tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

3月11日を過ぎて:「あの街を思い出す・・・」

2016年03月16日 09時56分38秒 | 社会
3月11日を過ぎて:「あの街を思い出す・・・」
 先週はいろいろなメディアで「東日本大震災から5年」の特集が組まれました。「花は咲く」の美しくも哀愁を帯び、そして希望を感じさせる歌声が何度も聞かれました。
 わたくしども、戦中派の多くは「あの街を思い出す」のフレーズにその世代なりの仄かな共感を呼び起こされるのです。

 空襲で一夜にして灰燼となった故郷の街並みの記憶です。その明治、大正の名残もあるしっとりとした風景は、近所の家々のつくりまで含めて、今でも思い出すことが出来ます。
 あの破壊は人間の愚かさが起こした「戦争」という行為の結果でした。

 東日本大震災でも沢山の人の故郷の街並みは一日にして失われました。原因は巨大な地震と津波です。これは日本人が古くから知る自然災害でした。しかし、残念なことに、人間の行為による災害がそれに重なったのです。原発のメルトダウンによる放射能汚染です。

 戦争は人間の愚かさが起こしたものですが、原発はどうでしょうか。我々は原発は人間の英知の結集と教えられてきました。客観的な正確な情報は与えられませんでした
 しかし今、原発は人間の英知の結集と考える人は多くないでしょう。

 東日本大震災が自然災害だけであれば、日本社会は完璧に整然とした対応をしたのではないでしょうか。大震災直後の日本人の整然とした行動は、世界から驚嘆の目で見られました。
 日本人は古来多くの自然災害を経験し、自然災害への対応の仕方を自らの海馬の中に刻み込んできているのです。

 しかし原発事故は違いました。これは人為が起こしたものです。しかも、意図的と今では評される「安全神話」が流布されていた中での出来事でした。
 核燃料の最終処理の見通しのないまま(トイレのないマンションに例えられた)の建設稼働と安全神話の流布、これはやはり人間の英知ではなく、携わる人間の愚かな思い上がりの齎したものなのでしょう。

 汚染水は海に流さないとしていますが、日本の原発は全て海に面した所に建設されています。何故でしょうか?
 放射能問題のない核融合エネルギーの実験は内陸部で行われています。 

 核分裂でエネルギーを作ることは、超長期にわたる放射能の管理を必要とすることは専門家なら解っていたはずです。もし今後日本がこの問題で世界に貢献できるとすれば、原子崩壊の連鎖による放射能問題のより良い解決策を徹底研究し、今後必要になるであろう廃炉を含めた原発撤退作戦に英知を結集することでしょう。

 人間の愚かさの暴走を少しでも防止することが、「平和を旨とする日本」の最も心掛けることではないでしょうか。戦争でも、原発でも、過ちは人間が起こすのです。
 日本はその2つをつなぐ『原爆』の唯一の被爆国でもあるのです。