新自由主義はいかにして生まれたか
資本主義というのは単純に言えば、資本を蓄積すれば社会は豊かになる、だから資本を大事にしようという事で生まれた思想だと思います。
これは一面ではその通りで、企業が発展するためには資本が必要です。資本の準備をし、技術開発(これが資本主義成立の前提)の成果の高度な設備を購入、生産性の高い仕事をして利益を上げるというのが基本です。資本のない人は銀行からカネを借りて資本を準備します。中世(カトリック)では許されなかった「金利」が一般化し金融システムが勃興し、資本主義の発展を支えます(プロテスタントは金利容認:マックス・ウェーバー)。
資本主義が(蒸気機関の発明からの産業革命を契機に)経済発展の基盤となり、経済成長が始まります。しかし、初期の資本主義は資本家と労働者の分断を生み、アンチテーゼとしての社会主義、 共産主義(カール・マルクス)、を生み出します。民主主義国では産業界には労働者と資本家の「階級対立」が生まれ、政治の世界では労働党や社会党が生まれます。( 共産主義支配の国は結果的に共産党一党独裁に)
産業界では労資対立、政治面では左右の対立が生まれますが、社会が分断対立では、経済活動も妨げられ、経済成長も頓挫、大恐慌が起きたりします。そして生まれたのが、産業界では「 経営者革命」政治では社会保障の概念です。「労資関係」は「労使関係」になり、政治では社会保障の充実、福祉国家の概念が生まれます。
これで社会の階級対立、格差社会化が上手く解決するかと思われたのですが、今度は労働側が労使関係、政治の場でも強くなり過ぎ、社会保障負担、福祉充実の負担が行き過ぎ、資本蓄積が滞って、経済成長がうまくいかなくなり( スタグフレーション)、資本の側にもう少しカネの配分を増やし、資本蓄積を充実して、経済成長を促進する必要を感じる状況になって、それを実現しようという理論的根拠として「新自由主義」が生まれることになったのでしょう。
これらは欧米先進諸国に共通にみられる現象ですが、日本の場合は少し違います。
日本では、戦後、欧米に追い付け追い越せの努力のなかで、社会保障の充実は遅れましたが、産業界における「共助」の理念が健全で、労使の信頼関係による協調が、労働側への配分を過剰にする振れを抑え( 労働組合から「経済整合性理論」が発信されるほどの合理性)、労働への配分と資本蓄積は適切な範囲に収まり、1970年代以降も欧米の停滞をしり目に順調な経済成長を続け、エずラ・ボ―ゲルをして「ジャパンアズナンバーワン」と言わせるような健全な経済発展を実現していました。
その意味では、日本では民間労使が賢明だったので「新自由主義」は不要だったのです。
それが何故今日の様なことになってしまったのか、というのが、今日の日本の状況打開のカギになるのですが、長くなるので次回にします。
欧米と全く違った原因で長期不況になった日本で、理論とは大分違った事を「新自由主義」に則った「規制撤廃」「既得権打破」などといってやっているような気がしています。
資本主義というのは単純に言えば、資本を蓄積すれば社会は豊かになる、だから資本を大事にしようという事で生まれた思想だと思います。
これは一面ではその通りで、企業が発展するためには資本が必要です。資本の準備をし、技術開発(これが資本主義成立の前提)の成果の高度な設備を購入、生産性の高い仕事をして利益を上げるというのが基本です。資本のない人は銀行からカネを借りて資本を準備します。中世(カトリック)では許されなかった「金利」が一般化し金融システムが勃興し、資本主義の発展を支えます(プロテスタントは金利容認:マックス・ウェーバー)。
資本主義が(蒸気機関の発明からの産業革命を契機に)経済発展の基盤となり、経済成長が始まります。しかし、初期の資本主義は資本家と労働者の分断を生み、アンチテーゼとしての社会主義、 共産主義(カール・マルクス)、を生み出します。民主主義国では産業界には労働者と資本家の「階級対立」が生まれ、政治の世界では労働党や社会党が生まれます。( 共産主義支配の国は結果的に共産党一党独裁に)
産業界では労資対立、政治面では左右の対立が生まれますが、社会が分断対立では、経済活動も妨げられ、経済成長も頓挫、大恐慌が起きたりします。そして生まれたのが、産業界では「 経営者革命」政治では社会保障の概念です。「労資関係」は「労使関係」になり、政治では社会保障の充実、福祉国家の概念が生まれます。
これで社会の階級対立、格差社会化が上手く解決するかと思われたのですが、今度は労働側が労使関係、政治の場でも強くなり過ぎ、社会保障負担、福祉充実の負担が行き過ぎ、資本蓄積が滞って、経済成長がうまくいかなくなり( スタグフレーション)、資本の側にもう少しカネの配分を増やし、資本蓄積を充実して、経済成長を促進する必要を感じる状況になって、それを実現しようという理論的根拠として「新自由主義」が生まれることになったのでしょう。
これらは欧米先進諸国に共通にみられる現象ですが、日本の場合は少し違います。
日本では、戦後、欧米に追い付け追い越せの努力のなかで、社会保障の充実は遅れましたが、産業界における「共助」の理念が健全で、労使の信頼関係による協調が、労働側への配分を過剰にする振れを抑え( 労働組合から「経済整合性理論」が発信されるほどの合理性)、労働への配分と資本蓄積は適切な範囲に収まり、1970年代以降も欧米の停滞をしり目に順調な経済成長を続け、エずラ・ボ―ゲルをして「ジャパンアズナンバーワン」と言わせるような健全な経済発展を実現していました。
その意味では、日本では民間労使が賢明だったので「新自由主義」は不要だったのです。
それが何故今日の様なことになってしまったのか、というのが、今日の日本の状況打開のカギになるのですが、長くなるので次回にします。
欧米と全く違った原因で長期不況になった日本で、理論とは大分違った事を「新自由主義」に則った「規制撤廃」「既得権打破」などといってやっているような気がしています。