tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

減税より補助金、政府は「神の手」を持っているのか?

2023年10月13日 16時58分50秒 | 経済
臨時国会での政策論争がどんな展開になるのかわかりませんが、政府は多分補助金を中心に、国民の生活を何かと援助をしようという政策を並べるのではないでしょうか。

そうした予想の中で出てきている議論に、補助金が良い政策なのか、それとも減税の方が適切な政策なのんかという論争があります。

補助金も減税もそれだけ国民の使えるカネを多くして、物価高騰の折から、生計費の上昇に困っている国民の生活を援助しようという政策には変わりありありません。

それでは、どこが違うかという事です。
端的に言ってしまえば、補助金は政府がカネを出して困っている国民の生活を援助しようという事です。

減税の方は、政府が国民から徴収している税金を減らすことによって、国民が税金を払う分が減りその分は国民が自分の生活費に使えることになるという事です。

補助金は日本の経済活動に使うカネの中で、政府の使う部分を増やすという事で、減税は逆に政府の使う部分を減らすという事です。

特に政府が赤字でカネがない時は、国債発行で補助金の原資を調達しますから財政赤字も増えることになり、そのあと始末もまた大変です。

減税は、消費税でも所得税でも減税を決めるだけで、余計な手間はかかりません。所得税の場合は税金を払っていない人には効果はないわけで、消費税ならすべての人に効果があるというような議論にもなります。

政府は、減税より補助金の方が好きのようですが、これは補助金をもらう人の喜ぶ顔が見たいとか、選挙があれば与党の得票に繋がるのではといった考えもありそうです。

こうしたことは世俗的な見方ですが、もっと大事な議論をすれば、経済活動において最も基本的は原則である「価格機構」の働き、経済理論でいえば、アダム・スミスの「神の見えざる手」を生かして使わずに「オレが決めてオレがやる」という傲慢な発想という事ではないでしょうか。

例えば、消費税の減税をすれば、政府の収入は減りますが。その分のおカネは国民一人ひとりが自分の最も望ましいと思う使い方をするでしょう。それが全体として「見えざる神の手」として調和のある経済を齎すのです。

補助金というのは、その「神の手」の代わりに、限られた人間の頭脳の判断で、政治的配慮のもとにおカネを配るのですから実は合理的な経済活動を妨げている事が多いのです。

例えば、エネルギー関係の補助金は、省エネの工夫や努力を妨げています。電力ガスの補助金は、消費者物価の高騰を低く見せて(4%台→3%台)、日本の物価上昇はアメリカより低いと勘違いさせます。    

そのほか、まだまだ、いろいろ問題はありますが、補助金を出せば、赤字国債発行も、国民は大目に見てくれる可能性が高いとか、「減税の財源は赤字国債で、結局は国民負担です」とは言いにくいので、多少は自分たちも節約しなければならなくなるのではないかと恐れるのかもしれません。

そんなケチな考えの選良はいないと思いますが、やっぱり臨時国会では赤字国債論議でしょうか。