tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「豊かな社会」から「快適な社会」へ

2024年04月30日 13時43分33秒 | 文化社会

このブログでは企業とは何かという問いに対して「人間が資本を使って豊かで快適な社会を作るためのシステム」というような定義をしてきています。

ここでのキーワードは「豊かで快適」という言葉です。かつては「企業とは利益を生み出すための組織」とか、「社会の富を作り出すための組織」といった言い方も一般的でしたが、今の企業は豊かさや富といった経済的な価値を作り出すだけでは駄目のようです。

K.ガルブレイスも書きましたように、豊かさ(affluence)を重視したのは人間社会が一般的に貧しかったからで、豊かになってみたら、『豊かな社会』(Affluent Society)は問題だらけという事になってしまいました。

嘗ては公害、今日では地球環境問題など、豊かにはなったかが、快適ではないという事が、環境問題から社会問題まで多くなった様です。豊かになって企業献金も膨大になれば、裏金問題も巨大になるといった不愉快な問題も生じるようです。

そんなこんなで、やっぱり豊かさという価値が、同時に社会全体に「快適」という人々が最も快く感じる価値も同時に生み出すものでなければならないという事になるのです。

快適をKAITEKIとローマ字で書いて、これを世界語にしたいという研究者もおられますし、三菱ケミカルの「キャッチフレーズ」も「KAITEKI」です。

快適という言葉は、英語ではcomfortableとかpleasantですが、これらはどうも即物的な感じが強く、快適のような精神的、人間の望む本来の正しさ、社会正義といった感覚や意識に通じるとこまで届かない様です。

ですからKAITEKIを世界語にしようといった考え方が出て来るのではないかと思いますが、それだけに「快適」という概念は今後大事にしなければならないものではないかと感じているところです。

こんな思考経路をたどってきた結果が標記の「豊かな社会」から「快適な社会」へ、になったわけですが、勿論世界の現状はまだまだ貧しさが至る所に残っています。

戦後10年「もはや戦後ではない」と貧しさ脱出を「経済白書」が宣言し、「1億総中流」という言葉が生まれた1980年代に至った日本でも、格差社会化が進めば貧しさはなくなりません。

現実は未だに「豊かで快適な社会の実現」と2つの言葉を並べなければならいのです。しかし、この2つの言葉をいつまでも並べていて良いのかというのが、豊かになりつつある今日の世界の課題であるような気もするのです。

自己中心の「豊かさ」に気を取られる人が多い事が、国民の生産した富を戦争の手段の高度化に使ったり、実際に戦争を実行し豊かさを目指すと言いながら豊かさを破壊し、貧困を助長したりしています。ビジネスでは豊かさを生まずに豊かさを偏在させるマネーゲームに狂奔する企業が増えたりといった現実も進行中なのです。

豊かさは必要条件ではあるが、それは地球人類の生活の快適さの増進のため必要なのだという意味で、豊かさは、それを「快適な社会」の実現に活用する事こそがこそが本来の目的だという意識の徹底が、「快適な社会」の実現のために、ますます必要になって来ているのではないでしょうか。