tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

労使関係は死んだのか

2012年06月24日 16時17分46秒 | 労働
労使関係は死んだのか
 失われた10年以降、日本では、「春闘」という言葉の影が薄くなり、同時に労使関係についての報道や論評も少なくなりました。
 かつては、俳句の季語でもあった春闘はどうなってしまったのでしょうか。

 エズラ ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書いたころ、経済の主役は労使関係でした。
 労使関係が注目されるようになったのは、戦後のイデオロギー闘争の時からでしょうが、イデオロギー闘争の時期から、経済闘争の時期に移っても、経済に最も大きく影響するものの1つとして、春闘、労使関係は経済動向を左右する重要な要因でした。

 日本だけではありません。欧米でも、賃金、物価、生産性の関係は経済動向、国際競争力を規定する要因として、1970年代「所得政策論争」が盛んでした。
 アメリカではケネディー大統領が鉄鋼産業の労使交渉に介入し、アメリカ鉄鋼業の国際競争力が落ちないように全米鉄鋼労組の説得を試みたこともありました。

 ヨーロッパでも、ドイツの「労使協調行動」が注目され、オランダは、賃金コスト上昇の抑制のため、いち早く所得政策導入を試みています。

 そうした国際情勢の中で、オイルショックの際の日本の労使の対応が注目されたのは当然かもしれません。思い返せば、アメリカ、ヨーロッパの高コスト体質は1960年代末期からの痼疾だったのです。

 しかし歴史は世界経済の環境条件を変えていきます。日本は、プラザ合意の結果、世界で最も合理的な賃金決定のできる労使関係の国であるにも拘らず、一朝にして世界で最も高コストの国になりましたし、冷戦終結で東欧の自由経済参加、中国経済の躍進などで、賃金コストは安いが、技術水準は先進国からの投資で急速に上昇するという大きな流れが一般的になり、これらの国の製品流入で先進諸国では物価上昇が止まり、労組はそれまでのような賃金要求などできないことを悟り始めました。

 こうして、欧米と日本では、原因は異なるものの、労働組合の存在感、賃金上昇への発言力は、急激に弱まることになったようです。

 代わって力を得たのは、金融、マネー経済です。プラザ合意の経験が明らかにしたのは、一国経済の国際競争力は「為替レート」でも決めることができ るという単純な事実でした。
 その結果賃金コストはどう決まろうと、為替レートを少し動かせば、それは簡単に調整できるという「金融、為替レート」万能の時代が到来したわけです。

 一国の競争力の決定は、「労使関係」という場から「為替市場」という場に移り、労使関係はますますその活動の意義を弱めることになりました。

 経済の主役が「人間(労使関係)からマネーへ」という巨大なうねりは、世界経済に何をもたらすのでしょうか、経済の間化ともいうべきこの動きの行方をどう読むか、労使関係などはもう時代遅れなどという意見も聞かれる中で、経済の主は人間なのかマネーなのかは、「人間として」確りと考えるべき重要な課題でしょう。