその多くは、市中銀行の日銀当座預金となって使われずに積み上げっているのです。

 この金を企業や消費者が使って初めて本来の金融政策としての効果が出るのですが、それには社会全体の雰囲気が変わり、すべての企業にビジネスチャンスが増え、消費者がぜひ買いたいと思う商品が増えなければなりません。

 まだ、企業も消費者も今のこの状態が安定したものと自信が持てないのでしょう、市中にお金が余っていても、積極的それを使うことに二の足を踏んでいる様子です。
 これがマイナス金利政策につながったようです。

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